はじめまして、私は1951年の生まれです。
他の多くの人々と違い考え方が記憶することには関心がなく、なぜこういうことになるのであろうかという根本法則を知りたいという願いが幼き頃より強く生きてまいりました。
「南無妙法蓮華経」を知ったのは6歳の時です、昭和32年に母が水子供養のために創価学会に入信したのです、その時に浄妙寺という寺に母と一緒に行った記憶が残っています。
この度、私が本を書きあげました。
19歳の時に不思議な体験をして、この体験の意味を探ろうと科学の進歩を待ちました。
どれくらい待てばよいかを予測したところ、おそらく自身60歳を過ぎた頃には、脳の働きが解明されているだろうと考えました。
それまでに人間界の経済と人間界の行動を本の知識ではなく、体験という説得力のある物語りを身にやきつける方法を選択しました。
この宇宙の進化はどの様な仕組で成り立っているのか、私の19歳の時の体験を科学的に説明できることになれば、人間の迷いさすらう意識の解明と治療が必要な時代の到来にも対処することができると考えます。
この世の理を考える際、創価学会は宗教を基準として人々を幸福な人生へ導いてきましたが、このやり方を実践して今後も活動していけば「南無妙法蓮華経」の真実の実体を私が突き止めたにもかかわらず信用せず今までの原始的な考えから脱却できなければ、世の人々から詐欺団体の烙印を押されることになるでしょう。
未来は宗教を科学的研究実績のない時代の「九識論」「十界論」の域を出ない幼稚な「教学」なるものを振りかざす「宇宙」に存在しない法則を創価学会が主張し続けることは、自ら努力を積み重ねて築きあげた平和団体を無に帰すことになるのであります。
今後は集めた浄財を会館建設に使用するのではなく(会館のような大勢集めて集団指導する形態は時代錯誤である)個人の意識内容の向上(科学的知識と現代の人間の生き方の研究)に会員を教育し、日蓮の御書の使用箇所を(信仰修行、例:不自惜身命が人権侵害、地涌の菩薩・願兼於業等は)末法に出現する上行菩薩に随従する予言書的効果をねらった経文を採用して入信者が特別な人々である(選民思想)と思い込ませることで会員を増やす。
ある意味、詐欺行為を繰り返して今日まで広宣流布を推し進めてきたのであります。
冷静に第三者の目として親の生き方を見てきた2世・3世は新しい教育を受けてきたことで親の世代(宗教が日常生活に浸透していた時代)には必要であった教学を会員に教えることは的を得ていても2世・3世には逆効果であります。
創価学会は私の目からみれば、非常に大切な団体なのであります。
今日、人類は全ての分野で転換を迎えているのであります。
「南無妙法蓮華経」の真の姿を捉えることは「宇宙生命」の理りを知ることと同じことで答えは釈迦と鳩摩羅什と日蓮と創価学会と植木雅俊氏と私の「悦び」の体験へと続いてようやく人類の「脳活」の有り方を示すことができることになったのであります。
釈迦は「自らを信じ、自らをたよりとし、生きなさい」と言った。
反面、日蓮は「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」と述べた。
この釈迦の言葉から私は釈迦は悟りを開いていたと理解できるのである。
日蓮は、自身の登場するまでは「南無妙法蓮華経」を唱えた人が日本には存在していない。
このことは日蓮自らが人類救済の役目を担って誕生させられたと、私は「宇宙生命」の法則の一つである(数打てば進化の力で何者かが変化を起こさせることになる)を繋いで生かされていると結論を出しているのである。
日蓮が在世していた時代は釈迦の知りえた(体験を通じてこの世の理を弟子達に語る行為、口伝)が経文として鳩摩羅什→植木雅俊氏のサンスクリット語(法華経の原文)から漢訳鳩摩羅什の法華経研究を通じて明らかな本質を理解した鳩摩羅什が「南無妙法蓮華経」の生みの親であることを私達に教えてくださったことは、私自身、他にない珠玉の研究成果であると感謝しております。
宗教が日本に於いて全盛期に日蓮が誕生し、全ての災難の原因が宗教の乱れにあると結論づけたことは、科学が未発達であったがためにおける日蓮の言動であったと私は考えている。
