渋谷「LIVE」ビジネスセミナーの主催者の皆さんと、懇親会後の一枚です。
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やったことが、自分達で全肯定されるような、この一瞬の為に、それぞれの努力があるん
だろうなぁ、と青春真っ只中のような照れくさい感情に包まれました。
私は、こういう瞬間を味わった時、一言で「楽しかった。」と表現します。
さて、『「仕事を楽しむ」の注意点」の、その③です。
これでシリーズ最後です。
私は、人生を楽しむ、仕事を楽しむ、というのを標榜しています。
標榜してはいますが、じゃあ、全部が「楽しい」かと言えば、現実にはそうではありません。
「諸行無常」の教えの通り、「この世の全てに、常に同じ状態のものは存在しない。」と
いうのは正しいと思っています。
「楽」と言うのは、反対の「苦」があるから成立するもので、
「快」はいつまでも続かず、必ず「不快」がやってきて、
じゃあ「不快」がずっと続くかと言えば、「快」を求めて行動し、また「快」がやってくる。
いつまでも同じことは続かないのだよ、と私は受け止めています。
この日も、それぞれが、それぞれの責任の中、当日まではそれぞれに苦労は
あったと思っています。
それぞれの苦労が報われるような瞬間を共有できた時、「人」は「人間」として感動を
おぼえるものだと思うのです。
ところが、最近は「楽しむ」というコトバが、流行しているというか、普遍的に使われる
ことによって、何でもかんでも「楽しんでます。」と言えば、肯定的な人生を歩んでいる
のだと信じ込んでいる人もいるような気がします。
それはそれで勝手なんだけど、苦しそうな顔して「楽しみます。」と言われても、
対応しづらい(苦笑)ですし、何でもかんでも「楽しんでます。」で片づけられると
それは相手の状況把握ができないっつーの。
あげくに、怒りながら「もっと楽しめ、笑顔を増やせ」、「笑顔溢れるように管理しろ。」
などと、真顔で言っているアホ丸出しと言うか、スーパー驚きな人もいて、
それじゃ、楽しめないっつーの(笑)。
FBとかでも、全部が全部「今日も、ツイテルツイテル」って、何でもかんでも
書きまくる人とか見ると、
「今日は、晴れ、今日もツイテルツイテル」
「今日は、曇り、今日もツイテルツイテル」
「今日は、雨、今日もツイテルツイテル」
って、あんた、それこそ何かに取りツカレテいる(笑)か、
呪いか呪文にかけられてるんじゃねーのか?と疑いたくなる人もいます(笑)。
あげくのはてにゃあ、こいつ、親が死んでも「ツイテルツイテル、今日も楽しんでます」と
思うんだろうか?
最後に、喪主挨拶でも「本日はご多用の中、ツイテルツイテル、今日も楽しみましょう」と
でも言うんじゃねーか?と疑いたくなります(笑)。
(実際、やってみてくれんかな、誰か(笑)。)
全部「楽しむ」、全部「ツイテル」、ってことは、そもそも全部なんたから、
わざわざ言う必要なんてないんです。
それを、いちいち言う事自体に嘘くささがプンプン匂うからイヤ(苦笑)。
私は、ツイテルと思ったことは、ツイテルと思うし、「何だよツイテねーな」と思う時は、
ツイテないと思います。
同様に「楽しい」と思う時は楽しくて、「楽しくない」時は楽しくないに決まっていると
思っています。
じゃなきゃ、「ツイテル」尊さも。「楽しい」尊さも、認識ができんでしょ。
もちろん、全ての事象を肯定的に受け止める人生は素晴らしいと思うし、
肯定表現をコトバに出して自らの脳にインプットするというのは分かります。
分かりますが、せめて、いったい何がツイテたのか、何が、どう楽しかったのか、
くらいは言えよ。
「今日は雨模様・・・・、でも出社する時にあじさいの葉にカタツムリが乗っていて、
忘れていた子供のころの淡い記憶を思い出しました。雨って素敵だなぁ、
今日はツイテルよなぁ。」
とか何とか説明くらいしろよな(笑)。
何が言いたいかと言うと、「楽しい」ことは重要で大事だけど、だからと言って
「楽しい」を強制したり命令したら、それはもう楽しくなくなるという現実を知って
おくべきだということなんですね。
私は、そう思う。
『「お疲れ様。」というコトバは肯定的ではない、仕事は疲れるものじゃない。
私は疲れてなんかいないのに「お疲れ様です。」と言われると腹立たしい。
だから、これから我が社の挨拶は、全部「お元気様です。」「お楽しみ様です。」
にする。』
なぁんて、トップが言い出したら、私はとてつもなく違和感をおぼえます。
だって、論法は同じで、本人が楽しくないと思っているのに、「お楽しみ様です。」
と言われるのと同じなんでしょ?
