本日は一番楽な日程
ルクソールの東岸観光
カルナック神殿⇒ルクソール博物館⇒ルクソール神殿で
後は18時15分の飛行機まで残った時間をどうするかだけ。
全く代わり映えしない朝食後、軽くホテルの庭を散歩します。
プールはナイル川の上に浮かべたボートの上に作られており、
いい感じでした。
ちょっと遅めの8時30分出発
14時まで部屋を確保できるのですが先にチェックアウトしておくことにしました
ホテルからカルナック神殿に向かいます。
ここも21年前に自転車で何度も通った場所。
車だと10分かからずにカルナックのアメン大神殿に到着します。
丁度訪問の2ヶ月前に自爆テロがあった為か
エントランスでは爆発物検査がとても厳重でした。
まずエントランスを入ると小さな博物館になっており
全体の模型があります。
これを頭に入れて見学します。
とはいえこの神殿、他の神殿とは規模が違いすぎます。
長い間エジプトの首都だったルクソール。
そのルクソールの土地の神様がアメン神ですが、アメン神と太陽神ラーが結びつき
アメンラー神となり、この世で最も重要な神となりました。
そのため、歴代の王がこぞって神殿の増築、奉納をしているので複雑な構造で
とにかく広く、大きな神殿になっています。
広大、巨大な神殿なので、きちんと見ようと思うと2日仕事です。
まずは入り口の巨大な塔門と羊頭のスフィンクス
アメン神は羊の頭で表現されることもあり、これはアメン神のスフィンクス。
ここが入り口になりますが
エントランスの博物館からは200mほど離れています。
塔門の入り口でチケットのチェックが入りますが、チケット売り場が逆に分かりません。
エントランスの博物館を出たところにありますのでまた戻らなければなりません。
挙句の果てに、お釣りが無いとか言い出す始末。
結局土産物屋で両替してもらえたから助かったもののこのお釣りが無いというのは困ったものです。
塔門に戻り中に入ると、パネジェム像とヌビア人(現スーダン系のネイティブアフリカン系民族)王朝の
タハルカ王の柱がそびえます。
パネジェム像は本来はラムセス2世像ですが、後にこのアメン神殿の神官が王を上回る権力を持ち
名実とも王を名乗るようになった時代の神官ファラオである、パネジェム1世が、ラムセス2世の名前を
削り自らの名前に変えたものだそうです。ラムセス2世らしい10mある巨像です。
余談ですがパネジェムはハトシェプスト女王葬祭殿の裏の断崖に王のミイラを改葬した人物
そこから発見されたラムセス2世のミイラの布に、パネジェムが改葬した旨が書かれていたそうです。
ここから直進し、第2塔門をくぐるとセティ1世、ラムセス2世の列柱室があるのですが
まずはそこからはずれ、別料金の野外博物館へ向かいます。
ここは、発掘、修復を行っている中、古代の増改築で埋もれてしまっていた
建物の部材を集め移築している場所です。
目玉はやはり完全に破壊されていたハトシェプスト女王の「赤いチャペル」と呼ばれる建物と
中王国時代のセンウセルト1世の「白いチャペル」
どちらも大列柱室後ろの第3塔門を建築する際に破壊され、第3塔門の内部に詰め込まれていたものを
取り出して、パズルのように再建されたもの。
ちなみに第3塔門を建築したのはアメンヘテプ4世、後にアメン神官と対立しアクエンアテンと名を変えて
アメン神を否定した王です。このときから過去のしがらみをさっくり整理する割り切りが上手で、行動力ある王だったようです。
話は野外博物館に戻して
センウセルト1世は第12王朝の2代目の王で中王国時代の基盤を作り
紀元前1926年に死去したことが分かっています。
アメン大神殿もこの頃建築されはじめたと言われているようで、
白いチャペルは約3950年前の建物でこの神殿で現在見ることの出来る最古の建造物になります。
