東京成徳大学名誉教授であった国分康孝は教師についての本を数冊記しています。その中で特に印象に残ったことは「自分にできない事は言うな」という一節でした。

 

多少カウンセリングの学習をした私は、「過去と他人は変えられない、変えられるのは現在の自分だけ」とか「直そうとするな、分かろうとせよ」という言葉が耳に残っています。

 

「直そうとするな」ということは、変えようとしないことであり、良くしようと思わないことと考え、それが「生徒指導は、生徒理解に始まり、生徒理解に終わる」という言葉に繋がると理解しました。

 

子どもを「良くしよう」と思って、色々と手出し口出しをした結果、子どもが自己主張をします。思春期は、「論理的思考力が大人並みになる」ため、大人の言動の矛盾を瞬時に察知して、それに対して自己主張をするだけなのです。それを反抗と捉えて反抗期と勝手に命名しているに過ぎないと考えています。

 

実際に自分で子供に、指示・命令、説教・説諭をしないで育てたら反抗されることはありませんでした。この体験は、その後の教師人生に大いに役に立ちました。

 

世の中で、たまに子どもに殺される親や祖父母がいます。それを聞いた瞬間、子どもに対して散々うるさいことを言い続けた結果、逆襲されたのだと解ります。追い詰められた人間がとる行動は①逃げる、②自死する、③反撃する、の3通りと言われています。

 

家出、自殺、家庭内暴力などは全て大人の側が種を蒔いているのです。「あれしなさい」「これしなさい」などと指示・命令が多いほど嫌になるのが人間です。自分ができないことを平気で子どもに押し付けているのです。

押し付けが限度を超えると反撃が始まり、最悪は親殺しへ繋がっていきます。親への自己主張が潰された子どもは、自室に閉じこもり、昼夜逆転した生活になっていきます。

 

親の言い分は、自分が出来なかったからこそ言うのだとなりますが、自分が出来なかったことは自分の子どもも出来ないと考えることが自然です。

 

今まで生きてきて、決して頑張っていない自分、一生懸命にやっていない自分がいます。

 

そもそも頑張って走っても42キロメートル走れる人はほとんどいません。目一杯走っても100メートルを8秒台で走った人は世界中に1人もいません。結局、ここ一番という時だけ頑張れればOKなのだということが分かりました。

 

教師になる時、父から「先生とは、先に生まれると書くように、先に生まれただけ」だから、それを心してなるように言われました。それを聞きながら「親も先に生まれただけなんだけれど」と内心思っていました。

 

 

様々な問題は全て関係の中で起きています。「教師は自らを語れ」と言われています。教師が開かれた姿勢で接していく関係の中で、生徒は自然と良い方に感化・影響されていくものと考えています。

 

上記の内容に賛同しない人は、言えば良くなると勘違いしている。言って良くなるのであれば親と教師がいれば良い。警察はいらない。阿部監督もいろいろと子どもに言って来た結果だろう。

親と教師は、注意叱責、説教・説諭の名人である。子どもがダメになることも知らないで。

 

多少の注意や説教等で駄目になる子どもはいません。平らな道だけ歩いているとデコボコ道が歩けなくなります。社会はデコボコ道です。しかし、文句ばかり言われていると子どもは潰れる方向に行きます。潰れると平らな道も歩けなくなるので、くれぐれも気をつけましょう。