こういう内省的というか、人の情緒にまつわることというのは、口で言うほど
簡単じゃないんですってば(苦笑)。
私は、そう思います。
あげくに、本当にやり切る覚悟で進むのか?と言えば、中途半端なもんだから、
言った本人も数日後にはやらなくなって、メンバー達は、「何だこのリーダーの
言う事はその程度なんか」となって、最後はどうなるかと言えば、決めたことを
やらなくなる風土ができてしまうことがあって、それこそ危険です。
実際、言い出した人達の職場に限って、すんげー暗くて仏頂面で仕事してるから、
「ハロー、エブリバディ!今日も爽やかで元気だね!ハッピー!」
とか何とか大声で部屋に入ったりしたこと何度かあったけど(笑)、
恐ろしく違和感が漂ったり、キョトンとされることが100%でした(笑)。
今の時代、そしてこれからの時代、「楽しい」は確かに重要なキーワードです。
しかし、「楽しい」という感情は、個人に帰属するがゆえに、他人に求めたり、
強制をかけたり、そんなことしてして得られるものではないことも確かです。
もしやりたいなら、(これは私の方法論ですが、)まず、あんたが笑っていなさい。
まず、あんたが何があっても、楽しそうに、取り組んでいなさい。
他人の心配より、まずあなたが勝手にそうしてなさい。
誰かが共感して、「俺も、私も、ああなりたいなぁ。」と行動を起こすまで、
勝手にやりなさい。
誰もやりださなかったら、あなたのやり方が変なんだと思いなさい。
その方が早いし、浸透していくのだと、私は思っています。
ここまで言っといて、なんですが、私はそんな面倒なこと、やりませんけどね(笑)。
だって、
真剣に何かに打ち込んでいる人の姿は、顔は笑っていなかったとしても、
人は「楽しんでいる」と認識したりするものですから。
今回のイベントの主催だった、(株)グッドウェーブプロモーションの馬場社長・
鈴木取締役方はじめスタッフの皆さんなんかそうでしたもん。
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今回の、渋谷「LIVE」の関係者の、彼ら一人一人の、本番前と本番中に、
誰の目も気にすることなく、真剣にそれぞれの立場で責任に取り組む姿は、
それはそれは、もう本当に楽しそうでした(笑)。
私には、確信をもってそう観えました。
そういう姿は、何にせよ「プロ」ですね。
それぞれの仕事の「プロ」の姿を見せつけられたような想いになって、
講演者としての「プロ」の駆け出しの私にとっては、恐ろしく影響されました。
「プータロー」の私は、「〇ータ〇ー」の3文字を速く抜いて「プロ」にならんとね(笑)。
ひっくり返りそうな報告がインカムで入っても、何だか楽しそうな総合プロデューサー(笑)。
(株)グッドウェーブプロモーション・馬場社長
そういえば、私も、そんな記憶があって、
時間に追われて、ひぃひぃ言って泣きそうになりながら
オープン前の遅れている店内ディスプレイをしていた時、後になって、
「あの時、坪井さんってとっても楽しそうでしたよねぇ。」
と言われたことがあります。
イベントの最後の撤収作業が終わって、スタッフの皆さんが会場を出る際に
私はお礼を言いに行きました。
「今日は本当にありがとうございました。お陰様で心から楽しめました。
皆さんのプロの動きを見ていて、御社の馬場社長のキャッチの『泥水は飲み物です。』は
伊達じゃないと思いました。」
そしたら、スタッフの一人がこう言いました。
「あぁ、それですか・・・・(笑)。今じゃもう泥水は好物ですから(笑)。」
両手でグイグイとコップを飲み干すような仕草をしながら返すスタッフの姿に、
私は、こみ上げた涙をグっと押さえて、笑顔を創りました。
そっちの方が本物だと思いません?
そういうもんじやないですか・・・・・・・・・・?
「楽しい」は他人からは強制できない。
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