★はじめに
鬼滅の刃が日本神話のモチーフを多用していることは有名な話で、各所で考察がされているが、ここでは民俗学的伝承も踏まえてキャラクターや本話での展開について考察を深めてゆく。
断りとして、鬼滅の刃は日本神話を基にしてはいるが、神話のなぞりではないので当然神話や民話通りの展開や人間関係とは合致しない点が出てくる。また1人のキャラクターが複数の神の特徴を持つ場合や、1人の神の特徴を複数のキャラクターが共有する場合もある。しかしそれが鬼滅の刃独自の展開であり面白さであり解釈の分かれどころであろう。
その解釈のひとつとして、多少無理やりな飛躍を交えながらいくつかのエピソードを取り上げていく。
次回以降ストーリーの本筋にも触れてゆくが、まずは話をまとめたおばみつから。
今回はスサノオによるヤマタノオロチ討伐の伝説を中心に考察を進める。
鬼滅の本筋は神話で言う三神の活躍までに沿うものであり、親子・兄弟間の関係に焦点を当てたものになる。
ヤマタノオロチ討伐の伝説になぞらえたおばみつの恋物語はそこから外れた外伝的なエピソードと言えるだろう。
なお最終巻までの内容を含む。
また次回以降に掘り下げる内容になるが、本稿では
イザナギ…産屋敷家当主
イザナミ…鬼舞辻無惨
アマテラス…継国縁壱
ツクヨミ…継国巌勝
スサノオ…竈門炭治郎
カグツチ…竈門禰󠄀豆子
として扱うものとする。
★目次
鬼滅の刃と民間伝承ー力持ち伝承について
力持ちと縁壱
女力持ちと蜜璃ちゃん
伊黒さんとヤマタノオロチ伝説
蛇鬼と鏑丸
伊黒さんと槇寿郎
お姫様とヒーロー
刀鍛冶の里編
クシナダヒメになった蜜璃ちゃん
蜜璃ちゃんのヒーロイズム
盲目の神性
今後の課題
★鬼滅の刃と民間伝承ー力持ち伝承について
古来から〇〇貫の石を持ち上げた〜といった力持ち伝説は津々浦々に存在する。
この類型に共通しているのは、
①神から強力を賜っていること
②いずれも身分は低くケガレとして扱われていること
③旅を通じて人ならざるものと力比べをすること
④昔話では割愛されることもあるがその後は神化する
である。
例えば力太郎は老夫婦のアカから作った人形がたいそうな力持ちの大喰らいに成長し、食費が賄えないので旅に出て、怪力を生かしてもののけを倒し、お礼にお嫁さんと富を授かる話である。
農民として力持ちを農耕に活かすなどして暮らしているさなかに神から力を授かって、異形の物の怪を倒して村の平和を守る類型だ。
ここで注目するべきなのは、力持ちは普通の人間としてではなく神から力を授かって、人ならざるもの(力太郎ではウシガエルの化け物)と神懸かりの力を競る存在として描かれる点だ。
また、力太郎はアカから生まれた人形という由来からわかるように、生まれながらにしてケガレの属性であることがわかる。
※ケガレは奥が深い概念で、日常においてのハレとケガレという二元論的な考え方に帰結するほど単純ではないのだが、ここでは日常ならざる排除すべき「穢れ」たものとして扱う。
★力持ち伝承と縁壱
縁壱は様々な神話的要素を内包したキャラクターだが、ここでは力持ち伝承との関わりに注目する。
縁壱はもともと忌子として生まれ、さらに強力を備えながら出奔して農民となった後、死ぬまで鬼狩りの旅をすることとなる。
縁壱の生まれつきの不気味な痣や忌子などはケガレの属性を付与している。
また、生まれついての怪力や透明な世界、異常な賢さ(2歳にして空気を読んで押し黙るなど。生まれてすぐ歩いて喋った釈迦のエピソードを彷彿とさせる)などは生来人間離れした力を持っていることが強調されている。神懸かりの力はケガレとされているからだ。
さらに鬼殺隊を追われた後は黒死牟と対決するまで流浪の身でひとり鬼を狩っていたことから、旅の道すがら力比べをする類型に当てはまる。
縁壱は人間とは一線を画した神の子として生まれ人ならざる鬼と対決する、伝承通りの運命を背負っていることがわかる。作中では神そのものとして描かれていることがわかるだろう。
