自然療法のブログ

自然療法のブログ

アロマや自然療法とともに歩んで気づいたもの
自然の中で遊ぶ日々 観音舞を通して感じたこと
子どものこと 日々の暮らしのこと などを紡いでいます

Amebaでブログを始めよう!

明けましておめでとうございます。

 

 

今年のお正月は本当に穏やかな天気で

ひたすら抜けるような青空を堪能することが

できました。

 

 

 

*高知・桂浜の海です

 

 

 

 

去年はブログを書くことが本当に少ない1年

だったなぁ…(笑)

 

アロマ教室や自然療法を伝えることも全くしていない

わけではなかったのですが、

 

2018年は観音舞に情熱を注いだ一年でした。

 

 

 

 

*冬至に沖縄浜比嘉島にて観音舞奉納した際の夕暮れ。

 写っているのは、家元柳元美花さん。

 

 

 

 

私の中で、自然療法やアロマを伝えることと

観音舞で体感することは繋がっているのですが、

 

今一度それを言葉にしてみたくなったので

紡いでみます。

 

 

 

 

 

もともと、なるべく病院や薬に頼りたくないなぁ

というところから、自然療法やアロマと出会った私。

 

 

 

実家・親戚ともに医師の多い・薬が家にある環境から

薬に代わるものを自然療法に求めるところからの

スタートでした。

 

 

 

 

 

痛み止めの代わりに 鎮痛作用のあるアロマ、とかね。

 

 

 

 

 

でも、それだと

 

「これは効いているのか?」

「これは正しいのか?」

「そもそも安心安全とはなんなのか?」

「痛みとは一生無い方がいいものなのか?(なら何で存在するんだ?)」

 

めくるめく疑問。

というきっとみんな通る道。笑

 

 

 

 

 

「そういうもんだろう」と

医師や病院や薬というものに任せて

自分で考えたり選んだりすることのなかった状態から

 

 

 

自分で考え始める始まりでした。

 

 

 

 

 

 

病とは 治るとは 健康とは 快適とは

 

治す方法から、次第に

そもそもの体の仕組みへの興味

 

病や痛みの機序(仕組み)

 

訪れる痛みや不快をどう受け止めるのか

 

そもそも私はどうありたいのか

 

自分自身や家族(特に幼い子供)の

いのちをどう扱いたいのか

 

 

 

 

 

アロマや自然療法を学び実践していく中で

結局は何を選んだとしても

どうありたいのか どう扱いたいのか

それ次第だ。と思うようになりました。

 

 

 

 

体だけではない

心だけでもない

 

環境も 選ぶものも 求めるものも

その中に見るもの 放ちたいもの

めぐらせて (娘へ未来へ)残したいもの

 

全てが 少しずつ少しずつ変化していった

 

そんな風に感じています。

 

 

 

 

 

その先に出会った 観音舞。

 

 

 

 

 

 

 

舞っている間だけではなく

日常から どうありたいのか

舞瞬 どう自分を扱いたいのか

どこへ向かっていきたいのか

 

 

 

(まだまだ未熟者だけど)

視野がぐーーーーんと広がった気がするここ数年。

 

 

 

  

 

どんなに食べるものや 身にまとうもの

体に取り込むものに気を配っても

 

不安や心配、さい疑心があっては

望む健やか には 多分繋がらない

 

 

 

 

 

どんなに自分の周りだけ洗剤や農薬や

あれやこれや気を配っても

 

身近な自然が汚されていたり息苦しい状態では

やはり心穏やかに過ごすことはできない

 

でもだからと言って目くじらを立てたり

悲観することも 健やかとは遠ざかる

 

 

 

 

 

 

いろいろな知識は、選択の役には立ったけど

でも完全ではない

 

 

 

 

 

 

大自然に囲まれて育った(田舎で育った)私にとって

身近な自然の中で 大きく深呼吸をすること

土や水を感じ 触れ 遊ぶこと

 

それも自然療法

 

体にとっても 心にとっても 

 

 

 

 

そしてそれは どうありたいのか 

あり方に繋がっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できることを紡いでいきながら

 

いま目の前にあるものを喜んで享受すること

 

美しいビジョンをまっすぐ見据えながら

 

自分の道をしっかり歩んでいきたい

 

 

 

 

 

