年越しは毎年、神戸から母親の広島の実家(お寺)に戻り、
お経をあげ、法話を聞き、年越しのそば(京都のおそば屋さんから毎年いただいている)を食べ、
次の一年に向け心を新たにするようにしている。
僕にとって一年半前に亡くなった祖母、また
学生時代に亡くなった母親、祖父、祖祖母のお墓に
手を合わせ、お寺の本堂で迎える年越しは非常に大きな意味がある。
僕が産まれた時、家族は兄弟は僕を含め6人(末っ子の甘えん坊である)
と両親で暮らしていた。しかし間もなくして母親は家を飛び出し、
僕は母親の実家で育てられることになった。
詳しいことはわからないけれど、心身ともに疲労しきった母親の、せめて
この子だけはという気持ちが、僕だけを連れて家を出て行くという行動となったのだろうか。。
そこで僕は祖父母、祖父、祖祖母、叔父、叔母、従兄弟達と共に生活していくことになった。
両親といない自分にとって祖父母は、母親代わりになって
僕を育ててくれた。傲慢な言い方かもしれないけどまるで僕を
育てることを自分の使命に感じたように。祖母には本当に感謝している。ありがとう。
このお寺での生活の中で、僕は自然とほとけさんに手を合わせ、南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と唱えるようになった。
日曜日に本堂でお説教があれば、正直長いお経(正信念仏偈は30分位正座しないといけない)
は辛かったが、お経を読み、法話を聞くようになった。半分強制的ではあったけど。。
だから僕にとってのお寺は自分の故郷であり、常に心の中心にあるものなんだと思う。
それは紛れもなく仏さんが僕に与えてくれた大きなプレゼントなのかもしれない。
いや与えてくれたんじゃなくてそこに"ある"ってことを気づかせてくれたのかもしれない。
だから今こうして普通に生活していても自然と口にでる。南無阿弥陀仏。
今年は仏さんの願いに沿った正直な自分で生きていこう。
そして自分がわくわくすることをやっていこう。
そう決めた。