妙に言葉が育たなくて。

 

いろいろと試行錯誤を重ねる中で、

書きたいことはたくさんあったのですが、

ここまで時間がかかってしまいました。

 

でも、なんとか現時点の結論をまとめてみたいと思っていました。

 

というのも、

ほぼ1年前(正確には2019年11月28日)、

僕は、とある方と再会し、

そこから「自分旅行」が始まりましたから。

 

この1年で成長したのか退化したのか

自分でもよくわかりませんが、

今までにない新たな視点が加わったことは間違いないでしょう。

 

まだまだ気持ちや考え方は揺れ動いていますが、

今この時点の「真理」と「神」と「愛」についての

私見を述べたいと思います。

 

<真理について>

「真理」というと大げさかな?

別の言葉でいうと「正解」とか「正義」。

 

結論としては

【絶対的な「正解」や「正義」なんてない】

 

もちろん「宇宙」という視点からすると、そういうものはあるのかもしれません。

また、自分の中に「正解」や「正義」があっても構わないと思っています。

 

ただ、僕のような凡人は、

到底「宇宙の真理」などというものにはたどり着けないし、

自分の中の「正解」「正義」も変化していくでしょう。

 

だとすると「絶対的な『正解』や『正義』なんてない」

と考えることが妥当だと思うわけです。

 

そもそも、絶対的な「正解」や「正義」が存在するという考え方は

まったくもってよろしくないです。

そういうものがあると信じてしまうからこそ、

相手に対して不寛容になってしまうし、

もっと言えば、絶対的な「正義」と「正義」がぶつかって

「戦争」という事態も引き起こされるわけで。

 

もちろん、常に相手の考え方に迎合せよというわけではありません。

自分の信じる「正義」があってもいいんです。

ただ、相手にも同じように信じる「別の正義」があり得る。

そう思っていた方が、世の中から「いさかい」が減っていくんじゃないかと思います。

 

<神について>

結論から言います。

【神はいてもいなくても関係ない】

 

いろいろと勉強や経験をする中でわかってきたこと。

それは「しょせん神は導いてはくれない」。

 

自分が人生で迷っているとき、

神は「こうした方がいいよ」という具体的なアドバイスはくれないようです。

だとすれば、自分の進む道は自分で見つけていくしかない。

もちろん、神は適時適切になんらかのヒントを

僕たちが気がつかないうちに与えてくれるのかもしれませんが、

「気がつかないうちに」ですから、

結局のところ「神はいてもいなくても関係ない」ということになると思っています。

 

もちろん「神は存在する」と信じることは何ら問題はないでしょうけど、

だからといって、「神にすがる」ということを神は好まないようですし、

すがったとしても神は「自分で気づく」ことを大切にしているようですので、

「神はいてもいなくても関係ない」ということになるんだろうと思っています。

 

(余談)「神は気づかないように導くけれど、気づいてもらいたいと思っている」という

    ことを聞きましたけど、「乙女心かっ!」ってツッコミを入れました(笑)

 

<愛について>

「愛」についてもいろいろと考えてきました。

もちろん一番大切なのは「愛」。

それは揺るぎないものだろうと思います。

 

その上で、あえて極端な表現で言います。

 

【人生になんの期待もしない】

 

言うまでもなく「愛」は惜しみなく与えるものです。

「与える人」になることが大切。

そして、その「見返り」を求めてはいけないものだと思っています。

 

そう考えると、前述のような結論になるのではないでしょうか?

 

例えば、人間関係において相手にイライラすることがありますけど、

それって「自分はこうしてあげたのに、なんで相手はこんなことをするんだろう?」とか

「なんで相手はこんなことを言うんだろう?」というようなことが原因だったりします。

そんなふうに感じてしまうのは、

「相手からはこうして欲しかった」「こう言われたかった」という

ある種の「見返り」を期待しているからではないかと思うのです。

 

本来の「愛」の姿が「惜しみなく与えるもの」で

「その見返りを求めないもの」だとするならば、

そんなネガティブな感情が湧き起こるはずがないということになるのでは?

 

そして、それをもっと突き詰めていくと、

人生全般においても「なにかを期待する」ということ自体、

本来の「愛」の姿からすると好ましいことではないということになるのではないでしょうか?

 

ただ、ひたすらに「愛」を注ぐ。

そしてその「見返り」を求めない。

ということは(表現の仕方の問題はあるにしても)

「人生になんの期待もしない」ということで何ら問題はないように思います。

 

実際、僕もいろいろと悪あがきをしてきましたが、

その結果、事態は好転するどころか悪くなる一方です。

残念ながら現在進行形でそういう状態です。

期待するものが叶う気配は微塵もありません。

もう、人生を呪いたくなります。

 

でも、そもそも「人生になんの期待もしない」といわば「諦観」すれば、

「しょせん、そんなものだよな」と

無用に心を乱されずに済むんだと思うようになっています。

 

 

以上、非常に拙い文章で恐縮ですが、

現時点の一つの結論です。

 

見方によっては、1年かけて元に戻っただけという感じにもなっていますが、

自分自身ではそうは思っていません。

 

一見「元に戻った」ようでも、

それは「らせん階段」をぐるりと一回りしていますから、

見える風景は同じようでも、一回りした分、上の視点から見えている。

そんなふうに捉えています。

 

さあ、これからいよいよ

ロングラストスパートをかけていきますっ!

 

 

ありがとうございました♪