翌週の月曜日、先週の大きい病院に問い合わせの電話をしたところ、火曜日は胃外科が休みとのことで、断念する。

急遽、友達の胃腸科外科の先生に胃カメラをお願いの電話をする。快く、受けて頂き、夜の九時以降は食事しないで来院するようにとのことで、両親に伝え、明日、朝向いに行く約束をした。

季節柄、インフルエンザがはやっていたので、三人でマスクをして、病院に伺う。

早速、胃カメラの準備が始まり、父、母、私(長男)の三人で、画面を見ながら始まった。

鼻から最新式なのに、父はゲボゲボしている。耳が遠いので、自然と先生の説明も声が大きくなる。

”はい、今食道です、胃の上部です”

ここで私は”ハッツ”とした。出血してるし、肌色ではなく、それは、今まで見たことの無い違和感のある胃が写しだされていた。

”胃が狭くなってるね”と先生、”小腸の上部は綺麗ですね”と、この数分間が長く感じられた。

その違和感のある部分の細胞を採取し、病理解剖に念のため出すねと、優しい口調の先生。

しかし、先生とは20年来の友達、ところどころ、話し方に焦りを感じる。

そこで、先生に”キャンサー”と父と母には解らないよう、英語で聞いてみた。

すると、潰瘍の写真を見せていただき、父とは違うと説明、父のは明らかに下から盛り上がっていた。しかし、先生はハッキリと判断はこの時下さなかった。

 

それから3日後、先生から私の携帯に電話、病理解剖の結果、癌が見つかりました、一瞬、血の気が引くのを感じたが、次の瞬間、先生がどうする?私は尽かさず、最新の治療を出来るところを紹介して欲しいと頼んだ。

それなら、ガンセンターだね。私も同じ意見だった。

早速、先生は、ガンセンターへ診察の申し込みをして頂き、翌週の火曜日に診察してもらえる運びとなった。

しかし、父にはガンだとは伝えていない。長男として伝えなければならない。ガンに立ち向かってもらうためである。当然、私たち家族も、父と一緒に戦う気持ちでいっぱいだった。

仕事終わりの日曜の夜7時、父、母、私、妻の4人で、そのことを私から伝えた。父は少し動揺したが、ガンだと思ったと明るく話す。私は、涙が出るのをこらえて、最新の治療を考えているから、ガンセンターの予約を取ったことを伝えた。母は、目からは、涙がこぼれていた。しかし、私は出来るだけ明るく振舞った。優しい私の妻は、父と母の後ろで、背中をずーっと摩っていてくれた。

この日は、父を励まし、家族みんなで立ち向かう話をして、実家を後にした。

内心、父と母の二人きりの会話が心配だが、この時は治療の希望があった。