★女力持ちと蜜璃ちゃん
怪力の大食らいなど力太郎そのものが蜜璃ちゃんとの共通点もあるが、力持ち伝承には女力持ちの話もある。
青森の「鬼あねこ」は、まんまるの目で口は大きく、鼻は高すぎて赤茶けた髪の、相撲取りのような大柄な女である。力持ちを生かして農耕に励んでいたところ、夢枕に神が立ちお告げに従ったところ美しい娘となり幸せになるお話だ。
醜女であっても美しい心を持ち日々励めば幸せになれるという寓話的な教訓が読み取れる。
力持ち伝承の男女は共にたいてい大柄で醜男醜女として描かれる。これもケガレの象徴だろう。
ただし蜜璃ちゃんの生まれは家紋から華族であることが分かっており、類型に当てはまらない。生まれについてのケガレは伊黒家に転嫁されたとみるべきか。
誤解のないよう弁明すると、私は蜜璃ちゃん大好きだし超かわいいと思っている。しかしそれは現代の感覚で、当時の貞淑たる妻の理想像とはかけ離れている。
かつての美人のアイコンでない長身やグラマー、ピンクの髪色が読者の私たちにとっては可愛さの象徴だというのが構造的に面白い。
また顔に黒子があるのも、特徴的な容貌であることの象徴だろう。
一般的な感覚を持つお見合い相手のメガネくんからすると蜜璃ちゃんはナシだったわけだけども、伊黒さんは一目でその本質の美しさを見抜いてしまう。
伊黒さんは一般的な美的感覚をどの程度身につけているのか。座敷牢育ちだからその辺りに疎いのか、あるいは女に囲まれて育ったから人一倍女の美に関する知識はあったのか。
どちらにせよ蜜璃ちゃんの笑顔に普通の女の子としての美を感じて恋に落ちたということに変わりはない。
さらに美とは時代とともに移ろいゆく価値観であるにもかかわらず、生まれ変わっても蜜璃ちゃんの中に不変の美を見出すのだ。
★伊黒さんとヤマタノオロチ伝説
人身御供、生贄として蛇に食われる運命だった伊黒さんと蛇鬼はクシナダヒメとヤマタノオロチといえる。
クシナダヒメには7人の姉がいたがみなヤマタノオロチに食われ、次は自分の番だというところにスサノオが現れ幼い彼女を救出する。
伊黒さんも姉や親戚の女たちが次々と生贄にされていた。
昔話としてスサノオ伝説が語られる際は、老夫婦が娘を生贄に捧げることを嘆きスサノオに力を借りるよう懇願する、加害者ヤマタノオロチと被害者老夫婦の構図で描かれる。
しかし神話を読み解くとヤマタノオロチは谷川の神であり、老夫婦は生贄を捧げることで川の恵みを享受する利害関係にあったことに注意したい。スサノオは娘を嫁にもらうことを前提として討伐に向かったことから、老夫婦にとってはヤマタノオロチであろうとスサノオであろうと娘を差し出す事実に変わりはなく、神格の高いスサノオの側についたのだ。
この利害関係は蛇鬼に生贄を差し出し富を享受する伊黒家と一致する。
神話と違うのは伊黒さんは生贄でありながら自分の力で逃げ、運命に立ち向かったことである。
★蛇鬼と鏑丸
仇である蛇鬼と親友の鏑丸がどちらも蛇なのは伊黒さんの性質を隠すための意図的な演出だろう。
蛇鬼をヤマタノオロチとするならば、オロチはヲ(尾)のチ(霊力)、ロは格助詞「〜の」尾に霊力=が隠されているものである
もとは得体の知れない怪物の現れであり、神話の中でもスサノオに倒されて初めて蛇だという描写が登場する。
また蛇は古来から水の神の龍神である。伊黒さんは神の遣いを友として、神に挑んだのだ。
★伊黒さんと蛇女房
そして異性の鬼に捧げられるのは異類婚姻譚の「蛇女房」の類型を思わせる。
赤子の食感を好む鬼が12歳の伊黒さんを「小さいねぇ小さいねぇ やっぱりもう少しだけ大きくしてからにしようかねぇ」と見送ったのは、暗に生殖機能の未成熟を示していたのではないだろうか。
伊黒さんや従姉妹(あるいは親戚の女性たち全員)は「成長して食える量が増えるまで生かされていた」としているが、これは伊黒さんの独白であり、作中で蛇鬼は一言も伊黒さんを食べることについては言及していない。(子を成した後食べる可能性はあるが)
鶴の恩返しなどで有名な異類婚姻譚は人間とそれ以外の男女が婚姻する類型だが、子どもを持つ話と持たないまま離縁あるいは死別するパターンがある。蛇と人間が婚姻する昔話は蛇が男女のパターン、子を成す・成さないパターンなど細分化し多数存在する。
自らの血を穢れたものとしていた伊黒さんにとって、子孫を残すことは耐え難い苦痛だろう。
伊黒さんにとって、「普通の女の子」と結ばれることの重要性が異類婚姻譚の中から見えてくる。
また昔話の蛇女房は、人間の男と蛇の女が婚姻する昔話である。この2人は仲睦まじく暮らし子をもうけるのだが、女が蛇であることが知られると子を置いて異界に帰ってしまう。(山幸彦と豊玉姫の説話が基になっているだろう。人ならざる者がその正体を知られると縁を切らなければならない)その際蛇は子守のために男に玉を授ける。この玉は殿様に召し上げられたり子に吸い尽くされたりしてなくなり、再び玉を求めた男が蛇のもとを訪ねると蛇は隻眼になっており、もうひとつの目玉も差し出し盲目になってしまう。その玉を大切にし幸せに暮らす話もあるが、ここから更にもう一つの玉も奪われ、怒った蛇が洪水などの自然災害を起こし復讐するパターンも存在する。
両目と引き換えに無惨への復讐を果たす伊黒さんと無関係ではないだろう。
★伊黒さんと槇寿郎
さらに単純に考えれば伊黒さんのお相手はヤマタノオロチである蛇鬼を倒したスサノオ役の槇寿郎になる。
神話のなぞりであれば、スサノオ役は蜜璃ちゃんにしてしまえばよい。年齢的な問題があれば、槇寿郎の娘としてしまえばよい。あるいは後述するが伊黒さんを女性にして少し年上にした杏寿郎をスサノオ役とすれば話は早い。そうしなかったのはなぜか。
これは個人的な解釈だが、蜜璃ちゃんが「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わなければならない」という煉獄家の教えを脈々と受け継いだ存在であるからだと思われる。鬼滅の刃では縁壱と住吉や杏寿郎と炭治郎のように、想いの繋がりは血の繋がりよりも強いというメッセージの反映として、血縁関係ではない者を交えている。これまでの王道である血統ありきのヒーロー伝承へのアンチテーゼとして、同じく血縁関係のない槇寿郎→杏寿郎→蜜璃ちゃんという繋がりにしたのではないか。
杏寿郎も昔の父はこうではなかった、と言っていることから、かつての槇寿郎は杏寿郎のような精神を持っていたと思われる。
また、酒に溺れる姿はどうせ努力しても大したものにはなれないというやさぐれた心に抱えた鬼が、大酒を飲まされ討たれるに至ったヤマタノオロチのオマージュになっているのではないだろうか。
その後、槇寿郎は自らの弱さを克服して立ち直ったのだから。
スサノオは名をタケハヤスサノヲ(建速須佐之男命)という。タケ・ハヤは猛々しさや威力のあることを讃える接頭辞。スサは地名ともとれるがスサブ、ススムのスサ(スス)と同源で、横濫し猛進する荒々しい神として構想される。ノは格助詞、ヲは男の意。
神話でもヤマタノオロチからクシナダヒメを助ける勇猛な優しさを持つ一方で、田畑を荒らし家屋を壊すなど粗暴な一面も描かれている。炭治郎に見せたアル中親父の姿は、スサノオの荒ぶる面を描写したのだろう。
槇寿郎の存在は、大人でも悲しみに打ちひしがれることがあって、それでも立ち直ることができるという子どもたちへのメッセージを感じる。
★お姫様と王子様
そもそも伊黒さんが女性で蜜璃ちゃんが男性であればスムーズなところを、おそらく意図的に性別を逆転している。
(鬼滅の刃は日本神話を下敷きにしたオマージュが多数登場するが、男女や上下関係を意図的に逆転させている演出が多く見られる。)
古来囚われの姫君は救出を待つ女性だったけれども、鬼滅ではか弱き生贄を男性にしている。
さらに伊黒さんが結ばれる相手は力持ちの女性、蜜璃ちゃん。
手弱女の姫君と益荒男の性別の逆転。
