前書き
これまで20回ほど訪ねているロンドン、コロナ禍の真っ只中、ひと足先に海外旅行してきたので、帰国後の施設における待機(隔離)の6日間を利用して少しずつ振り返ってみたい。
とても長くなると思うし、自身の備忘録代わり、そして夢である文筆家を目指す練習代わりでもあるので、ご興味のない方、お忙しい方は、写真だけ見てスルーして頂ければと思う。
第一章 「葛藤」
そもそもこの旅行を決めたのは、昨年10月に愛して止まないバンドであるIncognitoが、2年ぶりの公演をロンドンの名門ジャズクラブRonnie Scott’s Jazz Clubで、6日間にわたり行うという告知に遡る。
その頃、日本ではコロナ禍における感染者が激減。水際対策も緩和の方向に動く兆しが見え、海外旅行に関しても、薄日が差すことに期待する雰囲気となっていた。
2年ぶりのliveということもあり、あっという間に満席になることは間違いなく、更に一昨年3月と9月に予定されていたIncognitoの公演キャンセルの振替が、今年の8月でその期限を迎えることもあって、すぐにRonnie Scott’sの公式サイトにアクセスして5本のliveを予約、合わせてフライトとホテルも予約した。
その頃には、流石にそろそろ海外にも行けるだろうという希望的観測もあった。ところが、ヨーロッパでは感染の再拡大が始まり、それに追い討ちをかけるように、南アフリカで変異株が見つかる。それはオミクロンと名付けられ、以後猛威をふるい始めると、僕のロンドン行きの雲行きは更に怪しくなってくる。
感染者数が一気に低下していた日本においては、首相がいち早く水際対策を一気に厳しくしたが、結局の所、12月下旬になって市中感染が見つかると感染は一気に拡大。それでも、フライトのキャンセル料が無料となることに期待しつつ予約はキープ。
年末年始、この旅行のことは野となれ山となれと思い、すっかり忘れてのんびり過ごしていたところ、感染拡大が進んでいたイギリスでは、1月4日には一日の感染者が20万人を超える状況と報道される始末。
日本においても感染者数は日々増加したため、ロンドン行きは絶望的。そして予想通りというか、予約していたフライトは、無料でキャンセル出来るようになる。
新型コロナに打ち克つとしていた岸田首相の唯一の施策である厳格化した水際対策において、イギリスは、オミクロン株が支配的となっている国とされ、自主隔離14日間のうち、6日間が施設隔離という厳しい措置、これではサラリーマンである身として、渡航はまず無理。
そうこうしている内に、隔離の待機期間が見直され、自主隔離を含め14日間の隔離が10日間に短縮。改めて暦を見ると、2月は三連休などもあることから、予定通り旅行した場合、隔離期間に勤務しなければならないのは5日間のみ。それならテレワークで十分にこなせる。旅程と曜日の並びは、僕にロンドンに行けと言わんばかり。
とはいえ、4泊6日のロンドン旅行のために、ホテルでの隔離6日間、自宅での自主隔離4日となると、旅行より隔離の方が長くなってしまい、正気の沙汰ではない。
しかしながら、ここまで来れば、どうせいつキャンセルしても負担はないのだからと、ギリギリまでlive、フライト、ホテルの予約は、全てキープすることにする。
更に、この旅行の計画を話した周囲のほとんどの方からは、行った方がよい、大丈夫ですよと言われる。親しい人にしか話していないので、当たり前といえば当たり前の反応ではあるが、、、
まあそんな発言、それはそれで無責任な話だったけど、一番ネガティブな発言でも「今はむずかしいかもね」程度で、特段引き留める言葉もなく。
更に一部の方からは、この閉塞された状況に風穴を開けて欲しいので、是非とも行ってきてくださいとのお言葉。
「風穴を開ける」という言葉が、妙に頭に残る。これまで風穴を開けたことなどなかった人生ゆえ、わずかなから風穴を開けてやろうじゃやいかという気持ちが芽生えてくる。
もちろん、こんな時に旅行に出れば、白い眼で見る方や後ろ指を差す方がいることも承知していたが、人生はあまりにも短い。
コロナ禍だからといって、周りの眼を気にせず、そろそろ止まっているのはやめてもよいかなという思いが強くなる。「謙虚に生きる。でも自由に」という自分の信条を貫きたくもあり。
そんな気持ちもある中、出発2週間前頃からは、毎日が葛藤の連続。夜にお酒を飲んで音楽を聴いている時は、やっぱり行こうという気持ちが高まり、興奮しながら眠りにつく。そして朝目覚めると、そんな気持ちは一気に下がり、やはり無理だよなという方に振れていく。
それは毎日幾度となく繰り返され、もし感染したら周りに色々と迷惑をかけてしまうかもしれない、とはいえ一度切りの人生、一昨年還暦を迎えて。さあこれから楽しむぞという時にコロナ禍。自分の中に二人の自分がいて、それぞれが色々なことを言い合っている。
そんな葛藤を忘れるため、渡英にはどのような手続きが必要で、帰国するためには何をすれば良いのかなど、仕事ら帰ると真剣にPCと向き合い、ネット検索したり、YouTubeで隔離の現実を見るなど、調べを進めた。
中年になって、自分の生き方がブレなくなってきた頃から、「迷った時には実行する!」をモットーに掲げて生きてきたのに、事ここに及んで、それを曲げるのか?という気持ちも強くなって行く。
そうこうしている内に、イギリスでは感染がピークアウトの傾向を示し、色々な規制が撤廃となる。それでも1日あたり9万人前後の感染者数が政府から発表されているから、それなりに凄い感染者数である。
ただイギリスでは、日本とは大きく異なり、マスコミは感染者数の発表などせず、日々の報道の中ぇコロナが報じられることも稀となり。然程の支障はなく社会生活が行われ、平穏を取り戻しているという印象もあり、日本とは状況が大きく異なっていると感じていた。
一方、日本では感染者数がうなぎ登り。ヨーロッパでの先例があるにも関わらず、政府の動きは極めて歯痒いもので、国民もどうすればよいのかわからない状況。
この状況であれば、どこにいても同じ、むしろ日本を脱出した方がよいのではという気持ちが日々強くなる。
出発日まで1週間を切る頃には、余程のことがなければ、この旅行を決行すべしと気持ちが固まってくる。
それを家族に伝えたところ、僕のそんな行動に慣れているのか、「ロンドン?あ、そうなんだ」とロンドン行きを反対するでもなく。
そして最後は、迷いなく全てを進めることにして、この旅が始まり、いまだ隔離という形で旅は続いている。
以上、第一章 葛藤 (出発に至るまで)
次章につづく