アメリカ元大統領のクリントン氏がインドのタージマハルを訪れた時、そのあまりもの美しさに感激し、

「世界にはタージマハルを見て死ぬ人と、見ないで死ぬ人の2つに分かれるだろう」

とコメントしたという。

個人的にタージマハルは見てみたいと思うが、それはさておき、私はこのコメントに感銘を受け、受験勉強に取り組む我がヤンチキに対し、言い換えた次のメッセージを日々伝えている。

「世の中の受験生は、勉強をやるか、やらないか、2つに1つしかない」と。

一般的に、世の中の人間社会では、「やろうと思っていた」とか、「気付いていたんだけど」とか、意思はあったんだけど、という発言があるが、周りのヒトにとってはその人が実際に行動するか否かが重要であって、意思は全くといってよいほど関係ないものである。

このことを、小学生にはまだ早いよなと思いつつも、受験に立ち向かう我がヤンチキには、あえてわかってほしいと思う。

「勉強しようと思ってたんだけど、疲れてたから・・・。」

「暗記しようと思ったんだけど、眠かったから・・・。」 等々。

どんなに疲れていても、どんなに眠くても、最後の勝負の分かれ目は、どんな状況であったとしても、実際に、手を動かし、声に出して、「勉強したか、しなかったか。」の2つに1つである。

「勉強しようと思っ」て机に向かったけど、眠かったから・・・、は、最初から何もやらなかったことと同じ。

ゲームやって息抜きする時間と、全く同じだよね。最初から。

小学生の子供に、本当に厳しい言葉だなぁと改めて思う。

が、日々勉強する時と同じように親が隣に座ってサポートしてあげられない受験本番当日の、テスト時間の最後の1分、最後の1秒まで絶対にあきらめない、終了の鐘が鳴るギリギリの瞬間まで全力でぶつかり続ける。

ヤンチキには、彼の将来のためにも、「僕もタージマハルを見てみたいっ!」じゃなくて、そんな意思を育んでほしいなと、強く思うのである。