こんばんは
育乳カウンセラー戸瀬恭子です
【育乳が生まれるまでの道のり第12話】
三男の退院が決まり、何とか中学校の入学式に間に合いました
その時、長男は高校2年生
次男は中学2年生
三男は中学1年生
我が家の三兄弟
年齢は2コ違いなのに3月19日、4月3日、3月30日に生まれたもんだから学年は3つ違い+年子という1番お金のかかる年齢差
ましてや男の子3人
幼児園の時に歯医者になりたいと卒園文集に書いた長男
名古屋では進学校でそこそこ有名な名古屋高校に長男、三男は高校から奇跡的に入れました
当時は貧困母子家庭で低所得世帯だったので母子家庭の援助おかげで私立高校でも公立と同じぐらいの授業料で通えたのです
高校に入っても、彼の夢は医者になる!
ミーハーな男で歯医者になると幼児園の時に言ったあと、TVでコードブルーがやれば俺はドクターヘリに乗るとか、チームバチスタがやればチュッパチャプスを舐めながら俺は心臓外科医になる!
医龍をやれば俺は麻酔科になる!
でも、進路変更しても必ず医者なのでこれは本気かも?と長男の進路を考えてままは焦り始めました
男の子3人で貧困母子家庭だったので、習い事も塾も行かせれず、子供を放りっぱなしにして仕事に没頭してました
朝ごはんは用意するけど晩御飯は今では立派な料理人になった次男が作ってくれて中学の時には既にこんなお料理が我が家の食卓には並んでました
日中はサロン業務やスクール業務、それが終わると通販の発送
最初は全て一人でやっていたので、帰りは夜中なんて当たり前の毎日
それなのに子供達は全くグレず
ねぇ、ねぇ君達は何でグレないの?と聞いたら普通は親が家におってガミガミうるさいから家に帰りたくなくてグレるけど、家はあんたが帰ってこんから心地良いしと苦笑
男の子の育児は当たらず触らず近寄らず
反抗期もろくにない状態でままは仕事、子供達はそれぞれの夢に向かって共存しながら過ごす毎日
amebloでランキング上位になっていると、色んな人からビジネスのお話がありました
育乳を世にしらしめたDVD、バストあっぷるんもそこから生まれました
15,000円という高額にも関わらず5万本以上売れたのです
と云ってもままの会社が販売元ではなく、ままは監修して出演して、印税を貰ってました
そのDVDはアフリエイターさん達がもの凄く拡散してくれたので、jackmamaや戸瀬恭子の名前は瞬く間に広がり、育乳⁉️本当に大きくなるの?と世間がザワザワし出しました
ままのDVDは動画で見ている間にきちんと結果が現れるから、バストアップ業界はそれまで詐欺や金儲けでカリスマがいないと言われていたのが、本物が現れたと育乳という言葉と共にままは育乳の第一人者として世間に認められました
そのきっかけは笑っていいともに2回出たところから始まりました
TVの前でマッサージしてバストアップさせる
笑っていいともに始まり、どや顔や1.2.3
ananや美人百花、美story等色んなマスコミに取り上げられました
そこにたどり着く前にままは株主だった税理士に騙されました
税理士事務所と共にコンサルの会社をやっていた株主だった税理士に見てくれの良いモデルがおる
お前がおっぱいの事をそのモデルに教えて、ブレイクしたらお前をおっぱいの先生として世に出す
うちのコンサル事務所の成功例にしたいと言われ、その人にままが先生で教えて貰ったと必ず言いますと言われたのもあり育乳を指導し、その人はおっぱい美魔女として有名になったけど、ブレイクした途端、全て自分でやりました!とマスコミで話し
株主の税理士に話が違うと云ったらお前が契約書を巻かんから悪いと言われ、危うく育乳をさらわれそうになりました
その事があったので、本来ならマッサージ法を公開すれば真似されるのでやらないけど、これはjackmamaが作った育乳法‼️と世間に知らしめる為に育乳マッサージを全公開
その判断が功を得て、そのモデルの人より後からマスコミに出たけど、mixi時代からコツコツとやってきたのを認められて育乳の第一人者としての道を歩き始めました
その人にはメーカーさんとコラボして作ったバストアップクリームの販売権を奪われたり、DVDの題名と同じ名前で本を出されたり、散々嫌がらせもされましたが、ままの多くの女性を苦しみから救うという軸と顔と同じ様におっぽいのケアを当たり前の世の中にして乳がんでおっぱいをなくす人や小さな子供を遺して死ぬお母さんを減らしたいという社会貢献性の高い志のおかげで育乳=戸瀬恭子という確固たるブランディングが出来上がり育乳の伝道師として全国各地で育乳講習会をやったり、スクールをやったりと会社の業績もうなぎ登りとなり、東京、大阪、名古屋、博多と4店舗を構えるまでになりました
そのおかげもあり長男は医大に行く事ができ、今では某有名大学病院の腎臓内科医になりました
"おっぱいが変われば人生がかわる"
ままが作ったキャッチコピーですが、ままとままの子供達が1番人生が変わりました
貧困母子家庭で名古屋のスラム街から這い上がって今に至るのです
ところが、会社の業績も良く順風満帆にみえたのはほんの数年でした
出る杭は打たれ、出過ぎた杭は抜かれる
名古屋にはそんなイケズな風習があります…