種子島に続く道と鉄砲伝来 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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公式ハッシュタグ 令和四年6月17日 骨董品ランキング1位 

  仙台藩の主力装備である四匁筒は,井上流砲術仕様である十匁筒とその姿形がまるで異なる。その理由を明らかにすべく仙台鉄砲の起源を調べたら,井上流砲術と伊勢守流砲術に辿り着いた。

仙台藩の鉄砲

上の二挺が仙台藩の主力装備である四匁筒。下の二挺が仙台藩十匁筒。

 

 仙台鉄砲の四匁筒は伊勢守流砲術仕様の鉄砲だったのである。伊勢守流砲術仕様の鉄砲の火挟みと反対側に施された分銅紋座金がその大きな決め手となった。仙台鉄砲の約二割にも分銅紋座金が同じように用いられていたからである。

伊勢守流砲術の「無聖」の大鉄砲(全長281.2cm)  

全長281.2cm 口径3.3ミリ超 53匁2分筒 推定重量約130キロ 

(非公開資料のため,収蔵庫で保管。職員7人掛かりで閲覧室へ搬入)

個人蔵、佐伯市歴史資料館寄託  

「無聖」の大鉄砲に施された分銅紋

個人蔵、佐伯市歴史資料館寄託     

 

仙台鉄砲に施された分銅紋

 

そして伊勢守流砲術の起源を詳しく調べたら,紀州発祥の津田流砲術へと遡ることができた。津田流砲術の伝書を読み込むと,ついには種子島まで行きついたのである。

 関流砲術の伝書,方圓之巻は,『鉄砲の権興は種子島也』と断言している。中島流砲術や津田流,藤岡流,一火流などの伝書も,表現の違いはあるものの同様のことを記している。江戸時代初期の砲術家の多くが『鉄砲の権興は種子島だ』と断言しているにも関わらず,鉄砲伝来は『種子島』ではなく、中国人を中心とした倭寇が日本に波状的に持ち込んだという説をまことしやかに唱える人達がいる。

『鉄砲の権興は種子島也』

 

 

  しかしその説は,確たる根拠も証拠もない単なる推論に過ぎない。

しかも『伝来』と『伝播』の意味を峻別できていないのには,驚かざるを得ない。例えば,仏像が日本沿岸に流れ着いたら,その時が『仏教伝来』だと主張する人はいないだろう。仏教の教義や,指導法,祭祀の方法などのソフトを伴わねば,それは仏像の漂着に過ぎず,『仏教伝来』とは言えないのである。鉄砲伝来にもそれと同じことが言える。鉄砲だけあっても,それはただの鉄クズと変わらない。鉄砲の操法,火薬の製造法,鉄砲の修繕法などのソフトが備わなければ使いものにならず,鉄砲伝来とは言えないのである。

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