小学生の頃の卒業アルバムに、一言好きな言葉を書くと言うページがあった。私がその時書いた言葉は「幸せ」だった。
でも幸せって何だろう。私にとっての幸せの意味って今になってもよく分からない。
普通に考えれば、美味しいものを食べたり、人と楽しく会話できて笑えたり、そういうことなのかもしれない。でも幸せって一瞬で終わるものだよね。永遠に続く幸せな時間なんてないし。
例えば上に今書いたように、美味しいものを食べている時、人と楽しく会話して笑っている時も、常にそんな自分をいつも客観的に見ている自分がもう一人いるような感覚になるのだ。
「美味しいねーでもそれもうすぐ食べ終わるよね?食べ終わったらどうするの?どんな気持ちになる?」
「楽しい話だねー笑えるねーでも、もうすぐ友達とお別れの時間になるよ?お別れしたら寂しくなるよ?」
そんな感覚。
だから、無意識で楽しめていないと言うか。幸せな時を無心になって感じられていないと言うか。
うん、言葉にすると難しい。
常に光と闇が心の中に存在しているような...
今でもそれは変わらなくて。
感情は常に変わるものだし、永遠に一定の感情が続くなんてありえないのも解ってるけど
でも、私はその永遠が欲しくてたまらない...んだと思う。
まーそれが続いたところで人間なんて欲の塊だから、また不満も出てくるだろう。でも今はその話は置いておく。
んー、幸せって言葉で表現するのはなんか違うのかな?と、ふと今思った。
安心感が欲しいのかもしれない。
いつも不安感が付き纏っているってことになるのだろうか。
ただただ、普通の生活を送れればそれでいいなんて思っているけど、
実際はそれなりに普通の生活をおくれているではないか。
世界には、食べ物を食べたくても食べられないで亡くなってゆく人もいるというのに。
上を見ればきりがなくて、下を見ても私より不幸な人は沢山居るはず。
要するに欲が深いだけなのかな、私。
自分を分析しているとよく分からなくなってくる。
いったい何を望んでいるのか?があまり明確ではないし。
夢や希望も特にこれといってない。
あまり自分と向き合うことをしないから、成長しないのか?
ただただ「こうだったらいいなー」と思うだけで何も努力をしていないのではないか?
考えればきりがない。
心療内科に通っていても、対人恐怖症だの、回避性人格障害だの、うつ病だの、気分循環性障害だの、ボーダーだの言われ続け、いったい何を信じればいいのだろうか。
ある科の名医が言っていた言葉がある。
「先生は、精神科でお勧めできる医師はいますか?」とたずねた所、
「正直に言うとお勧めできる医師はいない。」と。
「あなたは自分の患者である、信頼できる医師がいるならば紹介はしたい。
だけれど、私には精神科の医師で信頼できるという医師は正直居ないのが現状」と。
精神科ってとても難しい分野なのだな。
結局何が言いたいのか分からなくなってきてしまったけれど...
要は、精神疾患がどうすれば治るのか?もうどんなに病院を転々としても、自分に合う医師はいないのではないか?と思っていて。半分どうでもよくなりつつあるのだ。
それでも旦那は言う。
死ぬまでに治らないかもしれない。それでも何度でも何度でも諦めずに合う医師を見つけるしかないんだよと。一緒に頑張っていくと約束したでしょ?と。動かなければ何も始まらないんだよと。
旦那のような人は、私にはもったいないくらいだと感じることさえある。
感情で動く人間ではない。
いつも先を見ていて、冷静に物事を判断する人、とでもいうのかな?
私はどちらかと言うと感情で動く人間なので、正反対である。
昨日とんでもないことを起こしてしまった(あることが引き金となり、路上で発狂してしまった)ので、久々にブログを書いてみた。
何が言いたいのか全く分からないものになってしまった。すみません。
でも幸せって何だろう。私にとっての幸せの意味って今になってもよく分からない。
普通に考えれば、美味しいものを食べたり、人と楽しく会話できて笑えたり、そういうことなのかもしれない。でも幸せって一瞬で終わるものだよね。永遠に続く幸せな時間なんてないし。
例えば上に今書いたように、美味しいものを食べている時、人と楽しく会話して笑っている時も、常にそんな自分をいつも客観的に見ている自分がもう一人いるような感覚になるのだ。
「美味しいねーでもそれもうすぐ食べ終わるよね?食べ終わったらどうするの?どんな気持ちになる?」
「楽しい話だねー笑えるねーでも、もうすぐ友達とお別れの時間になるよ?お別れしたら寂しくなるよ?」
そんな感覚。
だから、無意識で楽しめていないと言うか。幸せな時を無心になって感じられていないと言うか。
うん、言葉にすると難しい。
常に光と闇が心の中に存在しているような...
今でもそれは変わらなくて。
感情は常に変わるものだし、永遠に一定の感情が続くなんてありえないのも解ってるけど
でも、私はその永遠が欲しくてたまらない...んだと思う。
まーそれが続いたところで人間なんて欲の塊だから、また不満も出てくるだろう。でも今はその話は置いておく。
んー、幸せって言葉で表現するのはなんか違うのかな?と、ふと今思った。
安心感が欲しいのかもしれない。
いつも不安感が付き纏っているってことになるのだろうか。
ただただ、普通の生活を送れればそれでいいなんて思っているけど、
実際はそれなりに普通の生活をおくれているではないか。
世界には、食べ物を食べたくても食べられないで亡くなってゆく人もいるというのに。
上を見ればきりがなくて、下を見ても私より不幸な人は沢山居るはず。
要するに欲が深いだけなのかな、私。
自分を分析しているとよく分からなくなってくる。
いったい何を望んでいるのか?があまり明確ではないし。
夢や希望も特にこれといってない。
あまり自分と向き合うことをしないから、成長しないのか?
ただただ「こうだったらいいなー」と思うだけで何も努力をしていないのではないか?
考えればきりがない。
心療内科に通っていても、対人恐怖症だの、回避性人格障害だの、うつ病だの、気分循環性障害だの、ボーダーだの言われ続け、いったい何を信じればいいのだろうか。
ある科の名医が言っていた言葉がある。
「先生は、精神科でお勧めできる医師はいますか?」とたずねた所、
「正直に言うとお勧めできる医師はいない。」と。
「あなたは自分の患者である、信頼できる医師がいるならば紹介はしたい。
だけれど、私には精神科の医師で信頼できるという医師は正直居ないのが現状」と。
精神科ってとても難しい分野なのだな。
結局何が言いたいのか分からなくなってきてしまったけれど...
要は、精神疾患がどうすれば治るのか?もうどんなに病院を転々としても、自分に合う医師はいないのではないか?と思っていて。半分どうでもよくなりつつあるのだ。
それでも旦那は言う。
死ぬまでに治らないかもしれない。それでも何度でも何度でも諦めずに合う医師を見つけるしかないんだよと。一緒に頑張っていくと約束したでしょ?と。動かなければ何も始まらないんだよと。
旦那のような人は、私にはもったいないくらいだと感じることさえある。
感情で動く人間ではない。
いつも先を見ていて、冷静に物事を判断する人、とでもいうのかな?
私はどちらかと言うと感情で動く人間なので、正反対である。
昨日とんでもないことを起こしてしまった(あることが引き金となり、路上で発狂してしまった)ので、久々にブログを書いてみた。
何が言いたいのか全く分からないものになってしまった。すみません。