初めて買ったレザージャケットは1984年頃でした | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

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反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

外に出ると、まだ少し冷たい春の風を感じますね。

私にとっては、レザー・ジャケットを一枚で着られる・・・・・・、


着ると言うより「引っかける」という感覚でいられる素敵な季節で、嬉しいです。


私が好むタイプの、一枚革で作られたような革ジャンって言うのは、実はそんなに

温かい訳じゃないんですね(苦笑)。


「風を通さない」というのが代表的な機能のタイプです。



よって、秋口と春先といった時期だけがアウターとしての賞味期間てして、


案外短いがゆえに、今の時期は嬉しい訳です(笑)。




この時期になると、いつも思い出すのが、初めて買ったレザー・ジャケットのことですね。



「Schott」というアメリカを代表するレザー・ブランドの、通称「ポマー・ジャケット」とか、


「ボンバー・ジャケット」と言われるタイプでした。


もう手元には残っていませんが、時々、雑誌や古着屋さんで見かけることもあって、

思い出深さだけが残っています。



懐かしい思いと共に、適当に落描きしてたら、結構ちゃんと描いてしまいました(苦笑)。


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今でこそ、当たり前のように着用しているレザーですが、東京に行った大学生になったばかりの


私には高嶺の花で、欲しいけど買えなかった代表格でした。



東京と言っても、通っていた大学はJR中央線の終点の「高尾駅」という、東京駅から「特別快速」


みたいな速いのに乗っても1時間くらいかかって、そこからまたバスに乗るようなところでした。



私は、「日野駅」という駅から徒歩15分くらいのところに下宿していました。



大学は、いわゆる山の中にあるような感覚で、冬場になると通学がとても寒い。


ただでさえ寒がりの私にとって、まだ着たことのない「革ジャン」は最強の防寒具であり、

最高額とおぼしき衣料品てあり、アメリカ映画の中に出てくる憧れの対象でした。


確か、とても寒くて、冷たい風の吹くある日、高尾駅から大学に向かおうとするバス亭で、


ゼミの先輩にパッタリ出会いました。

その先輩は、革ジャンを着ていました。


(今思えば、その辺でいかにも売ってそうな安物っぽいやつ(笑)。)



「革ジャンってやっぱりあったかいんですか?」

「そりゃ、あったかいよ。風を通さないんだから。」



そんな会話と映像がクッキリ残っています。


(そうか・・・・、革ジャンは、風を通さないんだ・・・・・。だからあったかいんだ、なるほど・・・・・。)




高い買い物をする時には、常に自分に対する「言い訳」は必要です(笑)。



(そうだよな・・・・、無駄遣いをするんじなくて、防寒の為に必要なんだ。

寒い高尾山での学生生活を耐えきるには、風を通さないことが大切なんだ。)


