(前承)
朝刊の社会面に見知った名前をみつけた。
紙面に彼の名前を見つけた時の印象はまだ残っている。とても不思議な感覚だった。いや感覚が抜け落ちていたかもしれない。ただ世界がざわざわした。音が消えた。数行の記事だけに吸い込まれるように見入っていた。
大学に行き、学生たちの溜まり場にいった。誰もいなかったと思う。しばらくすると同じ1年生の女性がやってきた。
なんとなく会話の空気は覚えている。
「新聞、見た?」
「みた。あれ、彼だよね?」
ふだんよりも少し声を潜めていたような気がする。
彼女は私より早く知ったようで、少し状況を説明してくれた。彼女が付き合っていた相手が一つ上の先輩で、その彼から話を聞いたのかもしれない。
その後の記憶はいまはぷっつりと途絶えている。
**********************
彼は農学部なのにプラトンやアリストテレスなどのギリシャ哲学の本を読んでいるような人だった。かなりの量の哲学書を読んでいたと思う。
そこに一体何を見ていたのだろうか。その言葉に何を読み取っていたのだろうか。大学1年だった私には彼が生きている世界は未知のものだった。
その学生のたまり場はけっこう政治的な指向性が強い空間で、一年生の私はかっこうの組織的な勧誘の対象だった。
あるとき、自死した先輩とは別の、その「政治志向の先輩」の一人が私にさかんに話しかけてきた。たぶん、そのときはもう5年生か6年生くらいで、政治活動のために留年し大学に残っているような感じだった。(少し前にある政党の市議会議員候補としてチラシに名前が出ていたのをみかけた。まだ現役の活動家だ。)
「ジョージ・バークリなんてくだらないんだ。レーニンが『唯物論と経験批判論』で書いたのは…。今度、学習会をやるから参加しないか?」
彼は力説していたことは覚えているが、内容は覚えていない。
ジョージ・バークリは観念論の大家だが、1年生の私はジョージ・バークリもレーニンも読んだことがなかった。肯定も否定もできず、反論も同意もすることがせず、黙って聞いていた。5年生(6年生?)と1年生だ。先輩を無視して簡単に話を打ち切って出ていくこともできない。
あの先輩はその時、部屋のすみでなにか本を読んでいたが、しばらくすると本をおき、一言いった。
「〇〇くんはバークリは読んだことがあるの?」
しばしの沈黙。
「いやないけど、読まなくてもわかるさ。だってレーニンは…」
「読まないでどうしてレーニンが正しいと言い切れるの?」
会話の記憶はここまでだ。
けれどもとりあえずその学習会への勧誘はここで打ち切られた。
彼にとってもその「政治志向の人」は先輩に当たる人だった。憤っているようでもなく、強くもなく、むろん教え諭すようでもなく、静かに、淡々と一言、二言だけいっただけだった、そのやりとりしか記憶に残っていない。私に何かを言ったということもないと思う。たぶん、また本を読み続けていたと思う。他人に自分の意見をぶつける人ではなかった。
その当時、私の大学の生協はある政治勢力が強い影響力をもっていた。書籍部の小冊子の編集にまで口を挟まれた記憶はいけれども、彼らが意に沿わぬ先輩に原稿を依頼したとはとても思えない。先輩の「生と死の弁証法」は、ひょっとしたら私が自分で頼んだのかもしれない。記憶があまりにも曖昧ではっきりしないけれども、そうだったかもしれない。十分にありうる。信頼もしていたし、書いたものを読んでも見たかった。彼が何を見ているのか、何を考えているのか、あの政治的空間のなかで自分の考えにきちんと立っている姿を何が支えているのか知りたかった。
そしてこれがたぶん、彼が書き、公表された最後の文章だったのだろうと思う。
先輩の自死からしばらくたって私もまた自分の痕跡を消してしまうように、すべての書籍と音源を売り払った。行きつけの古本屋の親父さんが「君の本ならすべて私が買い取るよ」といってくれた。バンを乗り付けて一冊一冊丹念に値段をつけてくれた。ダンボール箱で15箱か20箱くらいになったと思う。それは私の分身でもあった。
写真も焼いた。卒業アルバムまで処分した。当時の写真をたぶん一枚ももっていない。
たぶんその時、彼が書いた、公開された最後の文章を一緒に処分してしまったと思う。手元にはもうほとんど何も残っていなかったから、たぶん。
でも、なぜ私は他のものと一緒にまるごと処分してしまったのだろう。小冊子一冊くらいもっていることはできたのに。痛切な記憶がこびりついたものだったのに。しかもそのことをいま覚えていない。なぜ何も記憶が無いのだろう。
小冊子の表紙につかった高橋和巳の言葉のように、彼もまた「生命を削るようにして言葉を書き留めた」人だったはずだ。私がもっと鋭敏な読み手だったら、「生と死の弁証法」というその一文に何か気配を感じていたかもしれない。だから何かができたなどとは思わない。それほど傲慢ではないけれども、彼は「生と死について」書いたんだ。何もなかったはずはないと思う。何も込められたものがなかったはずはないと思う。
けれどもその込められたものは文字の背後に隠され、誰にも届かなかった。誰にも届かないメッセージがそこにあった。
そしてそれを処分してしまった。しかもその記憶がない。
今回、はじめてそのことに気がついた。
書かれた文章に込められていたことに気が付かなかったこと以上に、処分してしまったこと、しかもその記憶すら無いこと、しかも自分が処分してしまったことに今回この文章を書き始めるまで気がつなかった自分が許せない。先輩とこの世界をつなぐ細い糸を私がぷつんと切断してしまったような気がしてならない。そして今日までそのことに気が付かないまま時間が経過してきてしまった。
だれにも気が付かれないまま消えていったのだろうか?
そのことに私は役割を果たしてしまったのだろうか。
******************
「おまえさ、鈍いにもほどがあるよね。いったいあれからどれだけ時間がたったんだ?」
「すいません。先輩、あれ、相当の力を込めて書いたんですよね?」
「当たり前だろう? だってあれが最後のメッセージになると思って書いたんだからさ。それをさ… 鈍いよね、お前もさ。」
そう彼は淡々というだろう。
「あの文章、何が書いてあったか、教えてくれませんか?」
「消えたものは消えたんだ。消え去ったものはもうここにはないんだよ。そうだろう?もう二度とは戻らないんだ。ぼくももどらないようにさ。」