もしもまだブログ閲覧されておられる方がおられるとしたら,閲覧中の皆様ずいぶんご無沙汰しましたが,,去る4月25日(金)に無事?退院したことを報告します。

 今回は左足のヒザから下,または命を失なう危険性もあったのですが,計4回の手術(1/21,1/24,2/22,4/4)の結果,何とか左足の指3本失なっただけで車椅子でも松葉杖でもなく両足で歩ける状態で退院しました。

 金曜日の朝11時半頃,もう手馴れたもので7多くの荷物は翌日着の宅急便で送って当座の必要物をリュック1個だけで病院からドアツウドアのタクシー2千円足らずで3ヶ月ぶりに零時過ぎには帰宅したのですが予想通り玄関のブレーカを上げても全く電気は点きませんでした。

 玄関先には状差しからあふれたハガキと封書の山で足の踏み場もないので障害者靴を履いたり脱いだりするために上がりかまち代わりに置いてある椅子を封書をまたいで玄関外の廊下に出して腰掛けて,山の中から電気代請求書等を探し出しました。

 これまでは長期入院後は取りあえず電気を止められる月までの電気代を近くのコンビニで払えばスグ回復したので,一応東電カスタマーに携帯で電話してそれでいいか?と確認すると,今回は契約解除までいったので係員が自宅まで電気代を受け取ってそのまま契約再開とのことで到着まで暗い部屋内手探りでベッドまでいってフテ寝してました。

 13時半ころやっと電話でオバマ関係の余波なのか?交通規制で混んでるので15時に来るとの連絡がきたのでコンビにまで買い物にいって当座の飲み物食べ物を確保してやっと15時半頃には電気回復しましたが,ガスとネットも料金滞納で止まってました。

 しかし,退院当日はただ自由になれたことで自宅で休む他に何もしたくなかったので支払いなどは翌日にということで,26日朝にまとめて残る滞納光熱費ネット代を払える範囲内で支払ってやっと土曜日午後にはガスも復活しましたが,

 それから介護の打ち合わせにケアマネ看護師等3人が来訪して夕方やっと落ち着き,根通も最初不具合でしたが夜中に復活したので取りあえず,退院報告までです。

 病院ではタブレットを持っていてBiglobe-Wimaxでアクセスできましたがブログを書く気にはなれず久しぶりです。取りあえずXPなのでWindows8を買ってこのPCにインストールするか中古のバンドルされたPC買うかしようと思います。

 どうもOSの価格より中古PCのほうが安いくらいだけどOSを持ってるとOSなしの安い中古を買って入れることも可能なので迷っていますが先立つ金ないのでね。ではでは。。

PS:入院中の2月4日に岡山にいる母が93歳で他界し6日には葬式も終えたことを偶然3月初め四国中国地方の地震で夜中に実家の71歳の長兄に見舞い電話して知りました。ちょうど私が何とか敗血症の危険性から高熱もさめて命をとりとめていた頃母も危篤状態で最後は肺炎で亡くなり私も入院中なので知らせなかったとのこと。

 もう認知症で覚悟してたとはいえ少しショックでした。そのうち故郷で墓参りしたいです。当分は自宅で静養する予定です。


皆様,お久しぶり。。TOSHIです。表題の通り,昨日10月5日の土曜日右足指が1本減ったという意味で無事かどうか?わかりせんがめでたく退院しました。

 何か金欠病のせいでブログ書けないのではないか?とのご心配コメント頂いてましたが,ブログ書き自体は特にお金が必要というわけでもなく,入院中くらいはお休みにしようと考えていて,ただ入院が長引いただけの理由です。

 まあ,,収入が不定期で近年は電気代を主として光熱費等もバカにならない額で,それらを支払ったため満足な食にもありつけないこともあるので,必ずしもそれら全てを銀行引落としにはしていません。

 そういうわけで,入院していなくても生活に直接には困らないネットなどの通信代も後まわしで請求書きてから契約打切りの締切直前に支払うことも結構あります。

 2~3ヶ月も入院して留守にしていると,一人暮らしでこの病気は一時帰宅も許されない身なので,退院して帰宅して戸を開けた途端,いろいろな書状が状差しに入り切らず玄関を埋め尽くしていて,請求書等も2~3ヶ月滞納分などがまとめて何枚も散らばっており,いつもウンザリします。

