Kiss on my cheek. -2ページ目

Kiss on my cheek.

あなたを無くしても 僕は生きてく
 それでも 好きだと言ってくれますか



子どもたちは前を向いている。


前にもこんな事を思った。


目の前のことが全てであるし、

これからの事は、こちらが選択肢を出さないと、

選んで行けなかったりする。


喧嘩をすれば、目の前の相手に怒りをぶつける事だけが最優先事項。

喧嘩をして殴ったら相手が怪我するかどうかなど、考えていないのだ。


前を向いているのに、

先を見ているわけじゃないのだ。



先を見るとは、予測すること。


予測することは、経験に基づくもので、

つまりは過去を見ているって事だ。




予測が付くと、

「やらない事」が増える。




きっと、大人と子どもの境目のひとつなんだろうと思う。





そうやって予測をして、

いくつもの事から逃げてきた。


避けてきた。





避けてきたら、

ひとりで過ごす「灯り」が心地よくなった。


ひっそりと、僕だけが照らされているような灯り。

僕が歩けば、周りくらいは見えるし、

これだけ見えれば十分だ。


かと思えば、僕は幼いと思う。

幼いというよりも経験が少ない。


少しの灯りに頼りすぎたのかもしれない。




人に出会う。

そうすると、僕の灯りが消えてしまう程、

とても輝いた光りに飲み込まれる。


僕の灯りなんかじゃ、見えなかった世界。


羨ましくもあり、尊敬もする。


こんなにも眩しい光で、一体いくつのモノを見てきたのだろう。




そうしたら、人が照らしきれていない場所を見つけるようになった。


そこに飛び込めば、僕の灯りの意味が出てくる。




先頭を歩かなくなった。


後ろから足りない光を補う役目を見つけた。


よくて隣同士。


そこにしか、輝く道が無いと分かった。




誰が必要としてるわけではなく。

誰に頼まれたわけでもなく。


ただ、僕の光を灯すために。







これからも君の光りは、明るく輝く。

それを恨めしそうに、僕の灯りが闇を探す。















元々、人が嫌いなんだと思うことにした。


きっと、素性を知らない「あなた」の事を、

おれは「嫌い」からスタートする。


テレビで見てる「あの人」も、

はじめましての「この人」も。




人間は、

生きるために競争するのか。

生きるために共存するのか。


共存するために戦うのか。

共存するために殺すのか。


人間は、

沢山の動物を殺して、食べて生きてる。



でも、

人間が人間を殺すのは、なんの為なんだろう。


人間は人間という種族を生き延びさせるために進化してきたはずなのに。




そういう世の中が信じられない。

信じたくないのかも。


だってもし、

とある相手を殺さなければ、

自分や、

或いは自分の大事にしている人が生きられないという選択肢を突きつけられたら、

今のおれにはどうしたらいいのか分からないから。


必死で双方生きられる方法を探したいけど。

ふたつにひとつという選択肢だったとしてね。







そういう「人」を信じたくなくて、

「嫌い」から始めたほうが、しっくり来るのである。


当然、自身の嫌いな所が一杯ある。





嫌いから始めたはずなのに、

「好き」になっていく人がいる。


良いところが見やすくなる。


とても貴重な事に思える。


数少ないそんな人たちに、感謝しようと思うし、

これからも「好き」と思える人を増やしたいと思う。






でも、おれの好きな人のひとりは、

「人が好きだ」と言う。


始めからそうして人の事を好きだと言える事が羨ましかったりする。


そういう考えが出来たら、

もっと前向きに幸せに生きられる・・・のかもしれないって。




でも、

今まで生きてきたおれの人生が、

おれの頭の中が、心が、

こういう考えを持ってしまったから、しょうがない。


深く考えても仕方ないと思うから、

嫌いなものから好きな事を見つけていく人生にしたいと思う。






おれはおれなのだ。







生きてることを忘れることが出来るのは、

仲良くしてくれる友達がいるから。


ひとりじゃない時間ほど、

生きてることを忘れられる時間。


一番、肝心なことを忘れられる。




他人と共有する時間を終えて、

ひとりの時間に戻ると、

生きてたんだ、生きてるんだって思う。




同じように生きてることを考えていても、

苦しくない時だってある。




人が嫌いだ。


人が好きだ。


嫌いで有りたく、好きで有りたい。




今日は、とてもいい日だ。






生きてなくたって、最早問題ない。


突然いなくなったとして、

誰も悲しまないとは思わないけど。




生きてるだけで良いなんて、

綺麗ごとだ。




死にそうなやつがいたら、

とにかく生きて、と言うくせに、


とたん生き始めたら、

学校へ行け、

仕事をしろ、

時間を無駄にするな。


誰が言わなくたって、

そんな目で見られるのが世の中だ。



世の中の土台から落ちたら最後。


人間を人間では無いような眼差しを向けて、

明らかに人間らしい生活をしていない人には、

冷徹な視線を浴びせる。


自分はそうはならないぞと、戒めにする。




そうやって勝手に見下して、

まだ大丈夫と安心する。




ひどいやつだ。





余計な争いが嫌いだから、

赤の他人のする事には、なるべく関わらないようにする。


良心で優先席を譲れば、「いらないわ」と言われ、

ベビーカーを降ろすのを手伝おうとすれば、何この人っていう目で見られる。


いや、そうされる可能性があると考えてしまうと、

行動できないのだ。


別にいい人に見られたいわけじゃないし。


と、いいつつも、

そういう損得感情を瞬時に頭で考えてるから、

行動に移さないんだろう。




こんなことばっかり考えてるから、

仲良くなった友達にだって同じようなことをしてる。


したくないのにしちゃってる。




余計な争いをしたくないから、

相手の良いところばかり見る。


悪いところが見えてきても、

良いところも見えちゃうから、

結局イーブンなのだ。


誰にでも良いところがある、とはこの事で、

恵まれすぎて、自分を過小評価する。


何も出来ない自分がいる、と思い込む。



怒られるのが嫌いなくせに、

他人の褒め言葉を素直に受け入れられない。


余計に言われないと、飲み込まない。




何かが心を蝕んで、

ひとりで居るときに考え込む。


人が人間たる為に作り上げた幸せの形。


結婚して子どもが生まれて、育てて、死んでいく。


そのスタートすら切れやしない。


この形に当てはまってしまえば、どれだけ楽に生きられることか。




誰だよ、こんな形つくったの。




と思いつつも、

ひとりで居ることが怖いから、

諦めが付かない。




精一杯なんだよ。



きっと、

楽しんでる演技をしてるだけなんだよ。




好きになっていい人を見つける方法が、

分からなくなった。




子どもたちはいつだって前を向いている。




成功。



失敗。



楽しむこと。



嬉しいこと。



悲しいこと。



悔しいこと。



怒ること。






表現の仕方を学んでいる途中。


それはおれも同じだったり。






子どもたちは、前を向くことに全力。




歩いていく方向が、その子の人生。




だから、悪い方向へ行くのにも全力。




世間でいう親たちは、

そういう時に手助けしてやればいい。


ちょっとそっちの方向はどうなのさ?と。


全力を注いでいる子は、強い。


夢中になる。


何に注いでいいか分からなくなった時に、

手助けしてやればいい。




子どもたちは、いつだって前を向いている。


子どもたちの運動会を見て、そう思った。