もし日蓮が現代に生まれていたら科学的成果を上げ宗教とは全く縁のない生活を送っていく人であろうと考える。
それほど宗教は害悪の根源なのである。
西洋で科学が主流になった原因は幼稚な悟りの無い宗教ばかりであったからである。
日本の宗教事情は仏教を権力者が利用(無知な人を題目、南無阿弥陀仏と唱えれば西方十万億土にある理想郷に生まれることができる)とすることで人心を掌握するために、人の心を現実から遠ざける必要があったからである。
日蓮が迫害されたのは、権力者が掌握しにくい教えであったからである。
私は日蓮が悟っているとは思えないのである。
この人は幼き頃に「日本一の知者になしたまえ」と誓願したことをもって今でいう学者気質に感ずるのである。
仏法を勉強して鳩摩羅什の法華経漢訳を採用しても御書(法華取要抄)の中で鳩摩羅什は広を捨て略を好んだ。
日蓮は広も略も捨て、肝要つまり上行菩薩が釈尊から伝えられた妙法蓮華教の五字を取るのである、と言っている。
この法華取要抄での日蓮の言動は鳩摩羅什の法華経漢訳がどの様な経緯を持って妙法蓮華経と法華経二十八品の序文に書かれてあるのかを知り得ていないのである。
サンスクリット語には「妙法蓮華経」は書かれていないのである。
日蓮は最大の学者である鳩摩羅什を自身の願いである上行菩
薩は自身であらねばならないに固執して己の偉大さを後世に残すことによって、 “法によって人にあらず” を認めず日蓮=人本尊を開目抄で日蓮は法華経の行者であると認めているのである。
法華取要抄の中の・・・・(釈尊から伝えられた妙法蓮華経)・・・・と述べていることで日蓮は法盗人であるのである。
日蓮の教えを根本思想に据えると教団(創価学会)の組織の役職に権限があることが理解する様になり、活動家はお互いに競うことになる。
今、自身がどの様な役職であるかが最も会員の関心事であり、折伏の数、聖教新聞の推進数、会合参加数、どれをとっても成果主義を洗脳してゆくのである。
この成果主義は日蓮の「広宣流布しなければ仏国土が築くことができない」とする号令が根本にある。
創価学会が教育者である牧口氏、戸田氏より起こされた経緯は至極当然の事なのである。
教育者になると脳は人間とは何か?人を育てるにはどの様な教材が必要なのかを考えることになる。
当時は国家が神道を根本に国民を洗脳してきた。
宗教の時代であったのである。
必然的に正しい宗教を教育者は求めることとなる。
また戦争に負けたとはいえ国民は天皇を崇拝している。
神社は日本人のDNAに何代にもわたって認知され続けてきている。
祭り行事は絶えることなく現代も受け継がれ、外国人からも日本を知る教材になっているのである。
未来を変えるものは国際交流にある。
また新しい文化の国際化標準の構築にある。
それは固定化をはかる物では決してないのである。
宗教の祈る行為は全人類の行動であり、その内容たるものは普遍的な同じ内容なのである。
その内容は知識で得るものではなく、誰に教わるものでもないのである。

人間の右脳は「神(宗教・全知全能)の存在を認め、太古から仲間との共同生活を欲する意識が生まれる神経細胞なのである。ある意味穏やかな心を生む場である。」
欠点は宗教の教義に洗脳されやすい場なのである。
一方、左脳は五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)から入ってくる情報を集め分析する機能があり、科学的に物事を処理するための場なのである。
現在の科学成果は左脳の働きのおかげである。
よって宗教の教義が完成した時代の知識、特に日蓮が釈迦の仏法を学んで日蓮が大人になって様々(天変地異の原因)な出来事を法華経に説く末法時代は上行菩薩の出現により人々は救われるとする、
予言に「我こそ上行菩薩なり」と宣言して経文の通り日蓮が難にあったことで日蓮は佐渡流罪以降、己を仏と同格に位置づけどの様に今後振る舞えば人々を救えるかを模索していったのであった。
この日蓮の修行は釈迦仏法の予言を基としている。
仮に釈迦の教えが100%弟子達に伝わって法華経が完成されたとしてもその教えの内容は科学では扱えないある意味、空想小説の域を出ていない物語なのである。