と、その時に初の革ジャン購入を意思決定、正確には自らの言い訳を成立

するのでした(笑)。



思えば、私の今に至るレザーへの想いのトリガーを引いたのは、

決してシャレ者でもないし、ファッションになど興味もなかったであろう、

あの先輩の一言だったのですね(笑)。



とは、言っても、


当時は、今ほど情報もなく、「どのブランドの何」と狙いを定めて買いに行くほど革ジャンを


知らないし、渋谷や原宿に行ってもどこに行けばカッコいい革ジャンがあるのかも分からない。

まして、どこに行っても10万円をゆうに越えるようなバカ高いのしかない。


値段も手ごろで、いつまでも着られて、コダワリがあって、何しろカッコいい革ジャンは


ないものか?と、八王子の街で革ジャンを探し回ったものてす。


当時、30年前の八王子は、まだ、いわゆる「コダワリの店」とか「洒落た店」というのは


ほとんど皆無で(笑)、駅ビルの「丸井」の中には、いくつかブランドは入ってたけど、とても高くて


買えない(苦笑)。


確か、軒並み、ほとんどのメンズショップを探した記憶があります。


そんな中、見つけたのが、この「Schott」の通称ボマージャケットだったんですね。

いかにも期待できなさそうなお店の、奥の方に入ってみたら、

ひっそりとラックにコレが掛かってたのを見つけたんです。


時期外れだったからか、売れなかったのか、奥の方にしまってあって、確かスゲー安くなってた


ような・・・・・・。

今になって分かるのですが、このタイプが日本で流行ったのは、70年代の前半頃だった


はずで、私が購入してのは、83年か84年・・・・・、当時はもうDCブランドの独特のスタイルが


市場席巻し始めていましたから、売れなくなっていたんでしょうね。


でも、¥38,000は、当時の私にとっては高かったけど(笑)。



私にしてみれば、この「Schott」ってのは、ブランド名なんだか、形の名前なんだか、


その店の屋号なんだか、分からなかったし(笑)、

読み方も「スコット?、シュート??」なんて頭で思って、とても「ショット」だなんて


分からなかったけど、


でも、たった一つ「MADE IN USA」の文字に強烈に惹かれた訳です(笑)。


「MADE IN USA!やっと見つけた!本場モノだ、本物だ。無理すれば何とかなる金額だ!」


と、感動にも近い感覚を得た私は(笑)、アメリカ製なら、とにかく本格的で本物と

信じてやまなかったのでしょうね(笑)。



「これは、もぅ、すごいお買い得なんだよぉ。」


と、言われながら試着させてもらって、38サイズを取り置きしてもらって、翌日にアルバイトで


貯めたお金を握りしめて買いに行ったものです。



とっても嬉しかったですね。



でも、改めて着用してみると、今一つしっくりこなかったような・・・・(苦笑)。

当時のアメリカ物ってのは、とにかく作りが馬鹿でかい感じで(笑)、アームホールも


スゲー太い(笑)。



しっかりしたゴツイ革なんで、肩幅もしっかりしてて、馴染んでいないうちに着ると、


肩が浮くような感じになって、どうにも収まりが悪い・・・・・(笑)。

色も良く見てみると、なんとなくケミカルっぽい感じになっていて、なにしろゴツすぎる


もんだから、あの雑誌で見たり、映画のあのシーンのカッコいいのとはちょっと違うぞ(笑)。


裏地は色のキルティング仕様になってたけど、ここぞとばかりに寒い日に着てみたら、

全然寒いっつーの(笑)。


これじゃ、通常着ていたスキー用のダウンの方があったかいじゃん(笑)。



みたいななんてことになってですね・・・・・・・(笑)。


間もなく、「日野駅」の下宿から、隣の駅の「豊田駅」のアパートに引っ越して、


カーテン代わりに窓際に掛けておいたら、いつのまにか、後ろ側のリブだけが


色褪せしちゃったたりして(笑)、


結局あんまり着なかったような気がします・・・・・・(笑)。



でも、そんなこんなの思い出というのは、ずっとずっと記憶に残っている訳で、

ついつい、フと思い出しては郷愁にふけってしまってものですよね。



ちなみに、このモデルはパターンを時代に合わせて変えながら、いまなお、アメカジショップや

セレクトショップで売られ続けている名品の一つです。念の為(笑)。



さらに、ちなみに、70年代のアメリカ人気ドラマ「スタスキー&ハッチ」で、主人公の一人、

スタスキーが着用しているのが、恐らくこれと同じタイプです。


そういう由緒正しきレザー・ジャケットを知らずに手に入れてたというのは、何だか


とっても感慨深いんですね(笑)。




その後、どこで、どう手放したかも忘れちゃったけど、あのレザー・ジャケットは今頃どこに


あるんだろうかなぁ、なんて思い出すんです。



どこかで誰かの青春の1ページになっているのか、誰かの大切なコレクションになって


いるのか・・・・・・・・、はたまた、すでに現存していないのか・・・・・。

そんなこと考えていると、いつの間にか、落描きをしてしまっているというわけですね(笑)。


今では、古着屋さんや、リサイクルショップで見かけると、立派な70年代物として売られて


いることもあったりして、そういう時に、ちょっとだけ胸がキュンとなって、思わず手にとって


しまう、思い出深い私のレザージャケット第一号です。




            当時は「Schott」を「ショット」と読めなかった(笑)。


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             買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」