先週まで日本に帰っておりました。
金曜日から復帰しておりますが、まだ、どうにもやっぱり「イラッ」とくることがあります。
こんなこと言うとフィリピンの方々に怒られそうですけどね。笑
でも、あながち間違っていない気もして...。
反論覚悟で書いてみましょう。笑
フィリピン人はホスピタリティが高いといいますけど、ほんまにそうなんやろかと。
ホスピタリティ=「お互いを思いやり、手厚くもてなすこと、または歓待をする事」
ほんまか?
私は以下の仮説を持ってます。
「ホスピタリティっていうもんは、産まれてこのかたの人生において培われるもので、その人が貧乏であろうとお金持ちであろうと関係ない」
フィリピンでカトリック比率が超メジャーで、確かにキリスト教では「隣人を愛せよ」と教えていたように記憶してます。
また、貧乏な人が居ても近所や周りの人に支えられ、餓死する人がほとんど居ないのも確かです。
また、たしかに、フィリピンの人は人懐っこい人が多いのは事実で、人間味があり暖かさを感じるので、ホスピタリティが高いと思えるのは事実ですが、なぜか経済的にそれなりにひとり立ちできるレベルになると一気に横柄になる人が多すぎる気がします。本来ホスピタリティは自分の経済的立場がどうであろうと、変わるようなものではないはず...。
また、経済的に裕福でなくても、自分に都合が悪いことには回答しない、もしくは逃げるという行動を多々見かけます。相手を慮ることから始まるホスピタリティ。お国柄上、出来るだけ相手を「詰める」ようなことはしていないんですけどね。それでも、そんな感じ...。
キリスト教の教義に基づき、もしくは家族間の深いつながりに基づく「施し」はあるにしても、他人も含めて日常生活で、本当にお互いのことを思いやっているのか、と疑ってしまう...。
基本自分の都合のいいように物事を組み立てるきらいがあって、またその行動主がそれなりのステータスを持っていると、それがまかり通ってしまう...。傍から見ててもハラハラするくらい好き勝手やっている輩も多い...。
逆にそれに泣かされる弱者の数はもっと多い。
こういう状況で弱者は「自分もいつかは金持ちになって、好き勝手してやる!」なんて思ってしまうのだろうか、とゆがんだ目で見てしまう。
じゃ、何で「ホスピタリティがある」なんていうことが言われるのか?
これも仮説ですけど、極端な話をすると、「極めてガキんちょな中身の人が多い」ということなんじゃないかと。
ホスピタリティではなく、単に相手に感謝されたいだけなんじゃないかと。小学校で、なんかエエ事して、学校の先生に「よくできましたー!」って言われたいがために、何かをやるのに似ているんじゃないかと。
仕事でも、何か助けてもらった際には「いやー、ほんとに助かったよ!ありがとう!」と言うと、本当に喜んでくれるし、頼んでもいないそれ以上の助力をくれたりする場合もしばしば。ただ、一度でも「いやー、助かったよ。ありがとう。でも今度はもうすこし、こういうようにやってくれないかな?」なんて言うと、あんまし助けてくれません。笑
いやー、分かりやすすぎるリアクションに、どっと疲れを感じます...。
ではなぜそんなにガキんちょなことになるのか、と考えると、たぶん以下のような要素が関係しているのではないかと...。
・家庭での子供に対する過保護な対応。
・親族が多く、見たことない親戚なんてザラ。でも親族であったりする中での、他人と親族の差の薄さ。
一昔の日本のような、ウチと外をきっちり使い分け、よそ様に迷惑かけることだけはするな!なんてことはあんまし考えることもないんじゃないかと。
フィリピンの方をフォローしますと、「恥」という概念はしっかりもっておられます。施される等の行為を受けることは「恥ずかしいこと」と感じる方が大変多いです。また特に人前で怒られることも嫌います。つまり面子がなくなること=恥ずかしいこと、恥をかかされること、のようです。フィリピンで「恥知らず!」というのはかなり軽蔑的な表現だそうです。
ま、日本のそれも行き過ぎはいかがなものかと思いますが、でもその上に成り立ってきた日本文化。そんな日本文化にどっぷり浸かって生きてきた私には、どうにも違和感はぬぐえません。
でも、やはりこの国のお金持ちやステータスのある人には、「紳士」、「淑女」であってほしいですね。
ただでさえ、猛烈な格差社会であり、そこまでお金持ちが経済的に苦しい人を痛めつけなくてもいいんじゃないかと。
もちろんこちらで生活する日本人としても、「アロガンテ シャ(厚顔無恥で偉そうな奴)」にならないように、自分自身戒めないといかんです。
はー。これも修行でございますな。 うんうん。 日々是修行。