オイは,薩摩の鉄砲じゃ その4 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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焼き芋焼き芋メロンパン オイは薩摩の鉄砲じゃ その4 メロンパン焼き芋焼き芋

オイは薩摩の鉄砲じゃ。薩摩藩士で日高ちゅう家の持ち筒でごわした。日高家の三代前の当主が注文して造らせた鉄砲じゃっで,それから100 年近くも経っていもうしたから,オイもわっせ疲れていたことはまちがいなか。

 

 

文久3 年の初夏,薩摩は燃えに燃えておりもした。横浜の生麦ちゅう村で薩摩藩士が,エゲレス人を切り捨て御免にしたとじゃが,そんこつで難癖をつけて,エゲレスの艦隊が薩摩に攻め込んでくるという話でごわした。藩庁から日高家に,出陣の差し紙があったのは暑か日でやった。亥之助じいさんの3 人の息子が出陣準備に取り掛かると,亥之助じいさんも「御国んため,オイも戦にいく。鉄砲を撃せたやオイにかなう奴はなか~」と言い出し家中が大騒ぎになりもした。なにせーそん時,亥之助じいさんは65 歳でありもした。幕末の65 歳というのは,今の人たちとはまるでちごう。皆ヨボヨボじゃっど。息子たちは,頑固な爺さんを持て余し,本家や大本家の旦那さーに説得してもらい,亥之助じいさんの出陣は許されんこつになりもした。

息子たちが出陣した後,亥之助じいさんは,夜更けに刀櫃からオイを引っ張り出すと山道を走り抜け野鍛冶の牛吉を叩き起こしもした。甘くなったオイの尾栓を直すためじゃど。日高の家に残っている鉄砲は,オイしかおらんかった。亥之助じいさんが無茶せんよう,息子たちが,全部持ち出したからじゃ。亥之助じいさんと野鍛冶の牛吉は二人して相談し,オイの銃身のお尻に3本の鋲を打ち込んで,尾栓が抜けないように補強してくれもした。

 

黄色の丸が打ち込まれた鋲

 

そん時,野鍛冶の牛吉は「だんなさー,三発以上撃ちやんな。それ以上撃ちやれば,鉄砲が壊るっか,だんなさーの命がのうなるか二つに一つじゃっど。」と亥之助じいさんに話した。

「エゲレス人を一人でも倒せれば,オイはいつ死んでもよか。」亥之助じいさんの血が,若者のようにたぎっていたのを,オイは覚えちょりもした。

 

       飾りだと勘違いした銃身末端の3本の鋲

 

今の私の所有者のこの男は,この鋲を見て喜んだ。なにしろ銃身の末端に鋲を打ち込んだ飾りのある鉄砲は見たことがなかったから,これは珍品だと勘違いしたのだ。この男は,本当に浅はかである。

そこにいくと修繕の虎造は,流石だ。オイの鋲を見てピーンときたらしい。頼まれてもいないのに,尾栓を抜く作業を始めた。

 

156年ぶりに日の光を見た尾栓ネジ

 

薩摩の鉄砲は,火皿もネジ式。

     火皿のメスネジには火薬残滓のようなものが

  たっぷり残って筒内で幕になっ前方を塞いでいた。

         茶色く見えるのがその一部。

 

火縄銃の錆び固まった鋲を抜くのには,安く見積もっても五~六万はかかる仕事だ。虎造は,やりたい仕事となれば金銭抜きである。だから貧乏している。虎造は,金にもならぬのに10日ほど頑張り,オイの尾栓を抜いてくれた。だからオイは,虎造に免じて,オイの尾栓の話をしてやったのじゃい。この男のためではない。