その2 職人企業の基礎造り
起業した年から翌年にかけて4人の大卒作業員が入社し、企業の『格』を固め、さらに国立K大学生十数名をバイトとして登録させた。この大学バイト生は卒業順送りで現在も続いている。現場で汗を流し現場で何かを掴め、自分の給料は自分で現場で稼いでこいっ、事務処理は早朝か夜にしろ、徹底した『現場主義』を彼らに叩き込んだ。忙しい時は1人の社員に2人のバイト生を付ける。そうした方法で大小数多くの現場を消化していった。
俺を頭(かしら)に会議をする。ああして、そうして、こうすれば、どうにかなるだろう。といえば翌日何とかなりましたという返事が返ってくる。あの一件はどうなっている?と、尋ねれば、先日処理しました。と、いう返事が返ってくる。俺が何を言いたいのか、俺の目を見れば、起きている問題と、どう向き合わなければならないのか、そして、その処理方法はどうしなければならないのか、元請けやお客様に対して、どう応対しなければならないのか、それを一つ一つ云わなくとも、入社したその月から彼らは対応していった。
つまり『あ・うんの呼吸』だ。それが取引先や業界に評判になり、九州一円仕事も増え、数年で業界トップの座を得た。
その当時からの俺の口癖は、頭下げて営業はするなっ『技術が営業』だからなっ、現場に良い仕事を残せっ、そうして現場での技術研究の発表会を年一回行い、忘年会の時にその成果と技術開発に敬意を表し記念品を贈呈した。
彼らは、優秀な『人財』であった。彼らが我が社の基礎を造った。と、云っても過言ではない。
だが・・・・
1980年後半、彼らが入社して7・8年経った頃
バブルが崩壊した。
つづく
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