最近では、水を向けられたので相手に合わせて子どもの話をしました。
(基本的に私は、他人と教育論はしません・・・聞かれない限りは自分の子どもの事も話しません。相談もしません。)
すると「情けのかけ方を間違っている」とお子さんが居ないご主人に叱られました。
奥さんにも「大学なんて行かせなくて良いんです」とまで指導されてしまった
(高校・大学に進学させるか否かは個人の価値観によるものなので、何とも言えませんが少なくとも本人とその親に問われない限りは問答無用だと私は思っています。)
私個人で語るならば、高齢で生んだからこそ厳しくしなければいけないPOINTが見えるという事もあります。
感情で頭に来て怒る事と、子どもの為にわざと叱る事が違う!
言葉ではそう知っている人は多くても、怒ってもいないのに叱る事がどれほど難しい事か経験の薄い若輩のうちには私はできませんでした。
叱るという事は実は難しいのです。
反対に、ぶん殴りたいほど頭に来ている相手に、相手の幸せを心から願い笑顔で言葉をかける事のセルフコントロールが若輩だった私にはできませんでした。
親子だからこそ他人以上に礼節が必要なんだとはこの歳になるまで気が付きませんでした。
親子が一心同体でいられる時間が、こんなにも少ないのだとは思ってもいませんでした。
子どもを一人の人格として尊重すると言葉では言ってそれが本当の意味でできる親が少ないように思います。
おそらく。。。。みんな自分の事で忙しいのではないでしょうか?
心を亡くすで忙しい・・・
忙しいから心を亡くしてしまうのか・・・・
そんな事を考えるほどの暇人は年寄りか病人くらいでしょ
浮き世は、時間が少なすぎます
高齢育児のただ今真っ最中です。
自分が若い時は周りも若いので助っ人は大勢いるのです。
自分が高齢という事は、友人も高齢ですし。。。親に至っては天寿を全うしていたりしますからね。
理解者も協力者もいません。
「大変だよね~」とか「偉いよね~」とは言ってもらえても、時間をくれる人は誰一人いません。
気持ちも身体もきついですよ・・・・
経済援助だってない。。。
みんなに気を使ってもらってチヤホヤされることもない
今まで自分が見てきたような育児はまずできないと思って間違いないと思います。
だからこそ、オリジナル育児が出来るのではないでしょうか?
こんな自由で思い通りの育児を楽しめる高齢出産って。。。
(基本的に私は、他人と教育論はしません・・・聞かれない限りは自分の子どもの事も話しません。相談もしません。)
すると「情けのかけ方を間違っている」とお子さんが居ないご主人に叱られました。
奥さんにも「大学なんて行かせなくて良いんです」とまで指導されてしまった
(高校・大学に進学させるか否かは個人の価値観によるものなので、何とも言えませんが少なくとも本人とその親に問われない限りは問答無用だと私は思っています。)
私個人で語るならば、高齢で生んだからこそ厳しくしなければいけないPOINTが見えるという事もあります。
感情で頭に来て怒る事と、子どもの為にわざと叱る事が違う!
言葉ではそう知っている人は多くても、怒ってもいないのに叱る事がどれほど難しい事か経験の薄い若輩のうちには私はできませんでした。
叱るという事は実は難しいのです。
反対に、ぶん殴りたいほど頭に来ている相手に、相手の幸せを心から願い笑顔で言葉をかける事のセルフコントロールが若輩だった私にはできませんでした。
親子だからこそ他人以上に礼節が必要なんだとはこの歳になるまで気が付きませんでした。
親子が一心同体でいられる時間が、こんなにも少ないのだとは思ってもいませんでした。
子どもを一人の人格として尊重すると言葉では言ってそれが本当の意味でできる親が少ないように思います。
おそらく。。。。みんな自分の事で忙しいのではないでしょうか?
心を亡くすで忙しい・・・
忙しいから心を亡くしてしまうのか・・・・
そんな事を考えるほどの暇人は年寄りか病人くらいでしょ
浮き世は、時間が少なすぎます
高齢育児のただ今真っ最中です。
自分が若い時は周りも若いので助っ人は大勢いるのです。
自分が高齢という事は、友人も高齢ですし。。。親に至っては天寿を全うしていたりしますからね。
理解者も協力者もいません。
「大変だよね~」とか「偉いよね~」とは言ってもらえても、時間をくれる人は誰一人いません。
気持ちも身体もきついですよ・・・・
経済援助だってない。。。
みんなに気を使ってもらってチヤホヤされることもない
今まで自分が見てきたような育児はまずできないと思って間違いないと思います。
だからこそ、オリジナル育児が出来るのではないでしょうか?
こんな自由で思い通りの育児を楽しめる高齢出産って。。。
犯すリスク以上にお得です!!!