前回、宇宙の実質を探るなかで、


「親指は、わたしの一部ですが、わたし、ではありません。

わたしそのもの、つまりわたしの実質は、わたし全体、です」


と述べました。


「親指だけを切り取って、これはわたしの親指、と考えることは可能ですが、それは生きた実在とは言えません」

「仮に親指を切り取ってしまえば、わたしそのものは(多少の不便は抱えるとはいえ)変わらず生き続けますが、親指の方は存続できず死に絶えます」

「つまり、生身のわたしを眺めて、親指だけを切り離してこれは親指、と見ることは、単に人間が考える概念に過ぎません」

「それは生きた現実のものとしては存在できない、言わば標本です。

考えの中でしか存在できない架空のものです」


http://ameblo.jp/totonosaku/entry-12228053560.html



と述べました。


それでは、


わたし全体、とは何でしょうか?

わたしの実質、とは何でしょうか?



身体でしょうか?



上記した文章の「親指」の部分を「右腕」と入れ替えても、文章が成立します。

「左足」にしても「鼻」にしても成立します。身体のほとんどどの部分でも、入れ替え可能です。


では、「脳」としたらどうでしょう。「脳」が無くなったら、さすがに「わたし」も無くなりそうです。


ですが、最新の脳科学では、人は何かしらの行動を起こす時に、


脳の指令行動  


ではなく、


行動脳の指令  


の順序であることが明らかになってきているそうです。


え?


はい。

つまり、脳が行動を指令した気になっているだけで、実際は脳の指令の信号が発信される前に、すでに行動は起こっている、ということです。


えーーーー!

ぞぞぉ~~~~~ ………


(じゃあ、脳に信号を送ってるのは、誰なんでしょうね?)

(起きた行動を、起こしている実体は、どこの誰なんでしょうね?)



まあ、ことの真偽は定かではありませんが、「わたしの実質」を「脳」や「身体」とした場合、それで断定、とは言い切れない疑念の余地が残ること自体は、誰も否定できない、ということです。


(仮に「身体全体」としたところで、死後の霊魂を信じる人の首を縦に振らすことは、なかなか難しそうです)




さて、ますますわからなくなってきたように思えます。



が、


ここでひとつ、おそらく断言して構わないと思われることがあります。

それは、


親指の実質は、わたし、である。


です。

これには異論がないのではないでしょうか。



そこで、

上記冒頭の文章の『親指』を『わたし』に入れ替え、『わたし』を『宇宙』に入れ替えてみます。



「わたしは、宇宙の一部ですが、宇宙、ではありません。

宇宙そのもの、つまり宇宙の実質は、宇宙全体、です」

「わたしだけを切り取って、これは宇宙のわたし、と考えることは可能ですが、それは生きた実在とは言えません」

「仮にわたしを切り取ってしまえば、宇宙そのものは(多少の不便は抱えるとはいえ)変わらず生き続けますが、わたしの方は存続できず死に絶えます」

「つまり、生身の宇宙を眺めて、わたしだけを切り離してこれはわたし、と見ることは、単に人間が考える概念に過ぎません」

「それは生きた現実のものとしては存在できない、言わば標本です。

考えの中でしか存在できない架空のものです」



どうでしょうか?




つづく