1年が経ちました | 人生ここから、今から…重症筋無力症、潰瘍性大腸炎との生活日記

人生ここから、今から…重症筋無力症、潰瘍性大腸炎との生活日記

voleです*ˊᵕˋ)੭
重症筋無力症と潰瘍性大腸炎の共存生活。
自分で動けないからって諦めずに、頑張ったなって本気で言えるように、生きていきたい!

おはようございます
voleです*ˊᵕˋ)੭


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昨年7月。三連休の最後の朝。

洗濯しようと起き上がり、洗濯ONしたところで
急に息が苦しくなって、胸がキュッと締め付けられるようになり、苦しくなってきた。

これは、何か変。

すぐに、近くの病院へ行こうと思ったけど
あっという間に体が動かせなくなり
どうにか、救急車を呼んで病院に運ばれました。


その日から、この入院生活が始まりました。


そして、一年。

いよいよ、二年目に突入です。


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病院へ運ばれたのは、朝。
いくつか検査しました。
そして、点滴して1日横になってた。


夕方になっても自分で起き上がれなくて

一晩休んで行きましょう

って言われたのが始まりの合図。


体も相当キツかったんで、
そのままドクターの言葉を信じて、
一晩だけならと言い聞かせて入院。

翌日から検査三昧アセアセ


足がどんどん動かせなくなる。
病室隣のトイレへ1人で行けても、帰りは1人で戻れなくなっていった。
行きはよいよい、帰りは怖い・・・


アセチルコリン受容体抗体が見つかり、
初めて 重症筋無力症 という病気を知った。

退院して家に帰るどころか、
医大を紹介された。


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医大には入院するつもりもなく行ったんですよね。
そして、駐車場で降りて、車椅子に乗るのが何だか嫌だったこともあり、ほんのちょっと歩いてみた。


ほとんど歩けなくなってたのに、
人の目が気になったのか、
見栄をはったのか、無理しちゃった。


足は、数歩で完全に動かくなりえーん
慌てて車椅子に乗った。

息が上がって苦しくて、外来へついたらベッドをすすめられて横になった。


そして、診察。
即入院って言われましたショボーン


1ヶ月以上の入院待ちになってるベッドも、
無理やり確保してもらったようです。


付き添って連れて行ってくれた息子と、まさかの入院話にあ然となったことを思い出します。


その時は、
車からおりて、
車椅子に乗ったら疲れなかったのに!!
入院じゃなかったのに!!
って、その程度の話をしてました(^_^;)


当初の入院予定も、2ヶ月。

それでも長いって、ビックリしてたのに。


血漿交換
ステロイド服用
IVIg
経鼻経管栄養
ステロイドパルス(ハーフ)
免疫抑制剤服用
尿バルーン


全く自分では動けなくなり、寝たきりになった。
個室へ移動。
モニターで常時観察される。



仕事も退職せざるを得ませんでした。

挨拶も出来ぬまま、退職したので、とても心残りになってます。


ひとりになってた住まいも、家賃だけ払うだけもったいないなくて、私の子ども達の力で、引き払ってもらいました。


入院している間に、
外の生活は一変です。


たくさん落ち込みました。

たくさん泣きました。

頭は、ハッキリしてるので、動けないのが悔しかった。

いっそ、頭までボケてしまったら良かったのに!
そしたら、こんな気持ち感じないで良かったのに!

なんて、イライラしてた日々もありました。


今は、頭がハッキリしていて良かった!と実感してます。
ハッキリしてるからこそ、嫌な思いも感じますが、逆に前向き考えて、頑張っていける!


病は気から。


ほんとに何度も感じてます。


それでも、再び泣けてきてどうしようもなかったり、イライラが止まらなかったり。
前向きに考えられたりと、その繰り返しですウインク


昨年11月に他の病院へ転院した時には、看護師さんのあまりの扱いに、大きく精神的ダメージを受けました。
泣いて過ごす毎日。
どこかで発散しなくては!と始めたこのブログで、たくさんの方に出会うことができ、助けていただきました。

今も、助けてもらうばかりです。

ありがとうございます爆笑



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先日、生命保険の方がみえて
こんな話をされました。

* 人それぞれ考え方あるので
ここは、ふーんって読み流してください。



病気になった本人は、つらいけども・・・

健康の大切さや、
当たり前のことが当たり前ではないこと、
人を思いやること

などなど

周りの人に伝えるため
周りの人に気づかせるため
周りの人に考えさせるため

私は、周りの人のために
病気になってこの役目をしてるって。


そうなのかなぁって思って聞いてた。

病気になって、人の役にたってるのかな。

病気になってからの変化について、考えてみた。


子ども達との絆は、強くなった。
これまでは、私が一方的に世話をしてたのに、逆転した。
子どもの成長が嬉しかったし、この子たちの親であることに感謝の言葉しか思いつかない。

疎遠になってた兄夫婦と連絡を取り合うようになった。
両親へ本音を語れるようになった。


共に勤めていた人々が、家族のように心配して世話をやいてくれる。
精神的にも助けてくれて、支えてくれる真の友だちが数人もできた。ありがとう。


上司の温かい心に気づかされた。
もう退職したのに、校長先生は、いまだにお見舞いに来てくれたり、先の仕事について考えてくれたりする。
教頭先生も、子ども達の様子を伝えてくれたり、ビデオレターを送ってくれたり、元気をもらってる。ほんとに嬉しい。
歓送迎会では、その場に私が居ないことが、なりより悔やまれる、もっと何かできなかったのかと挨拶の中で話されたそうです。
そして回復を祈ってるって。


子ども達からも、手紙や手作りの作品を何度ももらって、元気を取り戻させてもらってます。
そのお母さんからも、たくさんの子ども達に声をかけてもらって折ったという、心のこもった千羽鶴もいただきました。
今も頭元に飾らせてもらって、見るたびに感動してます。


入院してからも、年齢に関係なく、お互いに個人的なことをいろいろ話せる人に出会いました。
転院した今も、連絡させてもらってます。


病気や入院は、確かに辛いですが、

人に出会い、人の優しさを
たくさん、たくさん
受けることができています。


なんて、幸せ者なんだろう。


役目を私が担ってる訳じゃないなあ。
やっぱり私が支えられてる。
だから、どんなに悩んでも、
ちゃんと前向きな気持ちに戻ってこれてる。
ありがとう
ほんとうに、ありがとう


ただ、その方々が、
自分の体を大切にしようと思ったり、
無理しないで休もうと行動してくれたり、
何か気になったら病院へ行ってみたり・・・

そんな風に、思えるきっかけが出来たなら、
それだけで嬉しいと思います。



また長くなりました。

何を言ってるのか伝わらないかも知れませんが、
そこはごめんなさい。

とにかく、ここまで支えてくれている人々に、感謝の気持ちを届けるためにも、これから前向きに頑張っていかなきゃって、思ってます。


まあ、いつ何時
ネガティブvoleが出てくるかも知れませんが、それも私なんで、受け止めて乗り越えていくしかないですよね!


2年目に突入したんで、
気合い入れで、みなさんに決心を伝えました。


これからも、こんなグダグダ ブログですが、
退院の日を報告出来るように、紆余曲折の毎日を伝えていきます。



最後まで、読んでいただき
ありがとうございました。



*なお、文章の内容は、私個人の考え、思いを綴ってます。
もしも、気に触ることや不愉快にしてしまったら申し訳ないとは思いますが、何も責任をとったりすることは出来ません。ご了承ください。



皆さんが、
今日より明日、明日より明後日・・・と、
笑顔が増えることを願い、
祈ってます!