興味の有る人は法華経の現代語訳された本を読んでください。
日蓮正宗の勤行の際に方便品と寿量品を読誦することで法華経の真髄に毎日浴することで自身の生命に活力を与え続けることが末法(現代)における修行であると位置づけているのである。
ここで日蓮の御本尊に書かれてある内容を日蓮の手紙「日女御前御返事」を通じて知ろうと思う。
「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・その外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚痴の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・しかのみならず日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・・・(省略)・・・此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」
人は寿命がある。日蓮自らの悟りを本尊で説明し仏である「南無妙法蓮華経」に向き合うことであらゆる人の身体と心の調和をはかる法則、「九界即仏界」「仏界即九界」の生活を実践する以外に「遊楽なきなり」と結論を述べたのである。
私も幼き頃からおやの信仰を見て、九歳の頃には父も次女の死を経験して父自身の努力の結果が次女の死をもたらしたことを反省し創価学会に入信したのである。
我家で座談会を開く事が定着し、私自身自然と会合に魅力を感じ兄弟の中で長男と私が共に男子部員となり、会合に参加していた。
当時の役職名は隊長・分隊長という呼び名のついた軍隊さながらの厳しい組織活動であり、男気を感ずる会合であったのである。
組織というものは常に社会の影響を受けて時代にあった言葉使い、躾が施されるのである。
今の日本は、人権の尊重が基本に据えられ、福祉・男女平等・性の多様化を認め差別のない社会を目指し教育が施されている。
創価学会がなぜ会員数を減らし社会からバッシングを受けるのか、この原因を整理することなくして社会から認められることはないのである。
私は長年この組織と関わり合ってきて問題点を把握している。

第一の問題点、宗教法人であること。
日蓮の教義に関わり合って誕生した組織であること。
1930年11月18日に牧口・戸田の両氏が協力し合って「創価教育学会」の名称で発足された。
思想というものを受け入れる人、特に大衆は社会情勢に敏感である。
昔から“10年ひと昔”と呼ばれてきた。
経済は2年から3年、売り出した製品に利益を生む力がある。
大企業は開発に投資しているのでお金が残っておらず、製品は下請の中小企業で部品を作らせ、大企業はギリギリの値段でその部品を買い取る。
小売値は、大企業の次の製品の開発費・その他の経費を上乗せした値段になる。
高度に発達した経済は、製品の販売が価格競争で決まる時代に突入した瞬間、日本の大企業は賃金の高い国内製造を諦め、海外の生産コストが低い国へ投資したのである。
当然、国内の中小企業は倒産した。
なぜ私は経済を延べるのか?
答えは宗教で説く教義(教学)は創価学会が日蓮仏法を採用した時点で賞味期限が宗教にもあるということが牧口・戸田・池田の三氏、いや本家本元である日蓮を含めて知らなかったということである。
宗教は人間の右脳の好みである。
右脳は常に安らぎを求め、他の動物と共存し生きるために日々行われる狩りを認め、不必要な争いを止めようとする意識を発する場なのである。
左脳は、欲望が常に沸き起こる場なのである。
他者と利益を奪い合う知恵を出すところである。
人間の戦争という行為は左脳の好むところなのである。
宗教と科学・平和と戦争の根源は脳の存在、働きがあったが為に起こる現象なのである。
現代は、左脳で生活している人が大多数なのである。
右脳を使用する機会は減少し、お金儲けの為にゲーム機、アニメ、ギャンブルに依存させられ、ストレス軽減の為にアルコール飲料のCMが薬のCMと肩を並べる一大産業になっているのである。