そんな風に思うようになった時

 

不快や病も 自分を構成するモザイク画の一部へ

 

吸収されていく

 

 

 

 

もちろん快適な状態があれば嬉しいけれど

 

 

 

全てが

目の前に現れる全てが

大切なご縁で触れられる かけがえのないもの

 

 

 

 

 

 

観音舞家元から頂いた大好きなことば

 

* *

 

還るということは 同時に躍進すること

進むということは 還る道がわかるということ

 

この世で為すことのあらゆる可能性と醍醐味を尽くそう

 

* *

 

 

 

この視点を思い出せて、初めて自然療法の知識は

私の還る場所に収まってくれたような気もします。

 

 

 

 

そして進む 2019年の道

 

どんな景色を見るのだろう

 

 

のびやかな呼吸と身体とこころで

内と外の世界を巡らせながら

一歩一歩あゆんでいければ と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

佐川 愛

 

 

 

 

*アロマ教室やアロマトリートメントもおこなっています。

 

 

昨日は、山上亮先生の魔女修行講座TRICK or TREAT と

観音舞のお稽古という満ち満ちた1日でした。

 

(以前の魔女修行講座感想はコチラ ↓

 

 

 

自分の中の整理も兼ねて、昨日感じた響きを

シェアしたいと思います。

もしご興味あればお付き合いください。

 

 

 

人間の骨は音楽だ

人は生きているだけで

固有のリズムとハーモニーを奏で

それは骨に履歴として残る…

 

 

 

ドラマティックだけど、唐突(^^;)

説明します。

 

 

山上先生によると、シュタイナー思想には、

ゲーテの思想がバックボーンにあるそうです。

 

 

ものの形そのものには、

できるまでのプロセスが現れる。

つまり生成されるまでの

「時間と空間の流れ」が、

ものの形には現れる。

 

 

 

自然がその良いお手本。

 

「水」と「風」が出逢い、戯れた時間・空間が、

「波の形」となり…

 

「砂」と「風」が出逢い、戯れた時間・空間が、

「風紋」となり…

 

 

 

 

 

 

では、私たちの身体は?

 

 

 

 

シュタイナーでは、身体を3つに分けて考えるそうです。

 

頭部・胸部(胴体)・四肢(手足)

 

 

 

「頭部」は、硬い骨が内部の柔らかい部分を

包み、その中にこそ世界がある。

世界を感じるが外には出ない。

 

 

 

「四肢」は、硬い骨を中心に柔らかい肉が

その周囲を包む。

世界に対して動き、関わり、働きかける。

柔らかい感覚部分を外に出しているからこそ

できること。

 

 

 

その間の「胸部」は、肋骨の形が示すように

徐々に開かれながら、内部の世界(頭部)と

外の世界(四肢)をつなぐ。

そして心臓や肺など大切な生命現象を担うところ。

生命現象は、くりかえすリズムとパターンで成り立つ。

 

 

 

 

風+水=波、風+砂=風紋 のように

異なるものが出会う時、

衝撃が音となり、

リズムやパターン、ハーモニーが生まれる。

 

 

 

身体も、内部の世界(頭からの流れ)と外の

世界(手足からの流れ)がぶつかる胸部でこそ

リズムやパターンが生まれるのだとしたら…

 

 

 

 

私たちは、生きているから

(生命現象のリズムがあるから)

世界に立っているのか?

 

異質なもの同士の出逢いがあるからこそ

生命現象が生まれるのか?

 

 

 

 

答えのない問いに迷い込んでいきましたが…

シュタイナーの世界ではそんな風に人体を考えていくそうです。

 

 

 

 

そして、その人固有のリズムは、

最も硬い骨にこそ沈殿し刻まれていく…

 

 

 

 

その人がどう生きてきたのか

 

 

 

 

みんな同じ骨格を持っているけど

全く同じ形の人が一人もいないのは、

遺伝だけでなく 生き方が現れるからこそ

なのだろうなぁ…

 

 

 

 

まあ、理想は、閉じられた頭(内なる世界)と

開かれた手足(外の世界)がバランスよく出逢うこと

 

 

 

「頭の要求」と「体の要求」がかみ合うことで

生まれる美しいリズムやハーモニー、

全体の調和した美しい動き

そこを目指したいものです。

 

 

 

現代社会だとどうしても頭からの流れが

強くなりがちだからね(^^;)

 

 

せめて、私という存在は全体のチームプレーで

成り立っている!

