退院の日・・・・私は楽勝!!だった。

主人に「お台場(地名)に遊びに行こう~~~」などと本気で言った。

当時は、お台場へは10~15分の距離だった。

翌日も元気だった・・・・・

退院3日目。。。。。この辺りから、だるさが出てきた。


麻酔が抜けきらないうちに無理をしたから!!! らしいが・・・・


申請した“療養休暇”は終わった。



出勤してもどーにも調子が悪い。

我慢をしていたが、管理職に呼ばれた。

「そんなに早く復帰するとは思ってなかったよ。“検査結果”が出るまでは来なくて良いから。

“療養休暇”は『半年』とれるから、経歴に傷はつかないよ。

書類を出したらそのまま帰っていいから。」




お言葉に甘えて、這うように家に帰った。。。。。


退院後、1週間で検査結果は出た。


複雑型子宮内膜異型増殖症: 構造異型も細胞異型もある

子宮内膜上皮にがん細胞が見つかった・・・・・


この時は、そんなにショックはなかった。

『子宮温存可能』と先にDr.が前置きをしてくれてから、病気の治療法を丁寧に説明してくれた。


やっぱ!!女医さんは凄い!!!




その後・・・・“抗がん剤”を使うんだけど。。。。。

とんでもない副作用が出た。

最初の3日位は楽勝~~~~

Dr.には「副作用があるから、食欲に任せて食べちゃダメよ」と言われた。

食欲は出なかったし。。。。体重はずっと変わらなかったので体型維持に気を使ったことはなかった。



ところが、2週間もすると動けなくなった・・・・・

職場復帰どころではなかった。



私は
『ヒスロン』という薬を使った。

厄介な事に、これに替わる薬は今はない・・・・・

2週間後に通院した私を一目見てDr.は「辛そうね・・・・」と同情はしてくれたが。。。。

「投薬しなければ、子宮摘出は免れない。

妊娠を優先して、出産後に摘出が望ましい」
と言った。



主人は、子どもを望んでいた・・・・・



私は飲む事を選んだ。

副作用を止める薬が加わった・・・・・・




仕事を投げ出してしまった敗北感。。。。。。

身体が思うようにならないイラつき・・・・・・

「離婚しろ」との義妹・義弟からの非難。。。。。。

近所からの云われなき誹謗・中傷・・・・・・・・





神経が参ってしまった。

寝れないかと思うと、起きれないほど眠り続ける。





仕事とはいえ、夜家に居ない主人にあたり。。。。。



焦りから半端に復帰しては、職場に迷惑をかける・・・・・




ボロボロの状態で、検査の為ではあったが2度目の手術を受けたのは、抗がん剤を飲み続けて4ヶ月後の事だった。。。