この時代に日蓮の仏法は見向きもされないのは、当たり前なのである。
創価学会は日蓮の教えの中の“都合のよい言葉”を教学試験の問題に採用して未だ、時代に逆らう真実ではない(科学的ではない証明不可能な日蓮の地涌の菩薩論を出題しているのである)。
この原因は創価学会を運営する幹部達が若かりし頃より先輩の洗脳教育を受けてきたからである。
ハッキリ言って幹部達の右脳は日蓮の言葉に洗脳され、広宣流布しなければ真の平和が築くことができないのだと、左脳より右脳から発する意識に思考が偏っているからである。
一般の会員は聖教新聞の記事に多くの人は関心は無く、一人一人別別の理由を持ち創価学会の行事に参加しているのが実状なのである。
私は、創価学会の三代の会長が日蓮仏法に出合い、師弟という間柄に生まれた運命の根本は「宇宙生命の進化=エネルギーの進化性」にこの三氏が、数打って誰かが誕生させられ、その後、時代の要請と互いの意識の働きにより牧口と戸田が出会い、次いで池田が戸田の魅力にひかれ日蓮仏法と出合い現在の創価学会になったと考えている。
第二次世界大戦で日本は神国であるとする宗教政策が破綻したことをもって“死に体”であった日蓮正宗は、かつて謗法論を唱えていたお蔭で復活を果たしたのである。
日蓮が没して約660年経って長い眠りからやっと日の目を見ることになった。
そして謗法論だけでなく末法論(釈迦仏法で救済できない時代)も日蓮の説く下種仏法論(末法に生まれる人々は寿量品文底下種の南無妙法蓮華経でしか救済することができない)とする教義である。
祈りが叶うのは対象物に願をかけるからではなく願う意識を発するからである。
また願う意識が強い程、意識のエネルギーが強くなる。
日蓮が「南無妙法蓮華経」と唱うる他に遊楽なきなり・・・・、信のみよく入る等の言葉は願う意識が他の意識よりも強くなるからである。
そして、普通の人達は日蓮の言葉通り実践すると心が落ちついてきて悩みも少しずつ深刻に感じなくなり前向きになってくるので、これが功徳であると思い日蓮の教えが正しいと考え始めるのである。
そして教学なるものを創価学会は試験を実施し、さらに会員を洗脳していき、「進まざるを退転」「たゆむ心あらば魔たよりをうべし」と矢継ぎ早にたたみかけてくるのである。
そしていつの間にか折伏が楽しくなり、仲間が増えることが楽しくなってゆくのである。
気が付けば家庭を顧みなくなって大事な親子の触れ合いが少なくなっている事に気がつかなくなるのである。
人類は昔から仲間を作り協力しあって生きのびてきた。
戦後、創価学会も宗教という死者を弔う人間の情(悲しみ)につけ入って戦争で子供を亡くした母親達が新興宗教に入っていったのであった。
現在とは状況が違うのである。
冷静に考えれば人間の1日の生活は労働(自由のない拘束された時間約3分の1である8時間)、食事、身のまわりのケア、睡眠で約8時間〜10時間、残りがストレス解消の自由時間等の繰り返しを一生送っている。
ほとんどの人はこの人生に流されて一生を終える。
途中、人生を考えるが能力が劣っているので答えは出ない。
創価学会員は、日蓮と池田氏の思想を学習させられているので理想主義者にならざるを得ない。
日蓮、池田氏の考え方に賛同していなくても会合に参加したことで聖教新聞は集まった会員を同じ考え、同じ行動をしている人として取り扱って報道している。
この聖教新聞を読んだ第三者は書かれてある内容に感動して、「これだけの若者が平和主義者を社会変革を推進している」と捉えるのである。
この新聞は会員の心の状態をひとまとめにする(真実を知ろうとしない、現場の会員と会話無しの情報なのである)。
あやつられた真実でない報道を毎日たれ流しているのが聖教新聞の実態なのである。
この様なことだから創価学会は毎年会員数を減らすことになるのである。
学会の中枢部は広布部員(財務)からお金を集めている。
大企業になった創価学会は資本主義を今だに信奉し財力=公布の進展だと勘違いしている。
お金に頼る布教は外見を気にして心をないがしろにしている姿で本来の悟りを目指す修業に取って変わって楽な方法を選んでいると言える。
なぜ創価学会は楽な道を選ぶのか?
