母は昔、猫を飼っていました。
名前はみこ。
父が、知り合いから貰ってきた猫でした。
母は最初の頃は、猫は飼いたくないわって反対してたんですが…飼い始めたら母になついた猫は、すっかり母の猫となっていました。
当時私は、高校へ通うようになっていました。うちから離れた遠い高校へ通う為に、朝早くうちを出て、放課後の部活を終えると、毎日帰宅は夜8時近くとなっていました。家族と一緒に過ごす時間は短くなり、私は反抗期というわけではなかった(多分😒)のですが、今思えば、大人と話をするのは面倒くさいみたいな、大人と話をしない時期みたいな…まあ、そういうこととか、顔を合わす時間が短くなった(自分には好都合だったんです)こととか、色々なことが重なって、だんだんと両親とも、話をする事もほとんどなくなっていきました。ほんとミニマムな会話。
いつだったか、友達のM子がうちへ遊びに来ている時、隣の部屋から、
「ねんねんよ〜ねんねんよ〜みーこちゃんはねんねんよ〜」
と、猫に子守唄を歌う母の歌声が聞こえてきました。
すると友達のM子が、
「年子が赤ちゃんの頃、お母さんはこうして年子に子守唄歌ったんだろうね〜」と、言いました。
多分…M子にそう言われたことと、母の猫に歌う子守唄を耳にした事とが、思い出の中では、あたかも自分が赤ちゃんの頃に、母の子守唄を聴いた事があったかのように思い出され、
(赤ちゃんの頃の事を覚えていることはありえないのでしょうが。でもひょっとしたら本当に母が子守唄を歌っていてたことが、思い出せないけれど脳のどこかに記憶に刻まれているのかもしれない。大事な事だけが長く記憶として残り思い出すことが出来るのであれば…記憶は脳でされるわけだけど、脳の記憶の仕組みとか、脳と心のつながりとかはよく分からないけれど...脳と心の、記憶に対するそれぞれの重要さは大分ずれている気がしないでもない...)
大分後になって、大人になって、子供もできた私は、母が猫に子守唄を歌ったように、私も3人の子供たちに、同じ子守唄を歌ったのでした。
母は、猫に子守唄を歌ったり、いつかしら猫に話しかけるようにもなったり...
”いつかしら“っていうのは、今思えば多分、私達(兄と私)との会話が、少なくなった頃から、かもしれないなあと、思ったりしています。
でも(幸いにもと言えるのかどうか、とにかく今思えば、あの頃みこちゃんが居て良かったなって思えるのです。)面白いもので、猫のみこちゃんも、そんな母に、返事をするかのようににゃあ〜って鳴いていました😊。
みこちゃんが、空へ逝ってしまってからは、母はもう猫は飼わず、ずっと一人暮らしをしています。
明日は、母に電話を掛けてみようかな…😊なんていいながら、未だに何を話していいのかよく分からないけれど、毎回子供達の近況を話します。
本来は、ここに書くより母と話をすべきなんだよね。
話す事がなくなったら、人生はつまらない寂しいことだなって思いませんか…。

名前はみこ。
父が、知り合いから貰ってきた猫でした。
母は最初の頃は、猫は飼いたくないわって反対してたんですが…飼い始めたら母になついた猫は、すっかり母の猫となっていました。
当時私は、高校へ通うようになっていました。うちから離れた遠い高校へ通う為に、朝早くうちを出て、放課後の部活を終えると、毎日帰宅は夜8時近くとなっていました。家族と一緒に過ごす時間は短くなり、私は反抗期というわけではなかった(多分😒)のですが、今思えば、大人と話をするのは面倒くさいみたいな、大人と話をしない時期みたいな…まあ、そういうこととか、顔を合わす時間が短くなった(自分には好都合だったんです)こととか、色々なことが重なって、だんだんと両親とも、話をする事もほとんどなくなっていきました。ほんとミニマムな会話。
いつだったか、友達のM子がうちへ遊びに来ている時、隣の部屋から、
「ねんねんよ〜ねんねんよ〜みーこちゃんはねんねんよ〜」
と、猫に子守唄を歌う母の歌声が聞こえてきました。
すると友達のM子が、
「年子が赤ちゃんの頃、お母さんはこうして年子に子守唄歌ったんだろうね〜」と、言いました。
多分…M子にそう言われたことと、母の猫に歌う子守唄を耳にした事とが、思い出の中では、あたかも自分が赤ちゃんの頃に、母の子守唄を聴いた事があったかのように思い出され、
(赤ちゃんの頃の事を覚えていることはありえないのでしょうが。でもひょっとしたら本当に母が子守唄を歌っていてたことが、思い出せないけれど脳のどこかに記憶に刻まれているのかもしれない。大事な事だけが長く記憶として残り思い出すことが出来るのであれば…記憶は脳でされるわけだけど、脳の記憶の仕組みとか、脳と心のつながりとかはよく分からないけれど...脳と心の、記憶に対するそれぞれの重要さは大分ずれている気がしないでもない...)
大分後になって、大人になって、子供もできた私は、母が猫に子守唄を歌ったように、私も3人の子供たちに、同じ子守唄を歌ったのでした。
母は、猫に子守唄を歌ったり、いつかしら猫に話しかけるようにもなったり...
”いつかしら“っていうのは、今思えば多分、私達(兄と私)との会話が、少なくなった頃から、かもしれないなあと、思ったりしています。
でも(幸いにもと言えるのかどうか、とにかく今思えば、あの頃みこちゃんが居て良かったなって思えるのです。)面白いもので、猫のみこちゃんも、そんな母に、返事をするかのようににゃあ〜って鳴いていました😊。
みこちゃんが、空へ逝ってしまってからは、母はもう猫は飼わず、ずっと一人暮らしをしています。
明日は、母に電話を掛けてみようかな…😊なんていいながら、未だに何を話していいのかよく分からないけれど、毎回子供達の近況を話します。
本来は、ここに書くより母と話をすべきなんだよね。
話す事がなくなったら、人生はつまらない寂しいことだなって思いませんか…。
