昨年末わたしの年間の春分の節目にあたる音13の週

父親の故郷であり、わたしの誕生の地、富士宮に足を運び、一昨年の年末から昨年にかけ三度目
幼い頃から父親と一緒に過ごした記憶はあまりなく、14歳で生き別れてから45年間、たった一度だけ会う機会があり、わたしの中の父親は、いつまでも若い頃のまま

節目の音13の週は、父親の卦、火雷噬唔 水風井の逆卦の水風井 火雷噬唔

わたしの中では父親はいつからか居ない存在
としてきましたが、父親の故郷へ足を運ぶということは、父親の一族を思い、わたしの中に流れる血を思い出す旅ではないだろうか?

富士浅間神社に参り、父親を思いだし、父親の人生をたどって見なくてはという、衝動が沸き上がり
春分の節目は、一族から始まり
年明けに、赤の音1、火山旅
わたしの自分探しの旅がスタート

お正月もあり、何時より、家族とのふれあいが多く、帰省した娘家族、叔母宅へお呼ばれなど、血の家族からのスタート

一族の習慣の癖等、わたし達には脈々と流れ引き継がれていく

自分で認めたくない嫌いな部分
その扉を空ける事が、一族の願い、悲願に繋がる
そして何より越えたくて生まれた先祖の想いに触れることが、一族の供養になります。

今まで母親の一族ばかり見つめてきたわたしにとって、父親の一族を観るのはどこか他人事でした。

お正月休みが空けすぐ、以前、わたしの元で働いてくれていた娘が、殺傷事件を起こし、息子が事件直前まで一緒に居たことで、息子はいわれのない責任を感じ自分の仕事も休み、警察、病院、更にはその家族とも関わり、親のわたしはハラハラ心配していると、

わたしの仲間が、なんっと息子君は、わたしによく似てるという、えっ😱💥わたしに、似てる?
更にはわたしの父親も、人がよくお節介な人ではないの?

そんな視点、わたしにはなく、新たな視点を頂きました。
息子にはなぜだか、優しくできずいつもイライラしちゃうんですが、それは一番、自分に似ていてもどかしくなるからなんだと気付き

わたしの母親は、そんなわたしにいつも口うるさく文句ばかりでしたが、母親の思いにも触れ、父親にもきっと母親はそんな口調で責めていたのかなと、両親の姿をわたしと息子に垣間見ました

息子はマヤ暦ではわたしの後ろのkinです。
息子を通して自分をわたしは教えて貰うのかも知れません
そして先週は、先祖と関わりの深い風水喚で、更に一族に触れ、昨日からは父親の卦に入りました
足元を見ていく一年にしていかなくてはと思います