手足にだってお尻にだって背中にだって要求はあるのだよ!笑

ということを自覚して気にかけるだけでも 

ずいぶん身体に無理はかからなくなるのかも。

 

 

 

 

 

そして、その生き様のリズムを

レコード盤のように刻み、

硬く冷たく、細胞としては死に近い形で

引き受けてくれた「骨」

 

人体の中で最も「物質的」で「硬い」、骨

 

骨細胞は、自らの動きを止めて、全体のために

「柱になろう」

とその役割を引き受けてくれたのかもしれません。

 

 

 

という、山上先生の言葉を聞いて、じーん…

 

 

 

人間関係でも 人体という小宇宙でも

ひっそりと 尊い決断がなされているおかげで

全体の調和が生まれている、ということがあるのかも。

 

 

 

 

考えさせられます。

 

 

 

 

 

観音舞(HPはコチラ「舞の道観音舞」)

家元の柳元美花さんも、以前

こんなことをおっしゃっていました。

 

 

肉体は 守るために エネルギーが外へ向く

 

魂は 進むために 内へ向く

 

外へ向くエネルギーと 内へ向くエネルギーの

ぶつかりあうところで 

いのちの響きが生まれる

 

葛藤も生まれるかもしれないが、

奥行きも生まれる

 

 

 

いろんな響きを感じ奏で、その役割を終えた時

美しい響きだったなぁと思えたら良いよねピンク薔薇

 

 

叶えてゆきたいです。

 

 

 

 

長文お付き合い頂きまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観音舞のリトリートで佐久島に行ってきました。

 

 

 

紫色の砂浜

青い青い空と海

濃い緑のトンネル

吸い込まれそうな真っ赤な夕陽

落ちる寸前の線香花火みたいな朝陽

 

 

 

美しい自然から

たくさんのギフトをもらいながら

全てを吸いこみ自分を明け渡し

境界線をほといて

溶けこんでいくような

心地良い時間 空間

 

 

 

 

観音舞と出会ってから

自然への感受性が深化してきたような気がします。

 

 

 

導いてくれた先輩舞姫さんや

ともに感じてくれる舞姫仲間さんや

道を開いてくれた家元や伝え手さんや

舞える環境を許してくれる家族

たくさんの人のおかげで

感じられる 美しい世界

 

 

 

 

 

 

 

自分が開けば

自然はとてもたくさんのものを

与えてくれていて

当たり前になって感じられなくなっていたものも

改めて受け取ると かけがえのないものばかり

 

 

 

 

 

寒い風にさらされた夜明け前から

一気に暖かさを与えてくれる朝陽

 

優しい刺激の砂浜

 

どこまでも心を広げてくれる広い空

 

ひんやりと鎮めてくれる緑の木立

 

 

 

 

 

もうもう全てに感謝しかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ便利な生活の中にいると

こんな当たり前のことも忘れてしまうんだろう

 

自然の中にいると不思議に思うけど、

「当たり前」って怖い感覚。

 

絶好調な時も 思い通りにならない時も

あるがままに受け止めるしかない

自然の中にいると素直にそう思える。

 

謙虚になれる。

 

そうなると今すでにあるものも

当たり前ではなくなるし

ありがたいなぁと しみじみ想う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康も 子育ても 同じだと想う。

 

 

都合よく思い通りになんてなるはずない。笑

 

 

でもすでにそこにあるものが ありがたい。

 

 

 

 

 

友人から、抗がん剤治療をした友人が

治療中にはならなかった花粉症が

治療を終えて花粉症になった途端

それすら嬉しいと言っていた

と教えてくれた。

 

 

 

 

生きてるといろいろある。

 

けど、今手の中にあるものはずっとあるとは限らない。

 

都合の良いものも悪いものも全部。

 

 

 

 

だから全部ちゃんと受け取っていけたらいいな

と思えた そんな佐久島リトリートでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、娘はすっっっっっっごい褒め上手。笑

 

 

毎日褒め倒されています。

 

「お母さんお料理上手だと思う〜」

「お母さん納豆混ぜるの上手〜」

「お母さんバナナの皮むくの上手〜」

「お母さんお洗濯干すの上手〜」

などなどなど

 

