(前回の続き)

 

(劇的な視力回復を体験した頃、心理的ストレスの解消に取り組んでいたことを、最近、思い出した。)

 

 

 自分が何を体験していたのか、以前は、うまく説明が付かなかったが、最近のスピリチュアル系の方々の話題と照らし合わせてみて、何となく理解できるようになって来た。

 

 我々は、身体を覆うように目に見えない何か(オーラというのかも?)が取り巻いているという。

 

 病気が身体的に現れる時、その前に、そのオーラ(?)が病んで来るという。

 

 この何か(ストレス?)を解放できると、身体的な不都合も解消されて行くらしい。

 

 急な視力回復を体験した頃、実は、視力のことは何も考えずに、ただ、この心理的なケアをしていた。

 

 長い人生の中では、心理的なストレスがその場でうまく処理できない場合を何度か、体験することもあると思う。

 

 その場合、そのストレスは、どうも目に見えない形で凍結されて残ってしまうらしい。

 

 それを、もう一度、もっと高い視点で、落ち着いて、善悪とかの判断を超えて、自分がどう感じていたのか、追体験しながら受け留めて、それらの滞りを解消して流して行くこと。

 

 「心の掃除」と思って実践していた。

 

 それを視力回復を体験する前後で、実践していたことを最近、思い出していた。

 

 恐らく、その心理的な滞りの解消が少し進んで、それに身体が反応した、というメカニズム(ストッパーを外すような)があるのではないか、と今は思っている。

 

 若い頃に体験した視力の低下は、2段階を経ていた。

 

 そして、最初の視力回復を体験した際(視力談議(1)に記載)、その2段階目の分がそのまま戻ったような視力の回復の仕方だったことに最近、気付き、身体にはその歴史(病歴)が記憶されていると感じた。

 

 それは、自分自身の中で、「もう手放しても良い」と思った分が解消されて行くのかも知れない。

 

 自分の場合は、視力回復が目的ではなかったが、そのストレス解消を実践する道中で、視力回復が副産物として付いて来た、というように感じている。

 

(なので、視力回復そのものが目的で、「心の掃除」を手段として持って来た場合、果たして、うまく行くかどうか、何とも言えない。)

 

 ところで、最近のスピリチュアル系の方々が興味深い方法を提唱されている。

呼び名が「統合」とか「感情の解放」とか「クリアリング」とか、いろいろあるが、本質的なところは同じようなことを言っているらしい。

 

 過去のトラウマや、いろいろなものを「手放す」プロセスのようで、それは、ネガティブも、ポジティブも含めているらしい。

 

 そして、自分が、かつて実践した「心理的ストレスの解消」は、及ばずながら、その内容に近いことを行っていたように思われるので、ご興味のある方は、そちらを調べてみられると、もっと深くから理解できて、良いかと思う。

 

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【お詫び】

(本当は、もう少し詳しく書きたい思いがありましたが、他に時間を充てたいものもあって、この回の投稿は、かなり簡略化してしまいました。

 とりあえずここで区切り、投稿は、しばらく休憩させて戴きたいと思います。

 あしからず。)