折伏もただ号令を掛けるだけである。
毎年会員が減っていくのをただ見ているだけ、難にあっていると解釈している。
会社であればとっくに倒産しているのである。
ここに宗教というものが力がない存在であり、戦後の混乱に乗じて無学な人々を「運命」と「宿命」というあいまいな概念に引きずり込み、この原因を日蓮の(正しい教えに背いているから難に遭う)謗法論を信じ込まされ今日に至るのである。
戦争という時代は一国が平和を貫いたところで無事何事も無かったかの様にはいかないのである。
そして、創価学会が日蓮の教えを布教しても拡大は止まり、2世・3世が引き継ぐことへと発展しなかった原因は、日蓮の未来展望にあやまりがあったと言うべきである。
日蓮の考えのバックボーンは法華経の予言である。
「南無妙法蓮華経」とは何かを考え、日蓮は誰にでも分かる様に「仏」であると教えた。
戸田氏は「仏」を現代人に分かる様にそれは「生命」のことであると実体験を述べた。
しかし、これ以上の発展へといかなかったのである。
戸田城聖が創価学会第二代会長に昭和26年5月3日就任された年8月24日に私は生まれた。
そして19年後にデカルトの「我思う、故に我在り」意識=我であると定義している。
この命題を、私はより深く思索することで意識の根源である我「全ての人間が持っている無意識層にある我」の実体へと入り込みこの「無意識層にある我」が宇宙生命の我と同じであると発見し全ての我は同じであると覚知した瞬間「南無妙法蓮華経」が文字となって眼前に現われ、ほぼ同時に「悦び」が体全体から溢れ出してきて死も喜びに変わっていたのであった。
この体験により、「南無妙法蓮華経」が日蓮の宗教枠だけでなく科学的枠からも「南無妙法蓮華経」が証明され「南無妙法蓮華経」と唱える対象物(御本尊)だけでなく「南無妙法蓮華経」と唱える行為に「宇宙生命の名称である南無妙法蓮華経」と同じ意識に自身の我は交流することが出来ると言うことになるのである。
宗教では無いので偽本尊とかを争うこともなく、教義もいらない、法華経という経文もいらない、組織もいらない、お金もいらない、要するに「悦び」を生きている間に体験したいと思う純粋な意識だけが悟りを得る方法だということである。
人前に出て自身の我を多く主張するのが好きな人は死にゆく過程で宇宙生命をふる里に帰ったときに“やすらぎを感じる”ことが出来ても「悦び」を感ずることは不可能である。
できる限り若い年齢の時に「南無妙法蓮華経」と唱え、私の「意識の働きであなたの未来は決まる」を熟読することを勧めたい。
日蓮の御本尊に題目を唱えると自身の欲望を叶えてくださいと祈ることになり利己的な我を育てることになる。
また自身の願望は願が叶えば叶うほど「第六天の魔性(他の意見を聞かない独裁者の権力欲)」を引きずり出すことになり、やがては己の権力欲に負けて自ら身を亡ぼすことになるのである。
池田氏がその見本なのである。
今は池田氏の功績を認めなければ創価学会の存続が危ぶまれ
ることになるので池田氏の欠点に目をつぶっているのである。
池田氏の著書「人間革命」「新・人間革命」は軽々しく批評することはできない。
この本を理解するには、日蓮の思想(御書)を学習して創価学会に入信して組織活動を実体験して、創価学会の活動時期、すなわち入信者への指導形態の歴史、信者の生の意見を当事者と同じ時期に参画していて創価学会は何をしてきたのかを正しく、他の信仰していない人達に説明できる人が必要である。
私の住んでいた近所は(9軒中4軒が創価学会に入信)していたのである。
他の信者ではない家の様子はテレビを見せてもらった時に他の家族と交流できたのであった。
他の人々と交流することは何をもたらすのであろうか?