 今回は7月31日入院し手術が8月1日で2週間後に抜糸してその1週関後に退院という予定で7月分までの請求書を持参して8月15日の年金で支払いを済ませたので帰宅してネットが止められていてアクセスできないということはなかったのですが,

 昨日の退院当日は,久しぶりの我が家で,まだ自分の部屋が存在しているかどうか?も心配な状態で帰宅して,やはりある程度の整理の後でなければベッドで休むこともままならず,ブログで退院報告するのも翌日になってしまいました。

 実は入院当日の診察で,ある意味右足人差し指はポロっと取れても痛くない無機物状態だったらしく自室での治療で気がついたら指無くなってました。

 というわけで当初の翌日に手術で指を切断というのは無くなり,予測してたより病状ヒドいので翌週の8月7日までまって指の取れた後の穴の中の腐って壊疽の原因となりそうな骨を削ったりして取った後,結構大きい指の抜けた穴を4週間真空吸引することになり,それだけでももう9月になってしましました。

 その後は吸引がまだ日本では認定されてないためか4週間を超えると保険適用できないとのことで自然治癒で穴が小さくなるのを待っているうち10月になってしまいました。

 このまま退院してもまた残りの指等やられる惧れもあり,右足指補助のインソールを入れた靴のオーダーをした後,退院許されました。

 自分としては入院で体力衰えたことを除けば退院した段階の昨日では季節もいいせいか前よりも楽な感じで歩けて普通に丸の内線と都営三田線乗り継いで昼ごろ帰宅できました。

 何やら病院で手配してくれたらしく,本来65歳からしか適用されない介護保険が指定された病気を持っているために63歳から適用できれて明日の月曜にはケアマネと訪問看護師の女性お2人が私の汚ない部屋に来るそうです。

 看護はいいけど介護は断わりましたから。。。

 というわけで,先ほど病院で送った宅急便の荷物も届いたし入院中のように上げ膳下げ膳というわけににもいかないので,これから巣鴨駅前の西友までリュック提げていって当座の食料や必要品を買ってきます。

 今回は飲み屋関係の家族?に入院も知らせなかったし退院も知らせなかったので,前回のようなちょっと疲れてしまったりした退院直後の快気祝いのアラシなく,なるべく静かに1週間くらいは静養しようかなと思っています。。

  まずは退院報告まで。。

※PS:カウンターを見ると,入院中にブログへの通算アクセス数が80万を超えたようです。当面の目標の100万アクセス数にまた近づきましたね。

 私自身が不在でアクセスさえしていないのに毎日100や200くらいののアクセスは,あったらしく前から考えるとウソのようです。以前6年前は心臓手術で1ヶ月もブログ書きを怠っていると1日当たりアクセスは一桁やゼロになってしまったものでしたが。。。

失礼。。↑これはアメーバでなくニフティ・ココログの「TOSHIの宇宙」のアクセスのことでした。。。
Trust1949からのYou-Tubeメール:

 今日の癒しです。



PS:気のせいか?最近AKB48の「峯岸みなみ」ちゃん。TVによく登場してるような気がします。

あの特徴ある眉と目の表情。。可愛いいですね。




 6月18日に引いた風邪ですが,引き初めのうちに直そうと,6/20に眼科に行ったついでに帝京大学病院でもらった感冒薬+咳止め薬を4日分飲み終えても,なお初めと同じ咳がとまらず,鼻水じゅるじゅる状態です。

