K&RのR、デニス・リッチーが10月8日に亡くなったそうです。
K&Rのプログラミング言語Cはプログラマにとって一種のバイブルでした。
そこで、私がいままでにプログラミングした言語を思い出と共に列挙しようと思います。

1.FORTRAN
 1977年に大学に入って、情報処理の授業で習った言語でした。
 最初の課題は、1から10までの数を足すプログラムです。
 当時は学生にコンソールは与えてもらえず、マークシートに記入してコンピュータに読み込ませ、結果をプリントアウトすると言うものでした。
 FOR文を使ったり、GOTO文とIF文を組み合わせたり、いろいろやった」覚えがあります。
 プログラミングの面白さを知った瞬間です。

2.BASIC
 PET2001と言うパソコン(当時はマイコンと呼ばれていた。)を購入して、雑誌に載っていたゲームなどを打ち込んでいました。打ち込みながらいろんなテクニックを覚えて行ったと思います。
 PETで作った自作プログラムは自販機の管理プログラムでした。当時ジュースの自販機を持っていて、その在庫や利益の管理をしていました。
 本当はApple II が欲しかったのですが、当時の価格で70万くらいしたので手が出ませんでした。そのため秋葉原でHOGE基板と呼ばれたコピー基板を買ってニセAppleIIを作ったりもしてました。
 その後、PC8001やPC8801を購入しました。
 PC8801では貸しレコード屋さんのシステムを作りました。
 親戚が豪徳寺でロックオンと言う貸しレコード屋を作ると言うことで、システム作りを任されました。8インチのフロッピーディスクやバーコードリーダーなどを組み合わせた本格的なものでした。
 ぴゅう太とかファミコンなどのゲーム機でもBASICは動いてました。
 BASICはその後もVBに引き継がれていたり、私のプログラミングの基本になっていたように思います。

3.アセンブラ
 大学の研究室で疲労破壊検査の測定器を作るために覚えました。同僚の小泉君がユーザーインタフェースを作って、私がマシンインターフェースを作りました。CPUはZ80で、AD変換したデータを取り込んでUIへ渡すと言うものでした。
 CSKと言う会社に入社して、IBMの藤沢工場近くの事務所で働き出しました。そこで86アセンブラを覚えました。グラフィック関連のプログラムを組んだ覚えがあります。PC-DOS(MS-DOS)関連のプログラムもいろいろ作りました。リダクションと言って、プログラムサイズを小さくするなんて仕事もありました。
 アセンブラはその後ワンチップマイコンの開発なんかでも6502とか4ビットマイコンとかやりました。

なかなかC言語までたどり着けません、ちょっと長くなったので2に続きます。