みなさん初めまして。
歴史素人ですが、郷土の歴史を親しみやすい文章で、引用先を明確にしながら書きたいと思っています。
記念すべき1つ目の記事は、やはり岡豊城でしょう。てことで、皆さまよろしくお願いします。
【古墳のお話】
3月末に年に一度の草刈りを終え、遺構がかなり見やすくなっている。
との情報を得て、早速登城してきた。
ちなみに写真の石碑がある場所は、古墳があった場所だそうで、高知県立歴史民俗資料館が出している会報誌「岡豊風日第76号」によると、
昭和9年に発見されたこと。
さらに岡豊村史によると、詰の段の西南角を掘って道を作った際に、須恵器の壺と直刀が出土したと書かれており、岡豊村史に経緯や写真も出ているそうです。その後直刀は城八幡に納められていたそうですが、いつごろからか無くなったのだとか・・・・う~ん。残念。
そして、その古墳の上に石碑を建てるという、いまならあり得ない話だよなぁ。
石碑を建てることは構いませんが、古墳を残せなかったもんでしょうか。
古墳が昭和のころまで残っていたということは、築城の際に元親公も古墳は残した。
ということですよね。(気づいていなかった可能性も否定できないけれど)
そこらへんはまたの機会に、知ってそうな人に聞いてみます。
【長宗我部元親飛翔之像】
歴史民俗資料館前には、長宗我部元親飛翔之像があり、訪れた長宗我部ファンは必ず写真を撮っているといってもよい。
かく言う拙者も毎回撮ってしまうくらいかっこいい。
これは長宗我部元親飛翔之像建立委員会が集めた地元の人々や元親ファンからの寄付金1,500万円建てられたもので、平成27年5月3月にお披露目されました。
このころ、長宗我部ファンクラブには属していたものの、(いまはやめています)
なぜか寄付の情報を知らなくて、寄付できなかったことが悔やまれます・・・。
ちなみに、デザインを手がけたのは歴史系のイラストを多く手掛ける添田一平さんです。
しかし、イケメン元親ですね。
銅像の足元はよく見ると四国の形なのです。
■参考資料
岡豊風日第76号,高知県立歴史民俗資料館,2011年
広報なんこく平成27年7月号
高知新聞2015年4月27日朝刊「イケメン容姿、歴女の反応は?高知に長宗我部元親像」