こんばんは
育乳カウンセラー戸瀬恭子です
今日から育乳が誕生した道のりや今までの軌跡をメモ帳代わりに綴っていこうと思います
【育乳が生まれるまでの道のり第1話】
忘れもしない19年前の今日
実家の美容室勤務だったままは母に頼まれて銀行に行き、帰りに反対車線からアルミの角材40本(10㎝四方×2m)が吹っ飛んできて、ままの運転していた車に激突
そう、アルミの角材40本の束はスローモーションで急ブレーキを踏むまもなく、ままの運転していたステップワゴン目掛けて飛んできたのです
キキッー❗️ドン❗️
ステップワゴンに激突した角材40本はバンパーを壊し、タイヤをズタズタにし、中に乗っていたままはハンドルで胸を打ちつけ…
アルミの角材40本は道路を塞いだ大事故
繁忙期の美容室
外傷がなかったのもあり、病院に通いながら成人式まで何とか仕事をやり遂げましたが、成人式が終わり、張り詰めていた気がなくなったのと同時に事故の後遺症で4ヶ月も自宅で寝たきりに
事故の瞬間、左手先まで真紫になった事もあり、フライパンも持てない、起きたら頭痛、目眩、吐き気
何にも悪くないのに地獄の様な痛みと苦しみ
離婚して、誰にも助けて貰えなかったままは子供達を道連れに死のうと初めて思った瞬間でした
子供達の事もろくにやってあげれない
外傷がないから入院も出来ない
ヘルパーを実費で頼んだ事もあったけど、貧困母子家庭の我が家には経済的にも厳しくて
ある日、子供達にお母さん、このままだと君達まで死なせそうだから治るまで施設に行って欲しい
そう懇願するままに長男が
"僕たちはお母さんと一緒がいい!
ふりかけご飯でも海苔ご飯でもいいから
毎日、俺がご飯炊くから''
その時にこのままじゃダメだ❗️とハッと気付き、対処療法しかしない整形外科ではなく、根治療法してくれる整体を探して、良い先生に巡り合い、やっと普通の生活が出来る様になりました
が、しかし
左肩から指先の冷感、閉じたり開いたりの神経をダメにしたらしくそれから数年病院に通えど、指は元通りに動かず、それを見据えた母上から
もう美容師やめなさい
あんたは保険会社から補償されるから良いけど、あんたが休んだり病院行って抜けたせいでお店の売上が年間400万も下がって、もうお給料払えんから
間接損害は認めてくれないから
ある日いきなりのクビ宣告
美容師は右手でハサミを持つから大丈夫じゃないの?とよく言われたけど左手のバネがないと美容師としては致命傷
後継でこれからの為に管理美容師の免許や出張美容やる為にヘルパーの資格も取ったのに…
ある日いきなりの事故で美容師生命は無惨にも終わりを告げました