11:00の昼に 低学年から中学校の二年生の学生たちが走ってきます。一部の学生たち
が来ました。約60人です。
「おばさん、おはようございます。。。」と皆は笑顔で、挨拶します。
昼休みの短い時間で皆はセルフサービスで食事しています。月曜日から金曜日の風景です。

一年半前に姉とやり始めた仕事です。

そのころ、両親の介護もやりながら

挑戦しました。お互いに時間を上手に組みながら、両方うまくいきました。
今、両親も回復し、来ている学生達の姿も両親の若返りのもとにもなっています。

さて、さて。。。
12時の部が来ました。3-4年生とほかの学校の先生たちの皆様です。
学生達との会話もしながら、お昼の時間は過ぎました。

『おばさん、有難う 又明日ね」と満足して皆 さようならをします。

今日も一日良かった。。

FUJIとMALYのフィリピン・プエルトガレラでのお話


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此処 

プエルトガレラに来て最初は私達の住居と私のビザに取りかかりました。 

住居は妻と結婚した時、 
両親から妻名義で土地を頂いていました。

そして1996年に父のアドバイスで空けておくのは勿体ないからとの事でコテージ風の1DK
を鉄筋コンクリートの2階建てを投資して頂き建ててもらいました。

普段は1.2階をコテージとして使い私達が帰省した時はその2階を住居とし 

コテージの収入は息子名義の口座を父が作りキープしていたようです。
その建物の1階を鉄筋コンクリートのままスケルトン式で50?増築し花壇形式にし,
そして2階を増築し、2LDKの住居を5ヶ月掛けて完成しました。

此処での工事のやり方は手間のみで資材、材料、その他は建主が買って
というやり事でしたが、大変なので一式受けの業者を探し、工事をしてもらいました。

建物の土地は車道から2階の床まで7mの高台にあり2階のリビングから東面は一望に海が見え、南面は山と町全体が見える最高のロケーションで 
私はテラスに座り、大変満足しています。




TOSHI


FUJIとMALYのフィリピン・プエルトガレラでのお話


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息子が3歳になった時 

妻は突然 息子をピアノ教室に通わせたいと言いました、

その時私は男の子だから空手か柔道でもと考えていましたが 息子はヤマハ音楽教室入る事に成り それを中学3年生まで続け 小学2年生の時の「エリーゼのために」の曲は本心聞いていて 

私自身 毎日の仕事の疲れている私の心をすごく慰めてくれた事がありました。そして 息子は今でも 楽譜のみで 自然にピアノが弾ける事の技能は 息子の人生において すごく価値があるように思っ
ています。

此の国に何度か息子が来た時、両親はじめ親族の前でピアノを演奏する事が 

息子自体の存在価値を高めてくれています。

幼稚園に入り息子は 小、中学校の同級生で 今はJ1の横浜マリノスのプレイヤー(田代真一君)
のお父さんにサッカーを初めて教えてもらい それからの息子は小、中、高、大学とサッカー漬けの生
活でした。

私も仕事は何時もハードだったのですが 試合のたびに 自分のスケジュールを変更し 
チームメイトの親御さんと共に(妻も)毎回のように応援に参加していました。
私も妻もチームメイトの親御さん達と自然とお友達になり息子のお蔭で ものすごく私達のエリアが広くなり、息子にたいして本当に感謝しております。


TOSHI