 どんどん咳がひどくなって,しかもベッドに寝て背中が付いたりすると,いつまでも咳が止まらない喘息に似た症状です。

 ,これは,心不全なので経験ありますが胸(肺)に6リットルの水がたまっていた5年前の肺水腫(心臓が弱って胸水たまった)のときと同じです。

 当時は風邪でなくても横のなると咳が止まらず椅子で寝ていたので少し違いますが 。。

 夜中に何度も救急車を呼びたい衝動にかられるうち,薬のせいかうとうと2,3時間は居眠りして,起きていると症状は軽減されています。

 かつては睡眠薬で無理に眠っていましたが,今は当時よりもっと体力が弱くそういうことはやりません。

 胸水はオシッコでせっせと出せばいいだけなので,手元にあるラシックスなど利尿剤を飲んで出すしかないのですが,糖尿病なのに最近も飲み始めの1杯のビールも含め6~7時間も飲み屋で飲んでても1回もトイレに行かないので,やはり心臓がさらに弱ってるのかも。。

 風邪のせいで食欲がないし,食べないからインスリン打つのを控えるべきか?,逆にインスリンを控えてると血糖値が上がるから食欲がないのか?

 こういうのを治すのは,滋養のあるもの食べて,睡眠を取り体力を付けるのが最善なのはよくわかってるのですが,体がいうこときいてくれません。

 左目の眼底出血中だから外歩いても視野が狭くて人にぶつかったり,よろけたりします。 

 心臓病のためバイアスピリンを飲んでるから,目の出血を止める薬は競合して意味がないし。。病気の総合商社なのでブツブツ。。

 (↑※ヒトリゴトは危ないよ)

 めったに引かないけど,風邪でも命が危ないので,今日はおとなしく会社休みます。

PS:6/25(月)朝です。

 風邪をこじらせて入院とかなると,,そのうち肺炎になって,もう還ってこれないかも知れないから。。。悪化せぬよう一所懸命,抵抗します。。

 2007年に心不全になるまでは,病気になると職を失う確率が高いので気を張ってたせいか.本格的な風邪を引くのは5,6年に1回くらいで最大5,6日くらいで快癒してました。

 ,心不全以後は風邪を引くのは2年に1回くらいで1,2日で治せないと大体3週間は寝たきりくらいになります。

 経験上は6月18日から7月9日までは快癒しないことになるので7月7日,8日の「将棋チェスネット」主催の焼津でのお泊りオフ行けない可能性ありです。

 生きるか死ぬか?と言ってるのですから,そんなの2の次ですが。。。

 取り合えずは,本日午後のボランティア行動(T.Iさんの西新宿での面接試験のお供)が,可能かどうか?。。。昼まで十分静養します。今日も職場は休みです。

 24日(日)病欠の代わりに27日(水)予定していた休日を返上し,6月は後全部出ます。

 糖尿病と虚血性心不全のために治りにくいと思っていますが,既に百日咳かマイコプラズマ肺炎にかかっているのかも知れません。

 明け方に100回くらい連続して咳が止まらず体力消耗しチアノーゼのように痙攣して,軽い26度の冷房が入ってても大汗かいて目覚めたりします。

 起きてしまうと元気回復するので不思議ですが。。

 まだ,寿命があるなら自然治癒力に頼るしかないです。
 表題の通りです。

 入院中に,何とはなしにときどき,景色を中心に写真を撮りました。

 まずは,4/17(火)に帝京大付属病院の内科病棟の15階に入院した後,7階まで 降りて屋上庭園で撮影した写真からです。

  

↓ そこにいた庭師?に聞くと,これは芝桜だそうです。 ふーん。さくら?

   

    ↓この花は何だっただろう?



   

    

 次は入院した日の晩,,1503室の同部屋のS川さんから借りた本です。

 恩田陸の「夜のピクニック」(2004年本屋大賞)です。

 

 私なら恐らくこうした小説を読むことを選択することはないでしょうし,病院で読む小説としては,この種の内容がマジ?の本は選ばないと思います。

 折角なので,読み始めたら結構興味深く毎日,少しずつ読み進んでいました。

 しかし,27日の眼科診察で医師から急に「明日退院していい」と言われ,,S川さんは「6月までは15階にいるから返すのはイツでもいい」と言ってましたが,そういうわけにもいかないので,その日のうちに残りを読了し夜消灯前にはお返ししました。 

 結局,今回の入院で読んだ小説はこれだけでしたが,今までの入院時の推理小説やB級の娯楽小説とは違って,病院で読む小説という意味じゃなく,ても新しい読書傾向の趣味が開けたカモ。。

