かわいくて、優しくて、文句のつけようもない妻の腕の中で、くつろいでいるあなた。

妻の温かい胸の中でかみしめる幸せは、本当にいいものです。

それから間もなくして、あなたはある美しい女性に、密かな思いを抱くようになります。

とはいえ、つける薬のない恋の病のために、今の生活を台無しにするなんてとんでもない。

でもそんな時に、三人が三人とも、幸せになれる方法があるとしたら?

これはお伽話でしょうか?それとも、本当に実現できることなのでしょうか?

夢というものはほとんど、そっと心の奥深くにしまい込んでおいたほうが無難なのです・・。

でも、やはり五月のある晴れた日、閉じ込められていた感情が轟音とともに一気に爆発します。

そうなったら、あなたの人生はもう二度と元には戻りません。

どうしたら、この地雷原のように危険な場所をうまく切り抜け、自分の夢を実現させることが
できるか?

現代の結婚生活は、今までになく強いプレッシャーのもとで営まれていますが、考えてみれば、
結婚という伝統的な制約や期待にがんじがらめに縛られながら、そのうえストレスの多い現代社
会の締めつけをまともに受けているのですから、当たり前の話です。

恋愛を楽しむ重要性が云々されている社会の風潮を横目に、既婚者は「不貞」というじつにありきたりの言葉で、すべての恋から締め出されるのです。

映画にもなった小説『危険な関係』が、あれほど爆発的な人気を呼んだ事実一つとってみても、結婚というこの古臭い制度への鬱積が、あちこちに充満していることは、火を見るより明らかです。

こんな状況ては、今のところは何事もなく穏やかに暮らしている人でも、そのオアシスにいつ
不倫の情熱が、華やかに、密やかに忍び込んでこないとも限りません。

死や税金ほど絶対確実ではないにしても、その時がきて慌てふためくのは同じです。

次があなたの番ではないと誰にいえるでしょう?

七色の虹が、いつあなたのベッドを襲うかは、まったく予測できません。

今、あ
なたは誰のことを考えていますか?

どこに、誰と一緒にいたいですか?

あなたの伴侶はどこにいますか?そして何をしていますか?

いいえ、むしろこう聞いたほうがいいかもしれませんね。

あなたの結婚相手は、今、誰と一緒にいるのでしょう?

不倫の恋はスリル満点で、どきどきさせてくれる極めて危険な冒険ですが、力には抗しがたいものがあると言えます。

ロマンチックな愛に飢えれば飢えるほど、愛し愛されることへの欲望がたかまってきます。

「点火することは、なにも特別な行為ではなく、誰もが持つ権利である」という考えが広まってきている現代ては、人はなにも結婚という枠にはまらなくても、豊かで変化に富んだ生活ができるのだと気づき初めています。

なかには、結果はどうあれ、愛と呼ばれる至福の瞬間をその時々手にすることができればそれで充分だ、と断言する人さえいます。

生真面目で退屈な人生を送っている人にとって、性的な喜びを得られるのは「結婚」という安
全圏の中においてだけです。

道徳的市民と呼ばれ、正論だけを重んずる人たちは、結婚生活を犠牲にしてしまうほどの、密かで、激しい欲求が存在することなど認めることができないのです。

たとえ認めたにしても、愛することの重要性と情熱を、たったひとりの人とだけしか分かち合え
ません。

なぜなら、「結婚」というこの非情な契約は、「伴侶以外の人はすべてあきらめろ」という意味なのですから。

例外はその伴侶が亡くなったときだけなのです。

不倫の恋の火は世界中に燃え広がり、今や多くの人たちが、圏、文化、時を越えて、不倫を楽しんでいます。

なかには、つかの間の気まぐれや、ちょっとした出来心もあるでしょう。

一瞬の快楽であろうと生涯にわたる関係であろうと、不倫はすでに一つの社会現象になっているのです。

眉をひそめ、腹を立てる人々がいるにもかかわらず、不倫は信条を越えて、じつに当たり前のこ
とになってきているのです。

息も止まるほど素晴らしい夜を過ごしたあとには、「セックスだけが不倫のすべて」と考えがち
です。

たしかに、そう信じている人もかなりいます。

不倫とは、気まぐれで、無責任で、危険な結婚外のセックスを経験するだけのことだ、と。

不倫において、セックスが重要な役割を果たすことは否定できませんが、それは恋人同士や新婚の人達が味わうセックスとほとんど変わりがありません。

関係が長くなればなおのこと、幸せな夫婦の性生活と同じような意味しか持たなくなってきます。

むろん、不倫のセックス特有のうしろめたさが魅力的なのは認めますが、そんな魅力はあっという聞に色あせてしまうでしょう。

それにとって代わる、もっと別の面での関係をお互いに深めていかないかぎりは。

不倫はその性質上、関わってくるすべての人を傷つけます。

ですから、嫉妬や罪悪感がついてまわるのは当然です。

単に「不品行」などという言葉ではかたづけられない、人間の最も深い感情に触れるのでその行為を隠しておくために、道徳的な非を重ねて犯すことにもなります。

そこには私たちを愛し、気づかつてくれる人々を破滅させてしまう落とし穴が、数限りなく潜ん
でいます。

犠牲者は大抵、裏切られた配偶者、恋人、子供、家族、友達なとて、過ちを犯したあなた自身がかなり深い傷を負うのは言うまでもありません。

そのうえ、長い結婚生活を続けるうちには、かなりの数のカップルが配偶者以外の人との性関係を持った経験があるという事実にもかかわらず、不倫に対する世間の風当たりは、まだまだきついものです。

「偽善だ」とわめいてみても、現実はそう甘くないのです。

不倫の恋を無難に楽しむために大切なことは、犯す罪を必要最小限度に抑えること。

そのためにはどうしても、配偶者、また状況によっては他の身近な人をだます必要性が出てきます。

互いを破滅させるような争いを避けるためには、他に方法はないのです。

思いやりを持つこと。

最も大切なのはそれです。

したいことをするためなら、平気で人を傷つける。

これは、人聞として最低なだけではなく、もう犯罪とさえ言えます。

でも、許きれないことをするからこそ、なるべく人を傷つけないよう、細心の注意を払うのだとしたら?行為自体はともかく、人聞としてはまだ魅力があるのではないでしょうか?

あなたを愛し、気づかってくれる人に対して残酷になることなしに、人生を十二分に楽しめるというわけです。

人生を思い切り楽しめる人はそう多くはいません。

だからこそ、それを可能にするためには知恵が必要なのです。

現代では多くの人々が不倫の恋を楽しんでいます。

「お菓子は食べればなくなる」つまり両方を同時に予に入れることはできないと言う意味の諺は、道徳家たちによって吹聴された残酷なプロパガンダにすぎません。