突然ですが、私の趣味は近くの宿場町(しゅくばまち)を歩くことです。

宿場町には、昔からの古い家やお店、それから歴史的な場所が今でも残っているので楽しく散歩することができます。


宿場町というのは江戸幕府(えどばくふ)が五街道(ごかいどう)や脇往還/脇街道(わきおうかん/わきかいどう)に作った旅人のための町です。

江戸幕府は徳川家康(とくがわいえやす)が江戸(昔の東京)で始めた武士(ぶし、侍 さむらい)の政府のことです。

五街道(ごかいどう)も脇往還/脇街道も昔の道路のことですが、江戸幕府は昔からの道路を便利に新しく直しました。


五街道(ごかいどう)と脇往還(わきおうかん)/脇街道(わきかいどう)


五街道は主に江戸から京都(きょうと)など江戸幕府にとって大切な都市へ行くための道路でしたが、その名前の通り全部で5つの街道がありました。

五街道には次の道路があります

※宿場町は街道に沿って「次いで(ついで)」いるので宿場を数えるときは「次(次目 つぎめ)」を使います。


①東海道(とうかいどう)

江戸ー京都の街道

東京ー神奈川(かながわ)ー静岡(しずおか)ー愛知(あいち)ー岐阜(ぎふ)ー滋賀(滋賀)ー京都

東海(太平洋)に沿って走る街道です

明治時代が始まるまで京都は日本の都(みやこ、天皇やその家族たちが住んでいた首都のような都市)でした。

宿場数は53次


②中山道(なかせんどう)

江戸ー京都の街道

東京ー埼玉(さいたま)ー群馬(ぐんま)ー長野(ながの)ー岐阜(ぎふ)ー滋賀(しが)ー京都

群馬や長野など山の多いところを走る街道です。

宿場数は69次


中山道の三番目の宿場町、浦和宿には古い家屋がまだ残っています。

中山道に代わって現在は国道17号線がその役割をもっていますが、昔の戸田の渡しからすぐのところに旧中山道が70−80メートルだけ残っています。


③甲州街道(こうしゅうかいどう)

江戸ー甲府(こうふ)の街道

東京ー山梨(やまなし)

甲府は戦争で江戸が危ないときに将軍(しょうぐん、幕府の指導者)が安全のために避難するところでした。

甲州道中(こうしゅうどうちゅう)が正しい名前です。

宿場数は38次


④日光街道(にっこうかいどう)

江戸ー日光(にっこう)の街道

東京ー埼玉(さいたま)ー茨城(いばらき)ー栃木(とちぎ)

日光には江戸幕府を作った最初の将軍、徳川家康(とくがわいえやす)の霊廟(れいびょう、地位の高い人の大きなお墓)東照宮(とうしょうぐう)があります。

宿場数は21次


⑤奥州街道(おうしゅうかいどう)

江戸ー白河(しらかわ)

東京ー埼玉ー茨城ー栃木ー福島(ふくしま)

白河は東北地方や北海道から人や物が行ったり来たりする通り道でした。

奥州道中(おうしゅうどうちゅうが正しい名前です)

宿場数は27次


これらの五本の街道の始まりはすべて江戸の日本橋(にほんばし)、あるいは江戸城(えどじょう)正門(せいもん、建物の正面の門)の大手門(おおてもん)です。

また、東海道と中山道の終点は京都の三条大橋(さんじょうおおはし)です。


そして、脇往還あるいは脇街道は五街道以外の軍事的にも経済的にも大切な道路のことです。


ここでは、中山道の埼玉県付近の脇往還/脇街道の名前を挙げます。

※追分(おいわけ)というのは道が分かれるところの意味です。


①川越街道(かわごえかいどう)

平尾追分(ひらおおいわけ)ー川越(かわごえ)

宿場数は8次


②日光御成道(にっこうおなりみち)

本郷追分(ほんごうおいわけ)ー岩槻(いわつき)

宿場町は6次


現在の日光御成道の様子(岩槻)


江戸時代の街道や宿場町についてまた今度、詳しく話します。