 以下は,時系列順に20枚くらい。。

 まずは,翌朝(4/18(水)),内科15階談話室の窓から見た東京の絶景から。。

 ↓超肥満で,医学的に減量中の元自衛隊員という兄ちゃんから,正面に朝霞の駐屯地のタワー?が見えて,天気が良ければ富士山も見える,と言われたので,こちらは北向きの窓でしょう。

   

 ↓15階の一般用の中央エレベータの15階フロアです。

手術の際のストレッチャーとか医師,看護師などの業務用は別に奥のエリアにあって患者は入れません。

 

    ↓15階談話室の給湯コ^ナーです。

     

  ↓同じく15階談話室のテレビとゴミ回収ボックスです。

 私は自室ではなく,ほとんどここにたむろしていました。

「なるべく部屋にいてくれ」とよく注意されましたが,それじゃ退屈なので

    



 ↓別の日にやはり15階北向きの窓からです。

    

    

    

  4/23(月)の朝の10時半頃,晴れて15階から7階の眼科病棟に移りました。

  ↓その記念に,自室のスグ隣の出口から7階屋上に出て病棟側?を撮影

    

  ↓7階の私のベッドとそのまわり

   

  以下は,内科から眼科への転科の数日後にやっと晴れて,屋上に出たときに撮った写真です。

 入院最後の頃,天気が良くてドアが閉鎖されずに屋上に出られる日は少なかったので,これらを撮ったのも全部で2日か3日くらいでしょうか。。

    ..

 ↓7階屋上庭園からさらに病院の上の方を撮りました。

  前にいた15階などまだまだ上の階があります。

  

    

   

 ↓昨年6月には,屋上この当たりの排水路に,カルガモの親子がいました。

 去年は,カメラは無く携帯電話もカメラ機能無いので惜しいことをしました。

   

  

    

   

   

   

 これで終わりです
 4月30日にもらったYou-Tube メールからです。



PS: 夜中,零時頃,就寝前にインスリン8単位を打つ前に,久しぶりに血糖値を測ってみると,497です。アリャリャ,退院前はせいぜい250くらいだったのに。。。

 チョッとやばいネ。。

 これから少し寝た後に(あと1,2時間しかないが)朝食前のインスリン4単位は打つとしても朝食抜きですね。

 退院後も,毎日4回のインスリンはちゃんとやってますが,入院中の"おあずけ"連続の反動で,少しくらいはと,ここ数日は食欲旺盛なまま食してるせいでしょう。



これまでの経験から入院生活は退屈極まりないことがわかっていたので,数冊の専門書や小説だけではスグに時間が枯渇し,また飽きてしまうと思い,ルービックキューブや詰め将棋本も持ち込みました。

 さらに,この他に入院直前に急遽Amazonで「数学オリンピック完全攻略」という古書を注文購入して病院に持参しました。 

 入院初日の4/17の午後に,最初に考えて解き,なぜか退院までに最も印象に残った問題は次の問題でした。 

 数学オリンピックの問題(1979年)

 p,qを,
 p/q=1-1/2+1/3-1/4+...-1/1318+1/1319
を満たす正の整数とするとき, 

 pは1979で割り切れることを示せ。  

(※)以下は,これのヒントから,というより,即解答ですが。。。 

p/q=1-1/2+1/3-1/4+...-1/1318+1/1319
=1+(1/2-1)+1/3+(1/4-1/2)+...+(1/1318-1/659)+1/1319
=1+1/2+1/3+1/4+...+1/1318+1/1319-(1+1/2+..+1/659)

=1/660+1/661+..+1/1318+1/1319

=1979/(660・1319)+1979/(661・1318)+..+1979/989・990
=1979×(1//(660・1319)+1/(661・1318)+..+1/989・990) より 

1//(660・1319)+1/(661・1318)+..+1/989・990)を通分した既約分数をm/nとおけば,p/q=1979(m/n)です。 

故に,p=1979mq/nとなります。 

ところで,1979は,ちょっと確かめればわかるように素数ですから,1と1979 以外には,分母のnと共通因数を持つ可能性はありません。 

しかも,nは660・661・・・1319の約数ですから,これは明らかに1979では割り切れません。 

そこで,pが整数であるという仮定なら,mqの方がnで割り切れると結論されます。 

したがって, p=1979mq/nで,かつmq/nが整数ですから,pは1979で割り切れることになります。(終わり)  

