12/29
今日も穏やかな彼。
強い吐き気止めを入れているから、うとうとずっとしているけど、トイレしたい、喉乾いた、横向きたいとか声かけてくれる。
看護師さんとパジャマを替えたり、リハビリ療法士の方のマッサージを受けたり。
また、アイスを美味しいと完食。
12/30
4時30分 痛みを訴える。
レスキューを飲ますが、効きが悪い。
6時に看護師に来てもらう。
点滴の量を増やして様子見。
9時30分 呼吸が荒い。
痛みを訴える、いよいよだ。
看護師に連絡と、家族に連絡。
みんな来てくれた。
母に泣きながら謝る彼。
幼馴染みにテレビ電話。
ずっと親友だぞって言う幼馴染みに、おことわりと名台詞を残した。
看護師と医者が到着。
とにかく、痛みを何とかして。
辛いのとしんどいのは嫌だと訴えた。
看護師に点滴の痛み止めの交換方法を教えてもらい、お昼の12時、私が痛み止めをまた入れた。
それから、彼は朝のバタバタが嘘のように、穏やかに眠っている。途中、早くって訴えるから、水を飲ませたらペッと吐いた。
代わりに、小さく切ったアイスを口に入れたら食べた。
コント看取りと家族に笑われながら、早とちりも私らしいと。
ちょうどベランダから西日が入ってきて、静かで彼の寝息が心地よく聞こえる。
姉が、こりゃ長丁場だな。
彼を見てるから、少し目を瞑るだけで良いから横になれと何度も促される。
仕方なく、彼の横で横になる。
しばらく目を瞑っていると、枕代わりの座布団に、頭がずんと沈んだ。
慌てて飛び起きて彼を見る。
息をしていない。
姉ちゃん!息してない!!
嘘っと姉が横に来た。
彼は、一度、ゴォっと音を立てて息を吸った。
戻ってきた。
あっお別れだと直感した。
姉に家族への連絡をお願いして、私は彼に話す。
ありがとう、本当に私はしあわせだよ。
彼は、小さく、ありがとうと返した。
私は、彼の手を握りながら、ずっと愛してる。
そばにいてね、大好きだよってキスをした。
彼は、本当に小さく小さく大好きだよって口を動かして、そのまま穏やかに旅立った。
姉は、後から映画のワンシーンのようだった。
西日が彼と私を照らして、神がかっていたと。
手紙も、言付けも残さなかった彼。
自分で言うと決めていたんだね。
最後の最後に、ありがとう、大好きだよ。なんて、罪深いわ。
クリニックに連絡をして、看護師がきた。
彼を綺麗にしてくれた。
あまりに穏やかな表情に、看護師も私もりんごジュースって言いそう、甘々タイム中の彼みたいと泣き笑い。
後から駆けつけた医者も、あまりに早い変化に、彼自身の気持ちが追いつかないなか、闘い抜いた。
午前中の状態で、最後までカップにおしっこをして、亡くなる90分前にアイスも食べた奇跡。
最後まで意識もあった奇跡。
最後の言葉をちゃんと伝えられた、満足しきった顔だと。
これが自宅での看取り。
私が、彼の落ち着く環境を整えて、痛み止めのタイミングもバッチリで、強い眠り薬も使わないで済んだからこそできた事だと労ってくれた。
生前、彼から何度も言われた。
しっかり看取れ、凛とおくれ、後は頼んだ任せたぞ。
しっかり看取った。
彼との約束。
自宅から出棺。
家族と俺の親友二人で骨は拾ってほしい。
白装束は着せろ、その他いろいろ言いたい放題言って丸投げした彼。
1/4
三ヶ日は火葬場はお休み。
葬儀屋に、4日は取れない可能性が高い。
火葬式の部屋も、少人数の所は取れないと思うと散々言われたけど、ちゃんと取れた。
沢山の花と、思い出に囲まれて、涙あり、笑いあり、とっても彼らしい穏やかな火葬だった。
毎日、電話をくれた彼の幼馴染みは、
「なんだかんだアイツは、思い通りに最後まで生きた。結婚もして、後の心配もない勝ち組だ」と。
式に参列してくれた男性人達は、
みんないつかは死ぬ。
早い遅いはあれど、1人の男として、穏やかに自宅で看取られて、自宅から出て、自宅に帰る。
羨ましくて仕方ないと言ってくれた。
私は、最後の13日間、本当に幸せだった。
入籍して、彼とゆっくり過ごせて、隣にいれて、お世話もできた。
一緒に生きて行く覚悟から、ずっと一緒に生きたいに変われた。
彼の愛を十分すぎるほど感じた。
1/5
今日は何もしないと決めた。
夕方、リビングにあった介護ベッドを撤去してもらい、いよいよ現実に戻る準備が始まる。
明日から、書類の整理や車の処分や、お金の事等始めるつもり。
胸が少し苦しくて、たまに顔が痺れて、現実逃避したくなるけど、このブログに書いていたように、彼が元気でいたとて、不安も不満もなかった訳じゃない。
死んだら直ぐに火葬しろと言っていた彼が、30日を選んでくれた。
大晦日や元旦では、毎年苦しかった。
一年で最も気が緩む日が12月30日。
お陰で、1月3日までゆっくり自宅でお別れが出来た。
もう十分気を遣ったんだから、4日に焼いてくれと言わんばかりに火葬場を押さえられた。
ずっと手を握っていたから、右腕の関節は死後硬直しないで上げ下げ出来た笑っ。
1/4まで私の母が、彼の為に毎朝朝食を作ってくれた。
それを少しずつ半紙に包んで持たせた。
写真も、洋服も、大好きなドクターペッパーも、ペッパーに含ませて持たせた。
自宅マンションの駐車場から、いってらっしゃいと見送り、帰りはお骨を抱いて一緒に帰れた。
介護ベッドを撤去するまでは、そこに彼のリクライニングベッドを置いて、ワンルーム生活をする予定でいた。
だけど、撤去が終わるとしっくり来ない。
一心不乱に模様替え。
彼が元気な時の配置でも、いつもいたソファの配置でもなく、1番しっくりしたのは、私が1人で過ごしやすい配置。
彼を感じながら生きる配置だ。
また、書きたくなったら書きに来ます。
みんな、毎秒幸あれです!