助けを待つお姫様と王子様という古典から、自分の手で運命を切り拓く、か弱いけれども心強き少年と自分の手で運命を切り拓く心強きたくましい女性が恋に落ちる話へ昇華している。
さらに蜜璃ちゃんを力持ちにすることで、ヒーロー的なモチーフを内包したキャラクターに仕立てている。
努力を通じて強いヒーローに成長する少年と、生まれついてのヒーローであるヒロインの恋物語。
ここに鬼滅らしさが光る。
この2人のラブストーリーにおいては、ヒーローもヒロインも、想いを繋いだことで弱かった自分を克服して、強く誰かを守るために戦うヒーローなのだ。
★刀鍛冶の里編
みんな私が守るからね、という蜜璃ちゃんの発言→「禰󠄀豆子ちゃんは俺が守る」の善逸との対比か。
無限列車のぜんねずは、古典的な守るヒーローと守られるヒロイン像だ。(実際には禰󠄀豆子も戦ってるんだけど、善逸は終始守るべきお姫様として扱う)
おばみつはセットなのに刀鍛冶の里編で伊黒さんが出てこなかったのは、蜜璃ちゃんのヒーロー属性と強さを強調するためだったかと思う。
伊黒さんは蜜璃ちゃんが側にいると守ってしまい、蜜璃ちゃんがただのお姫様になってしまうので。(だがそれもまたいい…)
★クシナダヒメになった蜜璃ちゃん
みつりちゃんは元々「自分より強い殿方に守ってもらう」願望を抱いていた。そうは言っても蜜璃ちゃんはお姫様に憧れていたのだ。
無惨戦後半、伊黒さんは蜜璃ちゃんを戦いの場の安息地に避難させてひとり敵と立ち向かったのは、神話においてクシナダヒメを櫛の姿に変え、自分の頭に挿して戦うスサノオの姿のオマージュか。
ここで初めて伊黒さんがスサノオ、蜜璃ちゃんがクシナダヒメの構造が出来上がり、強い男性に守ってもらうという蜜璃ちゃんの夢のひとつが叶った形になる。
※ちなみにクシナダヒメは絶世の美女
★みつりちゃんのヒーロイズム
にも関わらず「私も行く!嫌だ、伊黒さん嫌だ 死なないで!もう誰にも死んでほしくないよ」と叫ぶ。
蜜璃ちゃんの内なる守られたい願望よりも、戦いを通じて守りたいヒーロー願望の方が強くなったことがわかる。
守ってもらうために残されること、守ってくれた人が死んでゆくことの辛さを鬼殺隊として過ごす中で何度も経験してきたのであろう。
守られるより守るために命をかけて立ち向かい、そして無惨の腕をぶっこ抜くのが蜜璃ちゃんなのだ。
★盲目の神性
古来から隻眼や盲目には神性があるとされていて、神官や巫女が神事の際わざと片目を潰す伝承も各地にある。
鋼鐵塚さんが玉壺に片目を潰されたのも、鍛治の神である天目一箇神が隻眼だから、片目を捧げて同じ姿になったことで神懸かりになった描写だと思われる。(ちなみに天目一箇神は嫉妬深い女神のため、作中の間は独身だったのではないか)
悲鳴嶼さんも盲目であることで視覚に囚われず、神の領域の透明な世界に達することが出来た。
前述で伊黒さんと蛇女房のモチーフについて触れたが、伊黒さんは戦いの中で神に目を捧げたことで、神懸かりになったとも解釈できるのではないだろうか。
また伊黒さんのオッドアイは金目銀目と言われ、日本でも実在する遺伝子の突然変異だ。大変縁起がよいとされ、伊黒さんのように弱視を伴うこともあるようだ。
伊黒さんはその目が蛇鬼に気に入られたことで殺されず生かされ、また自分が生かされたことで大勢の親戚を殺したために、目は呪いそのものと捉えていると思われる。
最期にその目を潰したことで神と戦う力を得、また同時に呪いの禊を果たしたのではないか。
生まれ変わった伊黒さんの両面は何の変哲もない黒目になっていたのだから。
了
★今後の課題
人身御供の伝承
金目銀目の伝承
生まれ変わってから添い遂げる約束の類型
★次回
三神誕生と鬼滅の刃
これは図を使ってまとめようと思う。
おばみつ尊し
参考文献
「ケガレの民俗誌ー差別の文化的要因」宮田登著(2010年)筑摩書房
「口語訳 古事記【完全版】」三浦佑之著(2002年)文藝春秋
「古典文学と民俗」三谷栄一著(1968年)民俗民芸双社