2020年3月3日、やっといま「欅って、書けない?」みた。
 織田奈那さん、鈴本美愉さん、お疲れさまでした。
 とくにこの数ヶ月、いろいろしんどかったと思います。でも最後に「欅って、書けない?」に出てきてくれてありがとうございました。
 穏やかな笑顔でした。あなた方が最後に笑顔を届けてくれたことで救われた想いのファンがものすごくたくさんいると思います。私も肩の力がちょっとだけ抜けた気がします。

 あなたたちは欅坂46にとって本当にかけがえのない人でした。

 

 

 

 織田奈那さんへ。
 写真週刊誌の件がありました。欅坂のファンはたぶん、あなたがすぐに出てきて話をすればそれでOKだったと思います。それができなかったことはやっぱり少し残念かな。
 でもあの一件であなたの存在が損なわれることなんてありません。恋愛がいけないことではありません。裏切りでもありません。ただそれがいろんな思惑のなかでもみくちゃにされていってしまう環境でした。だからサラッと、こうなってしまいましたぁとか言えば、まぁ最初は叩かれるかもしれないけど、たぶんファンが守ってくれたと思います。もっとも恋愛することが「問題になってしまう」状況そもそも良いのか?ということではあるのですが…

 一番心配だったのは一度も顔を出さずに消えていくことでした。

 あなたより長く生きてきて思うことは、少し隠れて生きていかないといけない、という状態は辛いということです。それはじわじわとその人を蝕みます。何かよじれたものが積み重なってしまったりします。

 最後に織田さん言ってましたよね?「どこかで会えたら話しかけてください」って。

 これを言えたこと、本当に良かったと思います。その一言で、これからさきかなり長く、どこかに引きずるかもしれなかった影が消せたと思います。本当は全然悪いことじゃない、むしろ晴れやかなことのはずなのにね。それがあの一言で消すことができたような気がします。

 まぁ私などが会うこともないでしょうけど、もし見かけたら話しかけしまいますよ。

 私からみたら、織田さんはバラエティ担当みたいに思われがちだけど、中低音を支えた歌声と熱のこもったダンスは素晴らしかったです。
とても繊細で、まわりの痛みも分かって。内部のことは知りません。私の想像などあてにもなりません。けれども、どうみてもあちらこちらにぶつかりながらしか進んでいけない欅坂46です。いたるところに打ち身やたんこぶができているような状態で戦っているのだろうとは思っていましたし、それはいまもかわりません。そんな欅坂46にとって織田奈那さんは他の誰かに代わることのできない人だったと思っています。あなたがいたからこれまでガンバレたというメンバーきっといるだろうな、と思います。本当に大切な人でした。

 ありがとうございました。
 





 鈴本美愉さんへ


 欅って、書けない?の収録スタジオで笑っていましたね。ほっとしました。不器用そうで、ちょっと不思議なポイントで大笑いしていました、むかしは。

 それがいつからかあまり笑わなくなってしまった。でも最後に穏やかな笑顔をスタジオに残していってくれました。ありがとうございました。たぶんファンにとってはかけがえのない贈り物だったと思います。号泣していたファンもいるだろうなぁ、と思います。
 ダンススキルとか歌の力については今更言いません。だって松平璃子はあなたのダンス一発でオシメンがかわるくらいの「威力」なんだから。
 誰もが思っていることですが、欅坂46が苦しかった2018年後半。その時期、鈴本さんは覚悟と決意をもって一歩も引かず、凛として困難に立ちはだかっている感じでした。あの滝にズカズカと入っていくときの感じ。ああ、こんな感じ、これが鈴本美愉だなぁなんて思いました。

 確かにみんな頑張っていたけど、やっぱりあの時期の鈴本美愉、小林由依の覚悟もほどは痛いほど伝わってきました。爆発的な熱量も感じていました。あの熱量と覚悟とその魂はたぶん欅坂46の大切な一部として生き続けていくと思っています。

 

 

 

 本当は鈴本さんには一つだけ聞きたいことがありました。

 「黒い羊」のことです。
 「欅って、書けない?」の滝行の回、スタジオ全体の空気を一変させたのは菅井さん、守屋さんに続いて手をあげた鈴本さんでした。「考え方を変えられた」と言っていましたね。だから当然のように行きます、何が不思議なんですか?みたいな。

 それまでのいろいろなメンバーのブログを見ながら思っていたことですが、あの鈴本さんの言葉とその後の滝行をみていて確信にかわりました。

 「黒い羊」という楽曲はたぶん、2018年の秋にはいったん出来上がっていたと思うんですね。ということは、あの楽曲は2018年の終わりの鈴本さん(たち)の決意に満ちたパフォーマンスを支える力にもなっていたのではないかな、と思っているのです。たぶん、もう一度何かが奮い立たせられるようなそんな力をメンバーが受け取ったのだと思っています。そのことを強く確信したのです。


 聴きたいこと。

  「黒い羊」は鈴本さん、あなたの中にいまも生き続けているものとして卒業になったのでしょうか?それともそこから離れていくものとして卒業するのでしょうか?

 欅坂46は楽曲とともに呼吸し、生きてきたグループだと思っています。そして3段飛ばしで階段を駆け上がるようにして「黒い羊」(とくにそのPVC)という一つの高い地点にたどり着いた。たどり着いてしまった。それはCDの売上とかレコード大賞がどうのとかというレベルのことではありません。私自身は、あの楽曲が爆発的に売れることはないだろうし、レコード大賞を取るなどとはまるで思っていませんでした。そうした評価を突き抜けた向こう側にある楽曲だと思っています。楽曲とともに生きてきた欅坂46がこれまでになかった、到達し難い地点にたどり着いた。メンバーが口々に生き方が変わった、考え方が変わった…そういう楽曲はあまり玲がないのではないかなと思います。

 でもそれが良いことなのか、悪いことなのか、私にはよくわかりません。楽曲の鋭さと同時にそれは生身のメンバーに鋭い痛みも伴うもののような気がするので。
 鈴本さんはセンターを務めたこともあり、欅坂46の光と影の両方を生きた気がするのです。だから聞いてみたかった。いま考えて「黒い羊」は何だったのかということを。あれは欅坂46にとってプラスだったのだろうか?それがわからない。

 でも、それが語られることは、たぶん、ないのでしょうね。
 10年くらいしてそういえば鈴本美愉がこんなこと言ってたよ、とどこからかきこえてきたら、と心のなかで少し思い続けるでしょうけど。まぁ仕方ないね。

 

 


 織田奈那さん、鈴本美愉さん、今後どうされるのかはわかりませんが、どこかで、何かで、また活躍しているよという話が流れてきたら嬉しいな、と思います。私はまだここで欅坂46を見つめ続けようと思っています。欅坂46が欅坂46である限り。


 まだ寒いし、何だか病気が流行っていますが、おふたりともお元気で。

 そのうち、ふわふわとどこからかお二人の風の便りが舞い込んでくることをちょっとだけ期待しています。

 ありがとうございました。