本当は我々は愛の存在!なんてスピリチュアルの世界では言われていますよね。


きっとそれも一部、間違いではないのかもしれませんが


私はそのスピで言われている愛は

本質から少しズレていると感じています。


この三次元で愛というと


優しさとか相手を思いやる気持ちとか

そういったことを示すと思いますが


小さい頃って虫を殺すことや

ムカつく子の頭をたたいても

罪悪感がなかったと思います。


それが徐々に教育の中で

常識や相手の立場で物事を考えることを

教わりながら


罪悪感や反省の気持ちなどが

少しずつ芽生えてきたんだと思うんです。


ライオンがシマウマを食べても

全く罪悪感など感じないように


我々は元々かなり残酷な存在なの

かもしれないと思うのです。


それが成長する過程で

これはいけない

こういう考え方を持ったら親が悲しむ


など色々な

いい意味での洗脳がされて

今この瞬間、人殺しなどもせずに

生きているのかもしれないのです。


かといって全てを解放をして

犯罪を犯せ!というわけではありませんが。笑


自分の中にある

残酷性や真っ暗な汚い部分も

きちんと認めた上で


より自然体で生きてもいいと思うんです。


いい人を演じて

愛だの世界平和だの

叫ばなくてもいい。


ブラックな自分もきちんと自分なんだと

受け入れて認めてあげる。


それこそが自分に対する愛なのではないかなと思います。


誰かから

性格が悪い、自己中心的と言われたって

嘘偽りのない自分でいることは

自分を満たす1つの通過点になり


その愛が自分から溢れ出したとき

きっと初めて

無理にいい人を演じずとも

自然と誰かが救われたりする

愛の世界が広がっていく。


それまでは全ての愛を自分に向けていい。


きっとその後は

あなたに癒やされる人が

自然と現れるから💎