これまで仲が良かった人とも袂を分つと一転、憎しみや嫉妬から、これまでの仲間を批判し相手の足を引っ張るという行為に走る、そんな場面を見ることがあります。
自分はそうじゃない…と思いたいところですが、物事の大小は違えど、これまでの人生の中で思い当たることは多々あります。それを行動に出さないとしても、そのような思いを抱くことは誰もがあるのではないでしょうか。
とくに立派な実績のある人が、意見の違いからそのように人を罵るような態度をとるのを見ると、悲しいというかなんというか、見るに耐えないとても残念な気持ちになります。
精神性は、地位の高さ、高学歴、これまでの社会的実績などあまり関係がないようです。
ですが、人はそのようにネガティブな部分が見えたとしても、それは数ある側面の一部分です。
いい面はたくさんあります。
ただ今はそこが目立っているだけということです。
人はいろんな面をたくさん持っています。見方を変えれば、それはこの宇宙と同じです。一人一人その中に多様性を持っているということですね。
私も以前は怒りを溜め込む傾向があり、それが思わぬところで爆発し、あとで後悔するということもけっこうあったので、そんな自分をなんとかしたいという思いから、自己啓発や精神世界のような方面に目を向けるようになりました。
自分自身の欠点や失敗という、一見ネガティブな物事は、実は自分の成長に欠かせないものだと言うのは今ではよくわかります。
どんなに立派に見える人であっても完璧ではない。いい面もあればそうでない面もあます。
ただ、他人に見るいい面、悪い面というのは、自分の目を通して感じることなので、人によって、その人に見るいい面や悪い面が変わってもきます。
ですから、自分にとっていい人でも、他人にとってはそうでもなかったりします。
結局どのように見ているかという自分自身の問題なのです。
そのように、相手を見る目、世界を見る目は、自身の成長とともに変わっていきます。
成長に伴い世界の見方が変わってくると、実際、身の回りに起こる出来事も変わってきます。
怒りを溜めていたいた時は、それを爆発させるような腹立たしいことが頻繁に起こっていましたが、気がつけばそんな出来事はあまり起こらなくなっていました(遭遇しなくなった)
実際同じようなことが起こっているのかも知れませんが、そのように捕えなくなったのかも知れません。
どちらにしろ、自身の内的変化は、身の回りの世界にも影響してきます。
何かトラブルに巻き込まれた場合、その責任は相手にあるように見えるかも知れません。ですがまず自身の内側に原因があるという認識で捉えてみることは大切だと思います。
もちろん、車に乗って信号で停止している時に後ろから車をぶつけられ、そのぶつけて来た相手に対して「私に原因があるんです。すみません」と相手に謝るということではありまん。
そのような状況を創りだした要因は自分の中にあるという認識をもつということです。そのような視点があれば、相手に対しても過度に腹を立てることなく冷静に対応できるでしょう。
なぜ自分に原因があるという視点が大切なのかというと、すべて周りの責任として捉えていては何も成長がないからです。
あいつがああ言う態度をとるから悪いんだ。後悔さてやる…憎しみや嫉妬は同じループを繰り返すだけで、結局自分の成長にはつながらず、似たような出来事を今後も引き寄せて来る結果になります。
この出来事から私は何に気づくべきか…前回でも触れましたが、このような内的な探究がスピリチュアルという分野でとても大切な部分だと思います。
すべては自分、この視点はどんな時も忘れずに持っていたいものです。