先日わが家にフランス人のフローリアさんとデンマーク人のピーターさんが一週間ほど滞在した。二人とも年齢が20歳前半の男性であり、旅行の途中の北海道で知り合った。二人の移動手段は列車と船、時には馬を利用して、カザフスタン、モンゴルなどの国を経由して韓国のプサンから最終目的地である日本にやってきた。

 会話はたどたどしい英語とたどたどしい日本語のやり取りであったが、何とかコミュニケーションはとれた。そこで今回は彼らと過ごして感じたこと紹介することとする。

(日本アニメの効果)

 フローリアとピーターが日本に興味を持ったキッカケは、日本のアニメだそうである。また彼らはピアノ、ギターを得意としていたこともあって、日本語を覚える手段は、日本のアニメとその主題歌および挿入歌であったそうである。二人ともアニメの主題歌をピアノで演奏しながら、日本語で披露してくれた。

 日本のアニメはわれわれが感じている以上に国際社会に浸透しているのであろう。いまではアニメーターを目指す若者も増え、また日本のアニメに興味をもつ外国人が大勢やってくる。今は昔、自分が幼少のころ、親からたびたび漫画をみると頭が悪くなるのでやめなさいと注意されていたことを思い出す。

 なおフローリアからフランスの様々な曲を演奏してもらったが、驚くことに音楽好きの彼が有名なシャンソン「枯葉」を知らなかったのである。イブ・モンタンの名前すら知らない。こちらが口ずさんだが聞いたことがないという。フランスにおいてあの有名な「枯葉」であっても、時代の経過とともに忘れ去れるのか、なんとなく寂しい感じがする。

(旅行費用)

 旅行費用においては、フローリアはそれぞれ滞在した国で仕事をしながら、確保している。彼はわが家を出発してから富士山に登り、その後広島に移動して、そこで英語塾の講師をして収入を得る予定になっているという。日本人の英語の不得手が国際貢献に役に立っているのは、皮肉なことである。

 ピーターは国民の義務である兵役で貯めた資金を利用している。義務といえばデンマークでは、所得税が40%と高い。これに対する国民の不満はほとんどないという。学費、病院の費用が無料であり、また老後の生活も保証されていることがその理由である。反面実質収入が少ないため、夫婦共稼ぎ通常であり、そのためかどうかわからないが、離婚率が高い。

 高い税金をとられても国民からの不満がないのは、国民が政治を信頼しているからに他ならない。政治に対し不信感を持つ人が多い日本では、デンマークと同じシステムを導入するからといって、税金を大幅に上げることはほとんど不可能である。しかし日本において政治への不信感は高まる一方である。

 なおピーターは会社に勤めており、1か月程度の休暇を取得して旅をしている。デンマークでは夏の季節には誰でも一か月程度の休暇は取得できるようである。勤め時間も土日休みに加え、通常の日でも子供の世話のために午後4時頃には、ほとんどの人が帰宅するらしい。それでも1人当たりのGDPは日本の2倍である。これらについて日本との相違の背景を検証する価値はある。

(食事)

 フローリアの食事時間は長い。朝食ではパン二枚と野菜サラダ、コーヒーと牛乳で1時間を要する。食べ方もパンをコーヒー、牛乳に浸して食べる。フランスでは一般的な食べ方らしい。通常わが家の朝食に要する時間は15分程度であるので、彼との食事は多少苦痛を感じた。昼食、夕食はさらに長い。

 また立ち食いそばを経験したそうだが、その時間の速さにはかなり戸惑ったようである。それでも味については満足していた。食の大国フランスでも日本そばの人気が高まるかもしれない。

 一方ピーターの食事時間はフローリアほど長くはない。彼はコーヒーより水を好んでいた。日本の水は大変美味しいといっていた。食事の出し方はデンマークではワンプレートで済ませることが多いらしい。それほど離れていないフランスとデンマークにおいても食の習慣に違いがある。彼らは日本の食習慣をどのように感じたであろうか。

(日本人への感情)

 彼らは今回の旅行で日本の治安や車の運転マナーのよさ、また人に対する優しさ、親切さなどの印象を持ったそうである。この背景には前回のブログで述べように、日本人が協調性と集団志向の風土と歴史のなかで形成されてきた国民性がある。

 とくに女性に対する好感度も高く、フローリアがいうには、アメリカ人の女性が一番強く、次にフランス人であり、日本人が一番優しいとのことである。彼は日本人の女性と結婚してフランスで住むことを希望している。

 協調性と集団志向が求められる社会では、それぞれの行動において、つねに相手への心配り必要となる。そのため日本人にとって普通の行動であっても、外国人にとっては特別に感じるのかもしれない。

 しかしそうした日本の魅力も少しずつ失われてきており、これからさらに失われていくことが危惧される。「昔はよかった」という過去への郷愁の念を抱くことのない日本であってほしい。

(広島への訪問)

 彼らは偶然にも訪問先として、広島の平和記念公園および原爆資料館を選んでいる。間違いなく二人ともそこで原爆の悲惨さと戦争の愚行さを認識するであろう。とくに自国が核保有国であるフローリアは、どのように感じるか聞いてみたい。

 今日戦争を知らない若者が増えていることを嘆く人が多い。しかしそれでも彼らのように外国から広島、長崎を訪問する人たちが増えれば、こうした人たちを通して、原爆、戦争の悲惨さを世界に知らせることになる。

 終戦から現在まで広島と長崎において毎年原爆死者慰霊式典ならびに平和祈念式典が開催されている。彼らが訪問先として広島を選んだのも、広島と長崎のこうした地道な行動が背景にあったことは間違いない。

 いまやこれらの行事は「平和の人類共有する世界遺産」である。戦争を知らなくても、その悲惨さは後世に伝えられるのである。そのための広島、長崎および国の役割はきわめて大きい。

 以上述べてきたことは、わずか1週間の二人との交流で感じたことであるので、誤解や独りよがりのところがあるかも知れない。それでも海外の人たちと戦争の愚かさを認識し合うことの意義は大きいと思う。