中王国時代の建物事自体も非常に珍しいものです。
中には入れませんがシンプルで洗練されたとてもきれいな建造物です。
ハトシェプスト女王の「赤いチャペル(赤い礼拝堂)」は断片的な破片から全体を作ったもので
オリジナルの破片は全体の半分以下です。
でも、往時を偲ばせる美しい建物。意外と大きいです。
初期に共同統治していたトトメス3世とハトシェプスト女王の絵がいたるところに残されています。
以前の短絡的な説では当初共同統治者だったトトメス3世が、いったんその地位を奪われたため
ハトシェプスト女王の死後、その痕跡を消し去ったと言われていました。
でもこういった並んだ姿が少なくともその100年後のアメンヘテプ4世まで残っていた事実を見ると
素人の私でもそれは違うんじゃないの?と考えます。
このチャペルは赤色花崗岩と黒色花崗岩を上手く組み合わせた美しいもので
他に同じようなものを見たことはありません。
ハトシェプスト女王にはお抱えの建築家、センムトがいました。
センムトが先例にとらわれないセンスの持ち主だったのでしょう。
ハトシェプスト女王の葬祭殿、この赤いチャペル、オベリスクとも先例も後の模倣も無い
独自のもので定型にはまった古代エジプトの遺跡の中で、ひときわ目立つ美しさです。
他にもまだまだ復元中のものがたくさんあり、ここは展示物が増えてゆくことでしょう。
20ポンドの追加料金分の価値があるかは微妙なところです。
通常のツアーのルートから外れるのも理解は出来る、ちょっとマニアックな場所。
そしてここからパネジェム像まで戻り、今度も第2塔門をくぐらず、今度は右側にあるラムセス3世神殿に向かいます。
入り口にラムセス3世の像が2対あり、その中は比較的保存状態の良い神殿です。
西岸のラムセス3世葬祭殿の縮小版のような典型的なというか、定型通りの神殿でした。
そしてようやくいよいよこの大神殿の目玉、大列柱室に入ります。
セティ1世が建造をはじめラムセス2世が完成させた巨大な柱が残ります。
規模がちょっと他の神殿とレベルが違いすぎます。
中央の柱は先端部が開いており高さが21メートル。
脇のものは先端部はまだつぼみで15メートル。
直径3メートル以上という巨大な柱の森です。
3300年前の威容を現在に伝えます。
恐らく今のエジプトでもこれを作るのは非常に困難だと思います。
列柱室を抜けるとアメンヘテプ4世、ツタンカーメン、ホルエムヘブ、ラムセス1世による第3塔門があり
その先にトトメス1世のオベリスクがそびえます。
一部角が落ちていますが、本当に太陽に向かって串のように聳え立つ美しいオベリスク。
更にそのすぐ隣に、もっと巨大で高くそびえるハトシェプスト女王のオベリスクがあります。
オベリスクの足元には野外博物館に復元されている赤いチャペルと同じ礼拝堂があります。
恐らくこれが元あった場所だったのでしょう。
ハトシェプスト女王のオベリスクは、あえて周囲に建物を建てて見えないようにされたそうです。
そのため、周囲が非常にごちゃごちゃしています。
この裏にアメン神の至聖所がありますが、更に裏手に神殿が広がります。
ここはアメンヘテプ3世の祝祭殿と呼ばれている場所。
アメンヘテプ3世はずいぶんと広い神殿を寄進していますが、結局後々アメン神官が
政治へ口出しするのを嫌ってか西岸のラムセス3世神殿の裏側に王宮を造ります。
※現在は泥レンガのあとが残るだけで見るものはありません。
アメンヘテプ3世の祝祭殿まで来ると観光客もほとんどいませんが、色彩がきれいに残っていたりします。
静かな良い場所でした。
トトメス1世のオベリスクは丁度交差点のようになっており、ここから北へ神殿が伸びてゆきます
聖なる池のほとりにはスカラベ(フンコロガシ)があり、この周りを7回廻ると願いがかなうそうです。
早速廻り始めてました。
願いはかなうのでしょうか?