なんっでも褒めてくれる。笑

 

 

 

 

娘自身のことも 本人は

あるがままに 今あるものを喜んでいる様子で

 

 

「(娘名前)ちゃんは食べるの上手だよ」

「(娘名前)ちゃんの車かわいいよ」

「(娘名前)ちゃんオモチャいっぱい持ってるよ」

「(娘名前)ちゃんお絵かき上手だよ」

などなどなど

 

 

人と比べてとかでなく

事実どうかも関係なく

謙遜などするはずもなく

肯定的な言葉しか自分自身に与えない

 

 

 

でもそこに意図も策略も何もないから

素直に3歳なりに世界をそう受け止めているだけだから

 

 

「良かったね〜ピンクハート

 

と目を細めざるをえない。笑

親バカですけど〜。

 

 

 

 

でも大人もそれでいいんだろうな

とも思う。

 

 

 

 

 

 

自分のことを堂々と褒めたりって

なかなか大人になったら

(自分自身の心の中ですら)

しにくくなったりするけど

 

 

人と比べることとか

本当に無駄なんだって

娘から日々教わっています。

 

 

 

 

その方が幸せそうだし。

 

 

 

 

 

美しい世界は、

気づけば そこここに ありました。

 

 

 

きっと誰しもがそうなんだと

思いたい。

 

 

 

お読み頂いてありがとうございました(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ久しぶりすぎる更新。

ドキドキします・・・笑

 

 

 

 

 

唐突ですが、

 

観音舞のお稽古で、「歩く」ということを行います。

 

 

 

先日のお稽古で、まず普通に歩いて、

 

その時の感覚、見える景色を覚えつつ、

 

次に「その5分の1の速度で歩く」

 

ということをおこないました。

 

 

 

 

 

 

ぜひやれる方はやってみて下さい。

 

 

歩き方に特に決まりはなく、

自分の普段通りで大丈夫。

 

 

 

 

・・・どうでしょう?

 

 

 

 

 

ふらつくとか、

 

無意識に歩いていたのがゆっくりになった途端

下半身に意識がいって足裏に体重を感じるとか、

 

左右の足の重心移動を感じるとか、

 

いろいろあるんですが・・・

 

 

 

 

私は

 

窓の外の景色がスローモーションになりました。

 

 

 

 

 

自分がゆっくり歩いているだけなので、

 

時間がゆっくりになったわけでは

 

ないんだけど・・・

 

 

 

 

 

 

目に飛び込んでくる情報量が5倍になったような

 

そんな衝撃的な感覚でした。

 

 

 

 

私だけ? そんなことないですよねキョロキョロ

 

 

 

 

 

きっと普段は取捨選択してる目からの情報を

 

時間が5倍に増えたもんだから、5倍受け取って

 

そう感じたんでしょうね。

 

 

 

 

それだけで意識がパチンと切り替わる感覚。

 

なんだか不思議〜びっくり

 

 

 

 

ああ ただゆっくり歩くだけで

こんなにも見えるものが違うんだなぁ

という発見。

 

 

 

これが多分「ゆっくり歩かされる」だと

ただイライラするのかもしれないけれど、

 

自分から「意識的にゆっくり歩く」だと

今まで見えてなかったものが見える

情報量が増える という不思議。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと景色は 特に自然は

 

たくさんの情報を見せてくれているんだけど

 

忙しくしてると受け取れないんでしょうね〜。

 

 

 

 

 

これ、自然療法も

 

ちびっこ子育て中の時間の流れも

 

同じだな、とも感じました。

 

 

 

 

 

身体の力を引き出して待つ 自然療法

 

自分のペースでは動きづらい ちびっことの暮らし

 

自分の意識をどこに合わせるかで

 

感じ方も受け取るものも 全く違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもゆっくりは難しい(特に子育て)けれど

 

時にはそこからしか受け取れないものを

 

じっくり見つめる 受け取る

 

そんな時間も素敵だなと思いました。

 

 

 

 

 

 

今日は風邪引きのお嬢さん。

 

元気になったら、ゆっくりゆっくり

 

また森を歩こう。

 

早く元気になあれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おー。またまた久しぶりのブログ更新(^^;)

 

 

 

 

 

すっかり秋を通り越して冬の気配さえ感じますが、

 

お元気でしょうか?