私は、幸せな世界を作っていると感ずるのである。
人が幸せを一番感じるのはウソをつく必要のない間柄が構築できている時である。
無防備で会話できる人を人は求めているのだ。
それはその様な人を得ようと欲する意識を日々構築してゆく場が必要なのである。
創価学会が1970年頃から地域単位で座談会を開くことに組織活動を変更した。
それまでは折伏を通じて入信した人の集まりで座談会を実施していたのであった。
この集まりは地域が広範囲であって広布の目的を完成させるには活動を足元で行われなくてはならない。
この考えを実施することで町内会に新たな組織(総B・大B・B/B=ブロック)が生まれた。〈現在は組織の名称は変わっている。〉
私は6歳の頃より創価学会の活動を見て育ってきた生粋の会員である。
高等部の時には未入信の学友や近所の幼友達を学会の会合に誘い折伏も行ってきた。
当時、社会は創価学会員を認めていなかった。
私は就職試験で「あなたの尊敬する人は誰ですか」という作文を書かされた時、池田大作氏のことを書いたことで採用不合格になったのである。
韓国に入国する学会員はキリスト教と書いて入国していた。
日蓮正宗と書くと入国できなかったのである。
その後、会社にしても韓国に入国しても差別は無くなっている。
第40回本部総会(1979年)にて、池田氏は創価学会の折伏という拡大路線を公布の活動の中心にするのではなく(学会活動を中心にしない)社会で如何に有能な人材となって信心の実証をを示していけるかが今後(200年後の学会の姿)の創価学会の活動方針である。
このことは、学会活動は組織ではなく個人の生き方に依存しなければならないことになり、真の広宣流布とは「南無妙法蓮華経」と唱えている者の社会で勝利した姿を示すことである。
今後は拡大は止まるが忍耐の心を持って皆で励まし合って進んでくださいと池田氏は願ったのであった。
如何にも理想主義者の方針転換であったのである。
私はこの方針転換は広宣流布のバスが高速道路で急ブレーキをかけ横転して、安全だと思っていた信仰宗教生活が、
たった一人の権力者の動揺(日蓮正宗より信徒の代表者の座を罷免されたこと。)(第三代創価学会会長職を退任したこと。)
今まで池田氏の計画通りに会員を操作してこれたが、それは側近の協力があってこそ可能であった。
しかし、わがままな池田氏の言動に腹を立てた側近が日蓮正宗側についたことで、池田氏の最後の大仕事(日蓮正宗の僧侶を創価学会の配下に置く)は叶わなかったのである。
当時、私は27歳9ヶ月で広宣流布活動を自身の脳内に構築してから10年を経過していた。
関西は、朝勝ち・昼勝ち・夜勝とうと一日18時間戦っていたのであった。
しかし、鶴の一声(池田氏の発言)で関西の男子部の活動はピタリと止まらされ学生部の人達を幹部に登用し、以前池田氏は学生部に対して“座して瞑想に更けるより、祈って動いて話しなさい”と檄を飛ばして嘆いていたのに、動かぬ幹部を組織に敷いたので昭和54年から男子部の崩壊が始まったのであった。
総会の池田氏の話によって関西の活動は人材、将来社会で重要なポストにつくであろう人(←会合には出ていない学会員の子供達は重要人物なのである)、要するに学歴を人材の柱とする考え方を活動家に押し付け、世間に創価学会はこれだけ有能な人材が育っているのだと見せつけたかったのである。
この方針転換を、池田氏は権力をもって関西の大幹部に男子部の崩壊につながることが分かっているのに実施させたのである。
このあたりから池田氏の指導者としての無能ぶりを露呈し始めるのである。
池田氏の「人間革命」は非現実であったと池田氏自身の振舞を通じて「宗教」の教えにも空しくなり、「南無妙法蓮華経」と唱えても創価学会が虚構の団体であったと未来の人達は評価することになるのである。
「南無妙法蓮華経」の実体を知ることなくして「宗教」という虚構の枠組みで約95年間捉えていても学会員の長年の目標(広宣流布の実現)は絶対に不可能である。
なぜならば人類は弱肉強食という法則で生かされているからである。
この法則を理解するために私はこの本「意識の働きであなたの未来は決まる」を書きあげたのである。
この本は全人類が熟読して初めて生き残ることが可能となるのである。
創価学会の幹部は特に熟読しなければ世界の人々を救うことは不可能になるのである。
長年宗教に洗脳されてきたので脳が痛くなり日蓮の過った考えに毒されてきたので私の説く題目塔に坦々と唱題をする行為に反発するでしょう。
残された人生は如何程も残っていません。
勇気を持って行動に移しましょう。

 

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