誕生日 | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

誕生日

今日 3月4日は 私の誕生日だ。

 

ついについに バカボンママ!!

41歳の春なのだ!クラッカークラッカークラッカー

 

でも 大台をこえた衝撃の1年前とは違う。

年を重ねるのって 結構悪くない・・・にひひそんな風に思う今です。

 

狭く限られた世界だけれど 楽しく面白く生きていきたいという気持ちは ますますアップ。

ただ腰の痛み・・・

体の変調

ラジオ体操の必要性を痛感する自分を否めませんが・・・・ガーン(あぁ~ スキー疲れも・・・)

 

 

誕生日の今日は

どうしてもどうしても記事にしたかったこと しなくてはいけなかったエピソードをご紹介音譜

 

 

なぜ ここのところ 

私が前世だのなんだのと いつにない勢いで記事を書き続けたか・・・

 

 

すべては 誕生日にこの記事を出したいという思いからです。

 

ちょっと長くなるけど おつきあい下さいべーっだ!

 

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私を「ぱいれーつ」と診断してくれたO先生。 

(前世診断 その1

                   

昨年秋

私はO先生から呼び出しを受けていた。

 

 

 

 

 

夏の終わり

 

私は友達を一人連れてO先生を訪ねていた。

先生とは1年ぶりの対面。

 

 

あの震災から 半年が過ぎようとしていた頃だった。

友達の「リーディングセッション」が 和やかに終わり 先生の「今」の話をきいていた。

 

 

先生の本業は アロマテラピスト。

 

 

被災地支援にもとても積極的で 

手作りのアロマキャンドルを送る活動や 

こちらで避難生活をされている福島の方々を公民館に招き

アロママッサージをして 一時のリラックスをしてもらうボランティアもしている。

 

また被災地に直接足を運び 

被災者の方にハンドマッサージ等の技術を指導されている。

被災者の方が 自分達自身でケアしあえるように・・・

 

 

先生は対岸の火事ではなく

常に自分に何ができるか問いかけ 動き続けている そんな大きな方だ。

 

 

 

 

そんな先生が別れ際に言った。


「被災地の子ども達を招いていろいろ活動したいと思っているの・・・

とっティーさん 

よかったら協力してくれる・・・??

今度 ゆっくり話したいから近いうちここにきて・・・・」

 

 

 

 

 

何かできることはないか・・・・

能力のない自分だけど 何かできないか・・・・

何もできないことが歯がゆい自分がいつもいる。

 

 

 

 

正直 私なんかなんの役に立つのだろう?と思いつつ 声をかけてもらったことが嬉しくて

私は すぐに先生を訪ねた。

せんせー

私ができる被災地支援って何ですか!?

 

 

 

 

 

 

喜び勇んで先生の元へいくも 

先生から被災地の「ひ」の字も出てこない・・・

 

 

 

 

えっ?

 

一体なんなんだ。

どうして 先生は私を呼んだんだ・・・!??

 

なんだか とっても拍子抜け。

 

 

 

 


「いやぁねぇ・・・ この前あなたに会った時から

 ずっとずっと胸がざわざわしてるの・・・

 なんだかわからないんだけど 

 ずっとざわざわしているの・・・・

 あなたに何か伝えなくちゃいけないことがあるみたい・・・」

 

 

予想だにしない言葉が先生の口をつく。

 

 

 

 

 


「あなた いつも人のために人のためにって生きてるでしょ・・・」

 

いやいや そんなことない そんなことない自己中女ですあせる

 

 

「私の元に人を連れてきてくれたり 

人を紹介してくれたりしてるけれど

あなたは以前話をして以来自分のことをみて・・・と

ここに来てないよね。

 

 

こうでも言わないと あなたは自分のためにここにくることはないって思ったから

あんなこと言ったの。

 

ずっとあれからね なんだかザワザワしてるのよ・・・・。

なんなのか 私にもわからない。 

でもそれをはっきりさせたくて じっくりあなたと話したくて ここに来てもらったの。」  と先生。

 

 

 

 

何がザワザワしてるのだろうか??

 

 

 

今 これといって悩んでいること 困っていることなどない平和な私なのだ。

 

 

 

 

先生は ぽつりぽつりと続けた。


「とっティーさん

あなた人のため 人のためって無理してない??

ブログもかなり無理して 人に喜んでもらおう 笑ってもらおうって

頑張ってない・・・??

 

う~ん なんていうか自己犠牲精神っていうのか・・・・」

 

 

 

 

えっ??

何を言うのだ この人は!??

 

 

 

私は自己犠牲精神などもって ブログを更新しているつもりなどさらさらない。

 

何よりも自分が楽しいから 書き続けているのだ。

自分が楽しいと思うことを絵にして文を重ね それが嬉しいのだ。

 

それで皆さんも喜んでもらえれば さらにさらに幸せなのだ。

 

 

いつになく不快感をはっきり態度で表した私・・・


先生!!

