Amebaブログ

8/10(月)

 

タイトル:「ブータン:世界一幸せな国民/ブータン国民が敬愛するダショーニシオカ、故西岡京治氏」

 

ブータンシリーズ今回は日本との繋がりについて

いかに日本が、
日本人が
ブータンの国民から尊敬され、愛されているか。

2011年東日本大震災が起きた時、

世界に先駆けて一番早く、1億円の寄付を

届けてくれた国、ブータン。

ブータンのGDPは約2,000億円そのうちの1億円といえば
GDP560兆円の日本で言えば2,800億円を届けてくれた計算になる。


そんなブータンと日本との絆を大きくした
そのカギを握る人物
ダショーニシオカを紹介したい。
 


ダショーニシオカ(故 西岡京治氏)

ダショーとはブータン語で「国の恩人」として、
民間人に贈られる最高の爵位で、英語で言うならばサー(Sir)
の称号を与えられし西岡氏ということになる。


西岡京治氏は1933年2月14日日本統治時代の朝鮮の京城府(現:大韓民国ソウル)に生まれ、
戦後大阪八尾市に移り、大阪府立大農学部卒、同大学院に進みネパール学術探検隊の副隊長を
務めたりしている。

 

1964年海外技術協力事業団(現JICA)の農業専門家として2年間の期間限定で
妻の里子さんと二人でブータンに派遣された。

 

稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、2年の任期が終了した後もとどまって指導を続けた。
当時のブータンはまともな農場が無く、政府に掛け合ってやっともらえたのは、60坪程の土地。
努力が最初に認められたのはなんと、「コメではなくダイコン」だった。

それまでブータンの人達が見たこともなかったような大きく育った大根。
その噂は瞬く間に広がり、第三代国王のジグメ・ドルジ・ワンチュクまでもが
「その大根の種が欲しい」と訪ねて来たという。


大根栽培の成功によりこれまでの約400倍にもなる農地を与えられることになった。
大きな土地を手に入れた西岡さんはブータンにはない野菜を次々と育てて行き、
稲作も取り入れそれまでの4割も収穫量を増やすことに成功した。

そんな西岡さんの農業技術はもはや国中で有名になり、
第四代国王に重大な任務を任せられることになる。
それは、ブータンで最もまずしく焼き畑農業を繰り返し、
土地は荒れ放題で「忘れられた土地」とまで言われていた
シェムガン南部を再建することだった。

険しい斜面の多い土地で農業をやるには厳しい条件だったが、
西岡さんはまず焼き畑を辞めて稲作に切り替えることを村人に提案した。
村人との話し合いは数年間、何百回にもおよび、
最終的には西岡さんの想いが村人の重い腰を動かし、
日本ばりの立派な水田を作り上げたのだった。

そのシェムガン南部での成功によりブータン各地に棚田が作られるようになった。
今ではなんと、ブータンの主食はコメになっているのだ。


パロの田園風景

 

西岡さんがブータンに遺したものは、農法だけではなかった。
食生活の改善、架橋による流通の促進、地域開発にまで及んだ。
1980年にはジグミ・シンゲ・ワンチュク第四代国王から、
名誉称号「ダショー」を外国人として初めて贈られるに至ったのだ。

こうして西岡さんは28年間もブータンで農業指導を続けた。
1976年からは7歳になる娘さんの教育の問題で里子夫人は娘と
日本に帰国、16年間もの間ブータンに単身生活となった。

1992年、帰国直前に敗血症に罹りそのままブータンで59歳という若さで亡くなった。
ブータン政府によって催された国葬にはブータン全土から5千人もの人々が弔問に訪れた。

西岡さんの遺体は、里子夫人の意向でパロ盆地が見渡せる丘にある葬儀場に埋葬された。

ダショーニシオカ・チョルテン(パロ空港から車で30分ほどのところにある西岡京治氏の仏塔)

2014年(平成26年) - ダショーニシオカ/西岡さんの功績をたたえる記念館が
パロの国立農業機械化センター内に完成し、6月17日に記念式典が開かれた。 
幸運にも僕は2014年8月に初めてブータンを訪れ、
そのダショーニシオカ記念館にも訪問することができたのだ。

See you soon!!
by トシ・ヤマグチ

西岡京治 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E4%BA%AC%E6%B2%BB
主な参考文献
『ブータンの朝日に夢を乗せて』▶ (著/木暮雅夫 絵/こぐれけんじろう くもん出版)
『神秘の王国』 ▶(著/西岡京治・里子 学習研究社)