こうして入院初日は暮れてゆき,11泊12日が続いたのでした。(

(※この問題を看護師さんに宿題として置きみやげに渡してきました。 ← 迷惑な) 

PS:1503号室も701号室も一番安い4人部屋でしたが,4人いると1人くらいは大いびきをかく人がいるもので,11泊中の7泊はスグ隣にそういう方がおられました。 

私は,自宅にいるときでも,風や雷とか,または隣近所の自分に無意味なノイズは気にせずにいると,脳が割と勝手に無視してしまうという傾向なので,気付いてはいてもほぼ熟睡していましたね。 

それに,病院での睡眠時間も家と同じく4,5時間程度なので,消灯21時ころだと夜中の2時,3時には普通に目覚めて完全に起床してしまうため,大いびきとの交錯時間も少なく,無問題でした。 

でも,中には部屋から逃げ出したり,看護師を呼んで苦情を言ってもらう方もおられました。 

別に昼間仕事があるわけじゃなし,病院入院じゃいつでも寝られるので夜寝られなきゃ昼間寝たらどうですか?などと無責任なアドバイスもしましたが,まあこういうことは自分自身にもはね返ってきます。 

眠っているときに,自分の状態がどうであるかなどは自分じゃわかりませんからね。(いびき,寝言,歯ぎしりetc.あるかも。。) 

以前,もう5年も前で,まだ今ほど自分以外の人に完全に寛大じゃなかったころですが。。。 

心臓手術のあくる日に,順天大学病院のCCUで,その日だけ睡眠薬を禁止されたので,隣人の大いびきで眠れなかった。と,つい看護師に苦情を言ってみたら,大部屋なんだからガマンしなきゃ仕方がないでしょう。どうしても気になるなら,あなたの方が個室に入れば。。, 

というようなことを言われて,鼻白んだ記憶があります。 

まだ若かったですね。今なら当然受け入れます。 

そもそも,近くにいる他人のそれではなく,自分だけの不都合についてであれば恐らく苦情は言わないでしょう。 

まあ,お互い貧乏なので大部屋なのですから,仕方ないでしょうね。 

PS2:昨日自宅で寝るとはなく横になっていると,20時前にさっそくお誘いがあり,大山の居酒屋で退院祝いをしてもらいました。

焼酎のサワーを3,4杯飲み,カラオケも歌って帰宅は22時半でした。
 表題の通りです。予定よりも約一週間早く昨日28日(土)の午前に帝京大医学部付属病院を退院して自宅に復活しました。

 いつもなら退院して帰宅すると,直後に経緯の仔細などを勇んで書き込むのですが,もう定例のようになってマンネリでもあり退院当日はおとなしく休んでいました。

 今日の記事も退院報告程度にします。

 まずは,4/17(火)朝9時ころに自宅を出て10時45分ころ,バスで帝京大病院に到着しました。

 すぐに,入院手続きをして11時過ぎには,内科病棟の15諧西の男子トイレ前1503号室4人部屋の廊下側ベッドに落ち着きました。

 すぐに,採血や心電図etc..の検査があって,血圧は110~60くらいの問題ない値でしたが,血糖値は600を超えて振り切れたということです。

 以後は食前の速効果型インスリンを4単位と,就寝前に持続型のインスリンを12単位受けての1日計4回のインスリン投与で,もう翌日18日'(水)夜には食間の平均血糖値が150~250程度に落ちたので就寝前の方は12単位から8単位,さらに最後は6単位に減らすということで安定しました。

 というわけで,左眼手術には支障のないレベルに下がったということで,予定通り,23日(月)には眼科病棟の7階東701号室廊下側に転科,引越ししました。

 私は,翌24日(火)14時ころ主治医の執刀を受ける予定だったのですが前の2つ?の手術が早く終わったため,昼食前の11時にはストレッチャーで4階手術室に入りました。