そんな気持ち さらさらありませんよ!!

 

 

 

 

 


「気を悪くさせてしまったら ごめんなさい・・・

でもね・・・自分でも何でこんな言葉が出るのかわからないの・・

こういう言葉が出ちゃうってことは

きっと あなたの生い立ちとか 

そういうことにも関係してくるのかもしれない・・

 

よかったら あなたのこと話してくれないかな・・・」

 

 

 

 

私は話し始めた・・・

 

 

 

 

 

自分が女二人姉妹だということ。

小さな建築業を営む父親と その父を支えた母親のことを 家族の話をしはじめた。

 

 

真面目でしっかりものの美人の姉

 

 

そして「忘れ物チャンピオン」「遅刻チャンピオン」 

三枚目に生きてきたどうしようもない自分を

大らかに愛情をこめて育ててくれた母・・・

ハラハラしつつも 見守り続けてくれた母・・・

 

 

 

 

以前ブログに書いたが

母は小学校一年生の時、 原爆をうけ まだ生後間もない妹と そして大黒柱の父親を失い

広島から 祖父母の郷里の千葉県九十九里のいなか町に引き揚げてきた。

 

田んぼを耕し 女手一つで子ども4人を育てる祖母。

 

 

当時の田舎の集落では本当に珍しく上級学校に進んだ姉弟達・・・

 

 

一番上の姉は小学校教員

 

2番目の姉は上京し 東大系列の看護士学校を卒業。

そして下の弟は国立大出身の技術者。

 

 

勉強ができ 

器量もよく面倒見がよかったと評判だった母。

 

 

今でも叔父は

「3番目の姉ちゃんは美人じゃなかったけど一番できたんだよ。小さな子ども達の面倒もまとめてみるような 本当にいい姉貴だった。

だけど下におじさんがいたからあきらめたんだよね・・・進学することとか いろいろ・・・・」

そんな話をよくしてくれる。

 

 

 

母は外に出たかった。

 

 

広い世界を見たかった。自由に歩いていきたかった。

でも 

女でひとつでふんばってきた母親を支えるために 地元に残り高校を卒業し農協勤め。

 

 

母は幼い私によく言った。

 

「あの当時は勉強ができても中学でおしまいの子がたくさんだった・・・

自分なんか高校出してもらえただけでもよかったんだ・・・」 と。

 

 

今になってその言葉は 

母が自分に言い聞かせていた言葉だったということがわかる。

 

 

 

 

 

私は自分の話ではなく延々と母の話をし続けた。

 

 

 

 

思いつくままに話続けた。

 

 

 

 

大好きだった母が17年前ガンに侵されていることがわかったこと

 

 

 

ガン細胞はすべて取り除けた。

 

 

だが半年間 はき続け 食べ物をまともにとり続けることができない。

 

食べられるよう腸の癒着をとるだけの2度目の手術にのぞんだ母。 

もう手術はこりごり・・・と厭々だったが普通の生活を送りたい・・・と手術室に向かった母。

 

 

手術が終わったら せんべいを食べたい のりも食べたい カーテンを取り替えたい。改築して部屋を広くしたい。 そう語っていた母。

 

 

 

 

 

だが ふたをあけてみると

もうどうにもならないほど全身にガン細胞が広がり 余命3ヶ月と告げられた私達家族・・・・

 

 

「できる治療は もう何もありません。

今かえらないと もうお母さんは家に帰ることはできないでしょう」

 

そう告げられ 母を連れて自宅療養。  

 

 

 

でも母は自分が元気になったから退院できるものと信じている。

 

 

 

再発を知らせるか否 悩みに悩み続けた。

 

 

 

看護休暇をとり 自宅で母と24時間過ごしていた私は 

母が私と目を合わせて話をしなくなったことが 何よりもつらかった。 

 

 

元気になるどころか 

日増しに嘔吐の量も増え 点滴だけで生きる日々。

 

 

何も知らせないで残された時を過ごすよりも

本当のことを知りたい それを母が望んでいるかもしれない・・・

 

 

 

「あなた達が おかあさんを支えていけるのなら大丈夫。 お母さんは気丈な方です。 

私が伝えます。今すぐお母さんをボクのところに連れて来てください。」

と主治医。

 

 

 

そうして姉と二人 母を主治医の元に・・・

 

 

ふくよかだった母

でも一年で体重が20㎏以上減り 切り干し大根のように小さなくなった背中。

 

 

 

「私達には もうあなたにできる治療はありません・・・」

 

「私には 何ができるんでしょうか・・・」

 

 

「あなたにできることは二つです。

たくさん笑ってください。

そして自分が生きていないとダメなんだ!と

自分にプレッシャーをかけ続けてください。

それがあなたにできることです。」 

 

 

 

二人の話が終わるや否や 

車を動かしてくる!と 外に飛び出した姉。

 

 

 

 

そして残された私・・・

いったい母に どんな言葉をかけたらよいのだろう・・・・

 

 

 

二人病室をあとにし まっすぐな廊下を歩く。

 

 

 

しばらく沈黙が続いたあと母が

 

「おかあさんにとってのプレッシャーは・・・

あなた達の子どもが中学生になるまで面倒みること・・・

 

おかあさん 頑張るよ・・・・」

 

 

 

 

 

「生きてね! 

