子どもたちは前を向いている。
前にもこんな事を思った。
目の前のことが全てであるし、
これからの事は、こちらが選択肢を出さないと、
選んで行けなかったりする。
喧嘩をすれば、目の前の相手に怒りをぶつける事だけが最優先事項。
喧嘩をして殴ったら相手が怪我するかどうかなど、考えていないのだ。
前を向いているのに、
先を見ているわけじゃないのだ。
先を見るとは、予測すること。
予測することは、経験に基づくもので、
つまりは過去を見ているって事だ。
予測が付くと、
「やらない事」が増える。
きっと、大人と子どもの境目のひとつなんだろうと思う。
そうやって予測をして、
いくつもの事から逃げてきた。
避けてきた。
避けてきたら、
ひとりで過ごす「灯り」が心地よくなった。
ひっそりと、僕だけが照らされているような灯り。
僕が歩けば、周りくらいは見えるし、
これだけ見えれば十分だ。
かと思えば、僕は幼いと思う。
幼いというよりも経験が少ない。
少しの灯りに頼りすぎたのかもしれない。
人に出会う。
そうすると、僕の灯りが消えてしまう程、
とても輝いた光りに飲み込まれる。
僕の灯りなんかじゃ、見えなかった世界。
羨ましくもあり、尊敬もする。
こんなにも眩しい光で、一体いくつのモノを見てきたのだろう。
そうしたら、人が照らしきれていない場所を見つけるようになった。
そこに飛び込めば、僕の灯りの意味が出てくる。
先頭を歩かなくなった。
後ろから足りない光を補う役目を見つけた。
よくて隣同士。
そこにしか、輝く道が無いと分かった。
誰が必要としてるわけではなく。
誰に頼まれたわけでもなく。
ただ、僕の光を灯すために。
これからも君の光りは、明るく輝く。
それを恨めしそうに、僕の灯りが闇を探す。