 手術中は,何故か眼には痛みも痒みも感じないのに,,両足首,足の裏が異常に冷たくて,そして痒くてたまらなくてガマンしていました。

 局部麻酔なので何かあったら,口頭で伝えてほしいといわれていましたがマサカ足が痒いとは言えなかったので黙っていました。

 これって外科手術の際にはあるといわれているある種の錯覚でしょうね。(聞いた話ですが,手術で足を切断された後で,無いはずの足が痒いとか。。。医者には想像もできず受けている当人にしかわからない感覚らしい)

 眼と関係ないとことで戦っているうちに私の手術は終わりになりましたが,後で看護師に聞くと終了した時刻は12時29分ということでした。

 自室ベッドに戻して貰い,2時間の安静の後は,手術の傷跡の当然の僅かな痛みの他には別に殊更どこかが痛いとか痒いいうこともなく,単に空腹でしたので, 取り置きを持ってきてもらって遅い昼食を取りました。

 今回は,眼帯を取って最初の眼薬を受けたときには,既に左眼は右眼よりも明かりを強く感じ,しかもほとんど普通にハッキリ見えていましたから,早い退院を予感しました。

 白内障だけの患者は23日入院,24日手術,25日退院というペースでしたが。そこまではいかなくても糖尿性網膜症による眼底出血の程度が小さかったのか27日の診察で翌日には退院していいと言われました。

 前回の右眼のケースでは2011年5/30(月)入院5/31(火)手術で6/11(日)退院でした。

 そのときよりも,眼科だけの入院期間は一週間以上も短かく,,うれしいけど名残惜しいような感じでした。

 しかも前回は出血による硝子体部分の濁りが晴れるまで半月以上もかかり,なかなか前のようには見えなかったので今回は良かったです。

 今日29日(日)午後から,日本橋馬喰町に出勤する予定です。

 11日間入院で体はまだなまってないようです。5月は普通に出勤したいのでその予定を立てます。

 例によって入院生活の詳細は気が向いたら追加するかもしれませんが,取りあえず無事生還したのでその報告です。

 ブログの完全休養期間は後一週間あったのですが,急に従前と同じようにとは考えず,ボチボチと戻していきたいと思っていま
 
 Twitterでつぶやくことかも知れませんが,本日15日(日)は朝11時ころ阿佐ヶ谷に行き,そこからバスに乗って善福寺公園まで行って花見をしてきます。

 まだ散ってないか心配。。

PS:JR阿佐ヶ谷駅に着くと1971年の沖縄闘争時に渋谷での機動隊員死亡で逮捕され刑確定の元中核派の星野さんの再審請求のビラを配っていて,昔私もヘルメットかぶってやっていたことを思い出して,つい同年代?のビラ配りの人としばし雑談し署名しました。

 その後,駅にいた花見の案内人の指示通り「すぎ丸」という杉並区の100円バスに乗って善福寺川緑地公園バス停で降りました。

 そこにも案内人がいたので,道を聞いて10分くらい川沿いを歩くと,何やらにぎやかな花見?会場に到着しました。

 招待人のくれたメモには,「有象無象の宴」の会場と書いてあえりましたが,正式名称は「脱原発有象無象の会」というものであるとわかりました。

 集会届けを出してないということで,表向きは花見でしたし,まあ印象としても子供連れ家族もいましたし普通のカラオケもあって概ね花見でした。

 まあ脱原発という趣旨には反対じゃなく概ね賛成でしたし,実際私自身は単なる花見と思って参加しました。

 イヤ,学生運動当時は映像で見たことあってもフォーク集会的なものには参加したことなかったし「歌と踊りの民青」という感じで代々木系とは一線を画していました。

 定番の岡林の「友よ」も出てヤハリと思いました。

 でも当時の左翼(代々木)や新左翼'(反代々木)といったいわゆる左翼集会とも,異なり,もちろん民青の歌と踊りとも,内容は全く異なるものです。

 自分が肯定的に輪に入ってドップリつかってみると気持ちのいいもので,若い知り合いも数人できて,結構楽しかったです。

 つい,40ウン年前と錯覚するほどで,イヤー杉並区は熱いなと思いました