スカラベは糞を丸めて運ぶ姿が太陽を動かす姿と捉えられ、太陽神ケプリとして崇められていたそうです。
この聖なる池の横に第8塔門があります。
ここはハトシェプスト女王が手がけたもののようで
破壊されたハトシェプスト女王の像が復元されていました。
第8塔門の裏手には、プトレマイオス時代に整理されて「埋葬」されていた新王国時代の王像の
隠し場所があったそうですが、今は分かりません。
現在復元中の第9塔門の隣にはコンス神殿があります。
ここはラムセス3世によるもの。
ここはかなり保存状態が良く、ほぼ完璧な状態で残っています。
色も比較的良く残っており、規模は小さいながらもカルナックの中にある複数の神殿の中でも
抜群の保存状態です。
恐らく新王国時代の神殿では一番の保存状態ではないでしょうか。
コンス神殿の前の門は時代がさかのぼってプトレマイオス3世のもの
大体卑弥呼と同じくらいの年代です。
カルナックの中では比較的最近の建物なのでやはり保存状態が良く
内壁のレリーフが圧巻です。
ここから先は、ルクソール神殿までスフィンクス参道が伸びます
でも、ここでおしまい。
この先にはムート神殿があるのですが、今回は見学できませんでした。
そして元の列柱室に戻り、カルナックのアメン大神殿を後にします。
次は休憩をかねてルクソール博物館へ。
ここは規模は小さいですが、ほぼ新王国時代に特化した展示に絞られて
とても見やすい博物館です。
特に入り口右側にある特別室、入り口にはツタンカーメン王墓から出た牛の頭があり
室内に展示されているカルナックのアメン大神殿の隠し場所に「埋葬」されていた歴代の王像は
保存状態が抜群に良く、3000年以上の時を超えたとは思えません。
2Fには2体のミイラが展示されています。
そのうち手前の1体はアハメス王のもの。
奥の1体はラムセス1世のもの。
アハメスは新王国時代の幕開けを作った偉大な王。
ヒクソスと言う異民族に占領されていたエジプトを開放して18王朝を開いた王です。
お父様のセケネンラー・タオ2世はその戦いの最中に戦死し
カイロのエジプト考古学博物館で眠っています。
その顔は、矢じりと斧の切りあとがそのまま残り生々しい姿です。
でも、この二人の親子がいなければ、古代エジプトで最も反映し美しい文化だった
新王国時代は生まれなかった。偉大な王です。
怖がっていた娘も恐る恐る偉大な王との対面を行いました。
そしてラムセス1世は
最近エジプトへ里帰りを果たしたミイラで、やはりアクエンアテン、ツタンカーメン以降の
国の乱れを正常化し、19王朝を開いた偉大な王。
ルクソール繁栄の礎を作った偉大な王との対面は東岸観光の目玉の一つかと思います。
エジプト観光のすごいところは、ラムセス2世、3世、セティ1世、ハトシェプスト女王、ツタンカーメンなどなど
偉大な王本人に謁見できること。これが他所には絶対無いすごさだと思います。
二人のファラオとお会いできる分、21年前より充実しておりました。
1時間もあれば充分な博物館ですが、当初はどっちでも良い訪問先だったのですが、行ってよかったです。
車に戻りカルナック神殿へ
流石に暑くなって来ました。
ほぼ毎晩眺めていたルクソール神殿へ。
ルクソール神殿はカルナックのアメン大神殿の付属神殿だったようで
アメンヘテプ3世によって約3,350年前に建てられ
その後歴代の王に増築されて現在の姿になったもの。
入り口に入るといきなり第一塔門でラムセス2世の巨像が迎えてくれます。
本来2本立っていたオベリスクのうち1本は現在パリのコンコルド広場にあります。
引き換えにカイロのムハンマド・アリ・モスクに現在は全く使い物にならない時計を
贈られました。旧植民地との強制交換みたいなものです。
ここのラムセス2世像は立派です。
顔は削られてしまっていますが、元の様子を容易に想像できます。
中に入るとラムセス2世の柱が聳え立ちます。
全てのラムセス像が残っていたらさぞかし立派だったことでしょう。
そして第2塔門をくぐるとそこから先はアメンヘテプ3世の列柱室
カルナックのアメン大神殿ほどではありませんが大きな列柱が聳え立ちます。
更に奥に向かうと至聖所の壁にキリスト教時代の絵が。
そしてアメンヘテプ3世の至聖所の裏側には古代の彩色壁画がきれいにクリーニングされていました。
至聖所はアメンヘテプ3世によるものと、あのアレキサンダー大王によるものがあります。
余談になりますが、アレキサンダー大王は当時としては強烈なスピードで
地中海沿岸~現在のインドまでを配下に入れたわけですが(彼が王位にいたのは11年、33歳で死去)
ここエジプトを見る限り、占領地に溶け込んでエジプトのファラオになり、すばやく次の場所へ駆け抜けています。
決してギリシアの押し付けではなく、宥和政策に基いた現地の文化を尊重した統治は
我々も学ぶべきところが多いように思います。
中庭のラムセス像はツタンカーメン時代のものをラムセス2世によって簒奪したものと言われています。
確かに、顔が他のラムセス2世像とは違って若いです。
エジプトの壁画、王像、神様の像は定型化されているのですが
やはり時代によってそれなりにバランスと言うか輪郭が異なります。
個人的に一番洗練されているのはラムセス2世の時期だと思います。
ツタンカーメンの時代はかなり写実的な感じ、ハトシェプスト女王、トトメス3世は表情が穏やか。
普通に見れば同じように見えてもやっぱり違います。
新王国時代の遺跡見学はここ、ルクソールでほぼ終了です。
今夜からカイロに戻り古王国時代の遺跡めぐりになります。