今 結婚の「け」の字もないけど

お母さん!! 

絶対 頼むから私の子どもが中学生になるまで面倒みてね!!」

 

 

 

 

「必ずみるよ・・・・」

 

 

 

あふれそうになる涙をこらえながら病院をあとにしたこと・・・

今でも 昨日のことのように覚えている・・・・

 

 

 

 

すべては人・・・

 

 

自分よりも人・・・

人のことを思い 自分を後回しにして生きてきた母・・・・
 

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「わかった!!

おかあさんだ! おかあさん!!天国のお母さんよ!

 

おかあさんが見てるんだよ!!

ブログ見てるんだよっ!!

 

ブログ見てるってこと 応援してるってこと

知らせたかったんだよ!!

 

 

 

 

お母さんねぇ~

 

 

 

こたつに入ってテレビみてるの!

 

小さなお湯のみもみえるね・・・ お母さん お茶好きだったでしょ!!

テレビは昔ながらのやつ

そのテレビにうつってるのが 「ぱいれーつブログ」

 

それをお母さん 笑ったり うなずいたりしながらみてる!みてる!!」

 

 


「お母さん いってるよ!!

 

『私が読んでるんだから

子ども達が中学生になるまで ブログかけ!』って!!

 

 

おかあさん

ちゃんと顔はみえないんだけどねぇ・・・・

 

 

面白いよ・・・・

 

 

こんな画像がみえる・・・

 

 

 

白黒テレビのようなものでね

真っ黒な画面に 縦の白抜き文字で

 

 

 

 

「ぱいれーつの一番のファンは この私・・・・」

 

「この子が子どもの頃からの私はファン・・・・」

 

「この子の面白さは 私が一番知っている・・・・」

 

そう きっちりとした文字がみえてくるよ・・・・」

 

 

 

 

そうなのだ。

こんなどうしようもない私だけど 母の葬儀の時 

 

「あなたが次女のとっティーちゃんなのね・・・」

 

とどれだけの おばさま方に声をかけられただろうか・・・・

 

 

おかあさん

きっと こんなことが伝えたかったんじゃないのかなぁ


私もブログやってるからわかるけど

毎日更新するって 結構大変なんだよね・・・・

 

で誰が読んでくれるだろう

 

どれだけの人が読んでくれてるのだろう・・・・

公に更新する分 そんなことが気になってきちゃう・・・・

 

 

 

 

でも

誰がどう思うとかそんなの気にしないで

あなたの心の思うままに 私のために書いて! 書き続けて!!

子ども達の成長を知らせてちょうだい!ってお母さんは言ってるよ・・・・。

 

 

 

 

 

 

あはは 笑っちゃう!

 

 

 

 

おかあさん 結構控えめそうだけど出たがりじゃなかった??

 

 

言ってるよ~おかあさんが・・・・

 

 

 

 

今日のこの出来事 

 

私のことを ブログで書くように・・・・ って!!

 

 

 

わかった??

お母さんからの言葉だからね!!伝えたよ!」

 

 

 

「あ~すっきりした~ 

本当にすっきりした~

伝えられてよかった・・・・」

 

と しばし先生も興奮気味。

 

 

 

 

「この言い方!この感じ! ほんと うちの母ですよォ~

ずっとみててくれたんだ・・・

ちゃんとみててくれたんだ・・・・

嬉しい・・・・ 本当に嬉しい・・・・」

 

 

 

 

 

静かな秋雨の降る金曜日・・・  

先生と私は始終 泣き笑いしっぱなし・・・・

 

 

 

17年間ずっと会いたかった・・・

 

 

ずっとずっと会いたかった・・・

声をききたかった 

話したかった・・・・

 

 

母の声なき声を聞き  

私は久しぶりに大きく優しく温かな母のぬくもりを思いだしていた。

 

 

 

 

 

「ぱいれーつ」を母が見てくれている

 

 

 

読んでくれている

更新を楽しみにしていてくれている

 

天国の応援団長が そばで見守ってくれている・・・・

 

 

 

やっとかけたよ おかあさん!

 

 

頑張るね!おかあさん!!

 

 

私を産んでくれてありがとうね!!

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長い話

最後まで読んでくれて本当にありがとう。

 

 

天国の応援団長のためにも描き続けます。

これからもよろしくお願いしますね!