最後になります。

龍馬記念館学芸員さんのお話の後半部分です。

今回は郷士の話がメインです

 

【坂本家の特殊性】

・坂本龍馬は郷士という家に生まれた。

郷士の元の元をたどると長宗我部時代の一領具足にたどり着く。

・郷士は土佐以外にも全国的に見られる身分だが、

坂本龍馬の存在が土佐の郷士という制度をピックアップさせる要因。

(戦国と幕末のヒーローがつながってる訳ですね!)

 

・「長宗我部遺臣と土佐の郷士」という企画展を先日まで行っていた。

図録は購入可能で、図録をみていただければ大体の流れがわかる。

・長宗我部時代に「兵」を自慢にした一領具足という人たちがいて、それが自分たちのルーツなんだというプライドがある時から郷士の中で芽生えていた。

・幕末に目を向けると、上士とと郷士が対立していたと理解している人が多いが、

坂本家の特殊性にあるのではないか。

・確かに何例かは上士と郷士が喧嘩になり、郷士が無礼打ちになる事件があった。

・あくまで偶発的な事件。

・藩としては郷士が街に住もうとする傾向を食い止めようとする姿勢が見えている。

(なので、普段あまり会うことはなかったということでしょうか。)

・坂本家は郷士の中でもかなりレアなケースで城下町に住んでいた。

・郷士の中でも郷士御用人という立場で、城下町に住みながら、郷士でも藩から請け負った仕事をしていた。

・城下町に住んでいるので、上士との関わりも多く出てくる。

坂本家基準で郷士全体を考えると、大きな誤解を生む。

【浦戸城】

・坂本龍馬記念館が建つ場所は長宗我部氏、山内氏が居城としていた「浦戸城」跡である。

・浦戸城で使われていた櫓が高知城で使われていた。

 

【郷士のプライド】

・幕末、外国船が近づいてきて全国の大名は頭を悩ませていた。

・土佐藩は海岸線が広く、郷士の「兵」の面に注目が集まった。

・それを自覚させられた郷士の人々が、かつて郷士のルーツでは一領具足という長宗我部の時代に活躍した勇猛な地侍がいたという知識を持っていて、自分たちの理想像を重ね合わせ、自分たちは一領具足につながる系譜を持っているんだという

郷士としてのプライドが芽生えた。

・そして役割、ルーツから、自分たちも政治に参画したいという機運の高まりにつながった。

(つまり幕末において土佐から多くの志士が出る原動力になったということですね!)

 

【坂本家の家紋】

・坂本家の家紋が桔梗紋なので、明智家とつながりが有るのではと言われるが、

可能性はゼロではない。明智家にゆかりが有るということを知り、家紋でアピールした

という可能性は否定も出来ないが、証明も出来ない。ロマンのある話ではあるが。

 

と3回に分けて、すばらしい放送だった、

「夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜」をまとめてみました。

もっと高知の人に長宗我部氏をはじめとした、土佐の戦国時代に興味を持ってもらいたいもんです。