 

 

 

 

 

 

雨が続くと体調を崩す人も周りにちらほら。

 

私も口内炎がたくさんできたり、免疫系統が弱って

 

低空飛行な日々が続いていました(今は復活!)。

 

 

 

 

 

 

口内炎では、ユーカリを垂らしてうがいをしたり、

 

とにかく体を温めてよく寝たり、

 

食べるのを減らしたり(口内炎が痛くて食欲もなく)

 

ひたすら快復を待って体を休めていました。

 

 

 

 

 

 

病む時には その必要があるし

 

治る時には 勝手に治る

 

 

 

 

 

そのために余計な負担をかけない

 

体の自浄作用を自然療法でサポートすることに専念。

 

 

 

 

 

 

今回も 「日薬」で無事快復。 

 

一番身近な大自然・身体に感謝ですガーベラ

 

 

 

 

 

 

そして、そんな口内炎祭りの最中でも

 

がんばって(というより癒されて、だけどラブ

 

励んでいる 観音舞。

 

 

 

 

 

来月の名古屋城での舞台に向けて、

 

お稽古も深みを増しています。

 

 

 

 

 

 

観音舞では、「今ここ」を常に味わい続けることを

 

求められます。

 

 

 

 

シンプルな動きの中に、どれだけの想像力を込めて、

 

舞の所作として 空間に影響を与えられるか。

 

 

 

 

 

そのためには、数秒後の次の動きのことでもなく、

 

他人からどう見られるかでもなく、

 

 

 

 

今自分が表現している水の流れや日の光

 

そういった所作の意味を いかにありありと

 

具体的に 質感や色・空気感まで想像できるか。

 

その一つ一つが、空間に 見ている人に

 

見えないものを 見える以上に伝えられる。

 

 

 

 

 

そのためには、常に「今ここ」の一瞬一瞬を

 

味わいきること。

 

「今ここ」を生ききること。

 

それに尽きる。

 

と、舞のお稽古中に教わりました。

 

 

 

 

 

 

これは、日常も同じだなぁと思います。

 

が、意識してみるととても難しいこと!!(私はね)

 

 

 

 

 

 

 

ふと気づくと、複数のことを同時に行っていたり

 

先のことや過去を考えながら 日々が流れてしまう。。。

 

 

 

 

 

携帯を見ながら、家事もしながら、

 

子どもの話を聞いていたり(つまり聞いてないキョロキョロ

 

 

 

 

 

子どもの行動を、そのままではなく、

 

その先を見越して 反応したり。

 

(それしたら後が大変だからやめてー!ガーンとか)

 

で、疲れ果てたり。

 

 

 

 

 

日常でも、もっと「今ここ」を大切にしてみよう。

 

と意識してみて、気づいたこと。

 

 

 

 

 

 

一つの行動を選択して、それに集中すること。

 

先取りして判断しないこと。

 

 

 

 

 

行動と受け取るものがシンプルになる分、

 

豊かになるものがある、という実感。

 

 

 

 

 

 

何より、我が家の「今ここ師匠」である

 

3歳児娘とぶつかったりイライラすることが減った!

 

 

 

 

 

 

 

これは大きな発見と収穫でした。

 

 

 

この人は、「今ここ」にしかいなかったのね。

 

という当たり前のことにやっと気付く。

 

 

 

 

 

先取りしての判断やアドバイスは、「今ここ師匠」には

 

全く通じなくて当たり前だった。笑

 

 

 

 

 

 

師匠は、先のことにも過去にも多分とらわれてない。

 

「今ここ」にピュアに反応し、味わう日々を

 

過ごしていただけだったんだなー。

 

と思うようになりました。

 

 

 

 

今を生ききっていたか。笑

 

 

 

 

師匠を見習って、今日も「今ここ」から

 

たくさんのものを受け取っていきたいと

 

思います。

 

 

 

 

 

 

 

そしてトイトレにイライラしないぞ、私。笑

 

 

 

 

 

 

 

花 講座一覧 花
  

単発 アロマの薬箱講座

子供のための自然療法講座(全3回)


お問い合わせはこちら
sagawaai0404花gmail.com (花を@に変えて下さい)