最後のことば・・・ニュースステーションの最後の放送で ・・59歳だった。朝日新聞阪神局襲撃事件での カメラに向かって犯人に訴えた・・・・「殺されてもいい」と臨んだ番組登板。物を言わないわけにはいかない,という言論の自由をまもる~~命を賭して。
メインキャスターの大下容子さんが呼称した「太蔵さん」が高校生の時に抗議の手紙を出していたことを改めて取り上げた。・・高校生でも分かりやすく「議論」の参加で来たと話している。中学生でもわかる報道につとめていた久米さん。今さら知った真実が何と多いことか。政治家の二頭身の人形(当時の政治家たち5,6体)一体30万円かけて造った模型の番組登場させる発想は久米さん自身だったのだ。司会者が番組を託されているのだ(あまり気付かない現場内部だろう)。「民間放送は,皆戦後生れ。いろいろと制限がある・・・・」《原発だってそうだろうか。スポンサーの機嫌をうかがうなどもそうだろうか》と,その中で自由に発言,政治問題を追及していたことがわかる。時の政治家を前にして歯に衣着せない発言?相手の機嫌を悪くさせてもいる。嫌悪の感情が出てしまう,それが一つの手でもあったろうか。ウソ欺瞞隠匿などを暴き晒すような姿勢が・・・番組を見てなかった当時のことを想う(反省はしない,しても始まらない)。それも仕方ない今となっては,なのだ。
「死んだらあとは若い次世代に任せるしかない・・・だから今自分の時,生きている間(自分がニュース報道している間だけ)は平和あってほしい,戦争のない時代であれ~」というのだ。嘘じゃないし,内面,心からの真実〔心情〕ではないか。亡くなったら自分は関わらない,それは真実〔まこと〕だろうに。
自分は「イイ人」と見られるのは嫌だ,自分はドラマで見ていると悪者の方に付いてしまうとも言う。自分がどれだけ善性の人ではないことを知っているのだ。誠実,ナイーブすぎるほどに。ウソが付けない,身体が受け付けず震えてしまうという。そのビビりかたも半端じゃない。恐がり方を全身で表す,声を高らかに体を震わせて周りで見る人を委縮させてしまうほどで,徹子さんも呆然とし言葉を失っていた。インタビューで次の話題も実は考えて臨んでいるようだったが出てこない。早口はもっと早くなっていたから,なおさらその沈黙が印象的。司会者は言葉をつい繋いでしまうらしい。間を置くのは何か恐ろしいようだ。何か離していないと怖い。現在の司会進行者男性は仰る。沈黙する久米さんに関心が。その時の溜めこそ要注意だと。~互いに早口だが,それが歌謡番組以来の?名コンビの所以だろうか。
43歳で19年になる結婚生活を振り返っているが,《話題をそっちに持っていかされているのが真実,徹子さんの意向だろう。奥さんの事をよく御存じだ。仕事以上の情報収集では?内面でのやりとりが二人の盛り上がる会話に結果する?》
45になったら政治を語るニュース番組をやると決めていた,という。テレビを見ている人は映像がきになるだろうと指摘。スタジオの大道具小道具などセットを重視,ネクタイが大事だというのは,極めて適切な指摘だと思う。音声を消してリアル画面をみてこのような文字入力作業で,それがわかるのだ。音声なしの映像を見たとき声が無くても映像のみでも感得することが出来るのだ。脳がテレビ画像に反応している。像が直接的に入ってくる。それをご自身の言葉で説いていたがそのまま記憶されていないことが今わかる。
【早稲田大学卒の,司会者向きの?ことば達者で聡明な人物はいつでも人気があったろう,久米氏はすでに多才の好人物だったにちがいない。TBSに入社,先達にならって否それを超えて?当然のように自身の創出した,英雄街道を突っ走っていたとは私見です】映像で観る人の「好悪」云々が決まるというのだ。場面セットを一番大事にした謂れだろう。
1988年43歳と,1990年45歳にも出演している。義姉が4人.一人早逝。姉たちの「お下がり」の服で,ボタンのはめ方が,右と左で逆なのだ。その二人の楽しい会話は,盛り上がりすぎるくらいだ。視聴者を愉しませるよりも自分が楽しんでいる。それは大事だが。仕事選ぶ要素でもあろうか。(仕事選びに苦労する若者たち,生徒たちが話題だ)
1989年に「坊主」になっている。有名な話らしい。巨人が優勝したらと約束をしていた。勝てるはずないと思っていたら,果たして,小宮悦子アナのセリフも伝えている。写真アルバムがーージャイアンツが好きじゃないという〔アンチ巨人だったのか〕。1991年46歳で出演は演劇客席にいっぱい坐っているどこかのホールで放映。公開収録・・下り坂をすべて使ってしまったと物申す。ナイーブで食餌できず栄養失調。名コンビとは歌謡番組で一緒だったのだった。6キロ太って前のズボンをはいていて〔倹約家なのでは!〕腹がきついと隠さず吐露。「全身全霊」で射込んでいるのね,と目がうるんでいる。
2000年56歳。「唯一無二の司会者として」・・・「謹んでお悔やみ申し上げます」《あわただしく情報の一端として処理されていく どんどん過去になって始末される 命の安売り??》
《今日のヤフーニュース;参考。ただしどんどん入れ替わるので保証なし。どんどん消されもするし,アドレス添付も意味なし。いつしか削除されているのだ。残らない。きっと情報でぶりは放置していても自動削除されるのだろう。クラウドサーバーへの負担を心配していたが》
「ニュースステーション」OP再現「報ステ」久米宏さん追悼 大越健介氏「革命児そのもの」
1/13(火) 22:00
「ニュースステーション」の後番組となるテレビ朝日系「報道ステーション」は同日、久米さんの訃報を受け「特別版」を放送。ビルの建ち並ぶグラフィックの映像とサックスがメインの当時のテーマ曲で「ニュースステーション」のオープニングを再現して始まった。大越健介キャスターは「時に厳しく、そして痛快に、縦横無尽のスタジオワークでニュースの本質に迫る姿は、テレビ報道の〝革命児〟そのものでした」としのんだ。」
と,あるが,全て観てこなかった。仕事のみしか関心がなかった。その習慣は停年引退後も変らない。それが習性古い体質何だろう。〝革命児″か。中国の革命にも似ていると実は↑のコメント手記〔写し〕で思っている。文化大革命時の中国人気質と似ていると。《中休み合掌感謝》
久米さんが徹子の部屋で最後に言った言葉は含蓄がある。
一番憎くて喧嘩ばかりしていた父親が最も信頼措いて一番似ていたと振り返った。既に亡くなっていた,生存中に言えなかったことを残念がっていた。きっと悲しい思いで逝ったのだろうと思うと可哀想になった。そうして完全な有能なテレビ司会者も完全ではないことを知る。ご自身食べられなくてやせ細り結核?になって・・・と振り返るが小心者でと認めておられる。そうして自分が生きていても後,せいぜい2,30年・・・と身勝手な発言に見える言葉も残す。何であんなに早口なのかと欠点も見えだす。はっきり物申す人が父親に生きている間にかホントの事を言えなかったことを後悔しているのだ。感謝です,お手本をくださって。南無