嫌いだった子に恋した

僕は変わっていて僕と話をしてくれる女性は一人たりともいなかった。

でも中2になって、うるさいほど僕に話してくれる子がいた。それが嫌いだったあの子でした。塾も一緒で塾のクラスも一緒だった。高校も一緒の所に行く予定だった。あんな自己中でうるさいあいつと高校まで一緒か最悪だ、そう思った。そして受験のラストスパート僕の家は母子家庭で私立には通えないので公立は落ちるわけにいかないということで、

一個下のレベルの高校に出願した。そう、あの子とは違う学校に出願しました。僕はレベルを下げたということではっきり言って受験は余裕でした。でも何故か心が苦しくなりました。簡単な受験を選んだことの罪悪感かなとか考えたが、そういう訳ではありませんでした。もうあの子と同じ学校に通えないという悲しみでした。最初はそんな訳ないだろと自分を否定していましたが、あの子と話す度心が苦しかったのです。受験の時駅であの子に会いました、絶対合格しような!そんな約束をしました。合格発表の時も駅であって、よっ!って挨拶しました。もちろん2人とも合格しました。県立入試で問題は同じで僕の方が点数が高かったのです。ここですごい後悔したのです。僕の方が偏差値の低い学校を受験したのに勿体なかったなって。その子はなんで一緒の学校受験しなかったの?一緒の学校に行きたかったのにずっと君のギャグ見てたかったのに、って言ってました。三送会で僕はネタをやって、あの子は爆笑しながら面白かったと言ってくれました。お笑い芸人になれよ!ずっとテレビ見てるから!って言ってくれました。卒業式一緒に写真を撮りました、帰り道一緒でした。何を話したかは覚えていません。でもまるで夢のようでした。その後塾で仲よかったその子含む数人とディズニーシーに行きました。その子に夢中で思い出話は一切ありません。

ただなんの乗り物か覚えてないけど隣同士で座ったことは覚えています。空手をやってた僕は足が太くレバーとあの子の細い足の間には隙間があって私死ぬかもってあの子が言い出した時は、もう死ぬほどわらいました。

それからもちょくちょく会っていました。そして一年後あのメンバーの中の1人が引っ越すことになって、3年間会えなくなるということで、次は皆でランドの方に行きました。またあの子に夢中で、思い出話は1つもありません。帰りの電車僕はその子と離れた場所に座ることになってしまいました。でも赤ちゃんを連れたお父さんが座れず立っていたので、僕は譲ってあげました。そしたらあの子がこっちおいでって言ってくれました。あの子は僕に席を譲ろうとしてくれました。なんてやさしいんだ君はって思いながら僕は断りました。そして他のメンバーは皆寝てしまいました。あの子に寝ていいよって言っても、それが全然眠くないのよって言われて2人だけの空間ができました。僕は数百年ぶりに噴火する富士山かのように話し始めました。なんの話をしたかは何1つ覚えていません。ただあの子は崩れるように笑っていました。1時間以上あったはずの時間はまるで一瞬でした。それからあまり繋がりがなくなって、誕生日のラインくらいでしか関わりがありませんでした。そこでもあの子はお笑い芸人になれよって言ってきました。そして好きになって2年僕はデートに誘いました。断られました。それから毎回来てたインスタのいいねも一切なくなりました。それから辛い毎日が続きその2ヶ月後本気で告白しました。フラれてしまいました。もしあの時中学の卒業の時、電車で2人になった時、もっと早く告白しとけば、少しは変わってたのかな、いや僕じゃ無理か。僕は一生あの子が好きです。初めて僕と関わってくれた女の子、初めて僕を見て爆笑してくれた女の子、学校を辞めようと思っていた時もあの子が優しく声かけてくれて、今こうして楽しく生きてられてる。せっかく仲良くしてくれてたのに、傷つけちゃったよな僕。もう一生童貞でもかまいません。一生女性と手を繋がなくても、キスできなくても、話せなくてもかまいません。僕はあの子のことを一生思い続けます。そしてお笑い芸人になって、あの子の笑顔を絶やさないようにテレビからあの子を笑わします。そしてあの子に子供ができたら、これママの友達なんだよとか言ってくれたら幸せだな。

スキだらけだったので自分語りさせていただきました。お笑い芸人なら自分語りできなきゃダメだろうからまあいいだろう。ブログっぽくないけど、とりあえずこの気持ち発したかった。はー好きだわ最後の最後相手がいなくて結婚とか考えてたらその時は僕と結婚しよう。何歳までも待つから。