長篠城に配備された200丁の火縄銃 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

火縄銃を切り口として
日本人を考えるブログ
です。

        

  鉄砲が十分配備された城を力攻めで落とすのは,難しい。火縄銃は,射撃後の弾込めに時間がかかるが,城などの防御施設に拠った時は,驚くほどの力を発揮する。雑賀衆との鉄砲戦で辛酸をなめた織田信長は,それをよく知っていた。

 戦国時代の天正3年5月9日(新暦6月18日),武田勝頼は1万5000の兵で長篠城を包囲した。長篠城を守備したのは徳川方の武将奥平貞昌で,その兵力はわずか500でしかなかった。武田方は,城方の三十倍の兵で長篠城をおよそ10日間攻め立てたが,城方の200丁の鉄砲に撃ち立てられ,落城させることはできなかった。

 

長篠城縄張り図

 

長篠城の空堀

 

 火縄銃は口径にもよるが,70メートル先の鎧を貫通できるほどの威力があると私は推測している。銃砲研究家の須川薫雄氏は,50メートル先の厚さ1.2ミリの鉄板装甲の甲冑を口径10ミリの火縄銃で試射し,背中側の装甲まで貫通させ,その実験結果を公表している。

 

須川薫雄氏の実験結果の観察

写真の人物は須川先生ではありません。先生はもっとダンディーな御方です。

サミュエルさん達へ,先生には9月30日の会議の議長をお願いしております。

 

背中の装甲も貫通させた証拠写真

右側の弾痕をよくご覧ください。背中の装甲にも穴が開き,日の光が見えます。

 

 一方,火縄銃は連射が利かず次弾装填を完了させるまでには,熟練兵でも30秒程度を要するという弱点も合わせ持っている。火縄銃は,次発装填を安全かつ確実に行なえる陣地や城砦などに身を隠せる防御戦に適した兵器といえる。