先日行われた、経営者勉強会のリーダー層の集まりの時の画像です。
ドレスコードが決まっているので、そもそもスーツに着替えるのが面倒だし、勉強会
という前提が面倒だし(苦笑)、逆らえない前提の恐い先輩(笑)がいるし(苦笑)、
いく前は決してモティベーションが上がる訳ではありませんが(笑)、それでも行けば
行ったで、クリスマス用イルミネーションに季節の到来を感じたり、当時お世話になった
先輩方に久しぶりにお会いして、人生や会社の紆余曲折や変換経緯のポイントを聞け
たり、話しながら次のビジネスヒントが思いがけず浮かんだり、行き帰りの道中に
目に入る情報や、歩きながら考える時間も含めて、「あぁ、良かったな。」と思える
ことは多々あります。
「ねばならない」前提で、人と会うというのは、基本的に面倒な行為です。
仲の良い友達や、自分にとって都合の良い価値観の近い人とだけ会っていれば、何の
ストレスもないですが、それはまぁせいぜい学生時代までで、社会に出るということは、
自分とは全く違う価値観の人達と歩調を合わせて進んだり、共通のルールに基づきながら
共通の目標を達成していく中で学んでいくということです。
よって、面倒です(笑)。
だから、面倒です(笑)。
ただし、社会=ビジネスという範囲で考えると、例えば、売上実績を上げている営業マンの
共通点の一つは、「人と会っている回数と時間が、人よりも多い」というものがあります。
私の経験則からいっても、これは間違いがありません。
おおよそですが、実績がズバ抜けている営業マンは、一日の仕事の80%の時間を、
人と会うことに費やしています。
それ以外の時間、パソコンを開いていたり、資料を作っている時は、朝早くか、
あるいは夜遅くか・・・、そんな感じ。
他人が面倒であることに対して、他人よりも時間や回数が圧倒的に多い。
恐らく、それは、人と会う時の本来の目的以外に、新たな情報の連続が起こる結果で
あると思います。
リアルであろうと、バーチャルであろうと、社会は人と人との繋がりでしか形成
されない訳で、その中からでしか「価値の交換」は発生しないのですから、ビジネス
もまた本質は同じと言えるでしょう。
だから、多くの人と会う物理的な回数や時間を多くすれば、確率に対して母数が増える
訳で、それは論理的にも合点がいきます。
それとは別に、思考そのものや気づきや発想といった、外側から見えない脳の活性化が
ドンドン行われることで、物事に対する「ものの見方」なんかが変わっていって、
生きるセンスが良くなっていって、やっていない人と比べると、加速度的に人間ができていく、
すなわち魅力的な人となっていくから、成果が上がっていく、というのが大きいのだと思いま
す。
ドンドン行われることで、物事に対する「ものの見方」なんかが変わっていって、
生きるセンスが良くなっていって、やっていない人と比べると、加速度的に人間ができていく、
すなわち魅力的な人となっていくから、成果が上がっていく、というのが大きいのだと思いま
す。
個人的には、実はこの要素の方が大きいと思っています。
ただ、分かってはいても、これが面倒くさい(笑)。
理屈では分かっていても、面倒なもんはとにかく面倒(笑)。
あげく、その対象が、立場を尊重する先輩であったり、お客であったり、数値目標
なんが絡むと、もう面倒どころか億劫でしかたない(苦笑)。
行く前は面倒極まりない、と思っていても、行けば行ったで良かったな、
ということを知ってはいても、それでも自発的に行くのは面倒という迷宮に入ると(苦笑)、
もうあとは、立場であるとか、強制というものを自分に課すしかない訳で、そういう
意味で立場や強制というのは、こと自己成長にはかかせないのだろう、というのが
私の見解です。
昔、アパレルメーカーの営業時代に、
「営業は社内になんているな!◯人と会うまで帰ってくるな!」
「お前はつべこべ考える前に店に行け!」
「やることなかったら、バケツとモップ持って、店の前掃除してこい!」
などと言われたことはあって、それはそれで科学的な背景があったと、いまにしてみれば
思えもしますが、せめて、その本質や、本来の意図・目的くらいは、こうして説明
くらいはしろよな(笑)、と当時の上司に思ったりもします(笑)。
さて、そんなことを思っていたこの日、多くの方達と短い時間に会話していく中で、
かけられた言葉は、
「髪の毛白くなったなぁ。」
「相変わらず元気ですねぇ。」
「おぉ、久しぶり~。」
「ブログ、いつも楽しく読んでますよ。」
「いつもFacebookで変顔見てますよ。何ですかあれ(笑)。」
「坪井さんが講義してもらった時に頂いた資料、今でも時々読み返しますよ。」
「お前、いま何やってんの?」
「まだ、相変わらず講演で稼いでるんか?」
「どうやってそんなに講演の依頼が来るようにしてるの?」
「坪井は基本的に上っ面しか見てない奴だから。」
「お前、難しいこと言うなぁ。」
「お前の生き方は損だよ。」
「俺は坪井の生き方はアリだと思うし、俺は好きだな。」
「この後、時間あるのか?ちょっと打ち合わせしたい。」
「いつも楽しそうですよねぇ。」
「坪井さんみたいに、何があってもいつも楽しそうにしているようにしてるんですよ。」
「あの時はすまんかったなぁ。」
「坪井ちゃんが悩んでたことと同じだと思うんだけど、なかなか伝わらないんだよ。」
「お前、ひっで~こと言うなぁ。」
「坪井はそこまでの根性はないわな。」
「お前、相変わらずそういう話好きだなぁ。」
「先日はウチの連中がお世話になって、ありがとうございました。」
記憶しているのは、そんなとこです(笑)。
私という情報は一つなのに、人によって様々な受け止め方があって、それを聞いた
こちら側は、どの言葉も「受け止め」はした方がいいけど、「受け入れる」かどうか
は自分で決めればいいやと思いながら、やっぱりここには書けない「面倒だなぁ。」と
思えることもあるのでした(笑)。
学びが欲しいなら、面倒なリスクは覚悟すべきだし、面倒を感じる程に新たな学びも
またある、すなわち背中合わせであることを再確認するのでした(笑)。
面倒は、実績・成長速度を上げる(笑)。
応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓
