父の本棚 ~蚤と爆弾~ 再掲
編集しようとして、削除してしまいました。再掲です。すみません。久しぶりに父の本棚です。この本も、父が私に「読め読め」と熱心にすすめた一冊です「蚤と爆弾」です。この本は、人体実験を扱っています。いつものマクラメやレジンとは趣が違いますので、そういうのを読むつもりはないよ、という方は読むのを控えてくださいね第二次大戦で日本軍の課題の一つが安全な飲料水の確保でした。異国の地の戦場で安全な飲料水はなく、乾きに耐えかねた兵士が飲む泥水から感染症をおこし、結果兵力が大きく削がれてしまうためです。その改善策として、防疫給水部隊 七三一部隊の隊長が考案した濾過装置が威力を発揮します。汚い水しかない異国でその濾過装置に水を通すとすぐに清浄な水により、目的通り兵士を感染症から守ることに成功しました。この隊長は、関西の国立大学出身の曾根二郎という医学博士です。賢いのはもちろんですが、何より柔軟な発想は正に、天才というのはこういうことか、と感心してしまいます。しかし、彼は所詮は地方の大学の出身者、当時は東京の国立大学出身者でなければ、出世は望めませんでした。その事が、彼に天才的な閃きというか悪魔の閃きを形にさせます。国内の資源が乏しい日本であっても、十分に実現でき、かつ効果的な方法。それは、日本軍を苦しめた元凶でもある、細菌を武器とした戦略 です。曾根は、その戦法を、より確実により効果的に使うために、冷静に考えます。冷静にです。ペスト菌を蚤につけ、それを媒介に人に感染させることで敵の兵力を弱体化させるのが、目的です。実用化させるための、実験内容が更に天才です。まず、大量の蚤を飼育し、ペスト菌を持ったネズミを吸血させます。次に人に感染させるために、中国人やロシア人の俘虜(捕虜じゃないんですよ。俘虜と捕虜は同義語と解釈されていますが、捕虜はハーグ法で守られていますが、俘虜はそうではないんです。協定で守られていない俘虜は捕虜のように人道的に守る必要はないということなんです。)を「丸太」と呼び、どうすれば病原菌を効果的に兵器として使用できるか人体実験を行いました。「人体実験」という表現をしていますが、人間を実験に使っているという意識は薄かったと思います。だって「丸太」なんですから「人間」ではない丸太が叫んでも罪の意識を感じる人はあまりいないんじゃないかな?というか、「丸太」は叫んだりしませんから。木を切っても木が叫ぶなんてことありませんものね。「満州猿」とも呼ばれていたようです。ここでも、人の心をよく理解しているなと感心しました。敵であっても相手が人間ならば、苦痛を与えたり、死にいたらすのは、敵国の人間とは言え人間なんですから、罪悪感に苛まされます。でも、「丸太」と位置付ければ、その罪悪感が薄れる、結果、人体実験にも関わらず研究者たちは、平常心で仕事に向き合える。この実験に疑問を口にすることなく、淡々と実験に打ち込める。もちろん、人体実験を隠す隠語としての意味合いもありました。動物実験では得られない、より正確なデーターで凍傷の治療法や性感染症の観察、結核の乾燥ワクチンを作ることができるのですから、化学者としては魅力的な環境であったと思います。蚤を飼育した真っ暗な実験室で、光を当て、弱い蚤は取り残され、強い蚤は活発に動く、蚤といっても個体差がありますから、当生き残った丈夫な蚤だけを採取し、更に繁殖させれば、より強い蚤が産まれる。その蚤は兵器としてさらに効果的な威力が期待できる、、、、、。陶器にその蚤を入れ、敵方に飛行機で投下すれば、丈夫な蚤は血を求めて四方八方に散っていき、人間にとりつき、感染をさせる。陶器爆弾です。小説「蚤と爆弾」の題名の由来は、ここです。もちろん実験しましたよ。丸太を柱にくくりつけ、近くで陶器爆弾を投下させる。その爆弾から落ちたノミがどのくらいの距離で人にとりつくのが可能なのか、そういう実験をしていました。ある時はこんな実験もしました。俘慮である中国人を解放すると言って、その時に饅頭を渡します。空腹だった俘慮の中国人はその饅頭を一気に食べます。その食べている様子を写真に収め、日本軍は決して残酷な扱いを中国人にはしていないという証拠写真にしました。でも中国人たちが食べた饅頭にはペスト菌が仕込まれていたのでした。中国人が自分の村に帰る頃には、チフスを発症し、村全体を感染症に侵してしまう。緻密で計画に余念のない、正確な実験です。私は、恐怖を忘れてただただ感心するばかりでした。父は、私に言いました。「般若は、智恵の神様なんだ。智恵も使い方を誤るとあのような恐ろしい面の顔になるんだ。だからこの731部隊の人体実験は、研究としては最高レベルであっても、やっていることはあの般若の恐ろしい顔のようなものなんだ。」と、語ってくれました。最も、般若について調べてみますと、確かに「智慧の神」ではありますが、般若の面との関連は薄いそうです。でも、私は思いました。身につけた知識や智恵も人の温かい心でくるまれていなければ、恐ろしいものに成り果てると。いえ、高校生だった私は、もっと単純にこう思いました、天才的な頭脳も使い方によっては恐ろしいものになるんだ。と。この本を、紹介してくれた父に感謝しています。「蚤と爆弾」は、父から私への教科書だったのだと思います。曾根二郎以外のこの実験に関わっていた他の研究者も、誰かの思いやりのある心優しい息子であり、頼りになる夫であり、強くて優しい父親であり、愉快な友人であったと。そういう普通の人間も探求心が満たされる、あるいは国や家族を守るためという大義名分の下で、人体実験ができる。人間の脳は相反する価値観や行動を矛盾なく同居させることが人間は可能なのだと、説得力がありました。私は、もちろん人体実験をしているわけではありませんが、日々の生活で脳の中で矛盾した二つのことを同居させることに矛盾は感じなくなりました。人間とは、そういうものであると、、、、、。だから、自分の中に全く相反する感情がわいても、矛盾している価値観も同居させることが脳は可能だと納得しています。でも、戦争には反対です。戦争という状況下は、日常であれば強い抵抗を感じることや禁忌が許される、認めらる環境なんだということです。異常な環境。私はこの細菌作戦に携わった人たちをサイコパスやマッドサイエンティストや異常性格者などという位置付けはしてはいけないと思います。(サイコパスの存在を否定していませんよ。サイコパスはいます。)誰しも異常な環境、それに伴う異常な価値観の中において、異常な行動も普通、日常、常識に位置づけてしまう、それが戦争なんだと思います。日本は、この第二次世界対戦において広島と長崎に原爆を投下されました。多くの罪のない民間人が被害にあい、命を失ってしまいました。生き残った人も心身ともにさいなまれることとなり、二世代、三世代にも影響を与えています。日本は終戦を迎えましたが、原爆投下によって日本は被害国ともなったのです。確かに、被害を受けたんですから。でも、細菌作戦においては加害であったにも関わらず、それは霧散してしまいました。(GHQが、実験データーと731部隊の安全を引き換えに赦免しました。)細菌作戦を行った人たち(加害)と原爆で命を失った人たち、沖縄をはじめとした日本の犠牲になった人たち(被害)とは立場も状況も全く違います。でも私はこの加害と被害を考える時に、被害者となるのも嫌だけれども加害者にもなりたくないと思っています。だから細菌作戦を行った731部隊の人たちを、曾根二郎を、それを支えた日本という国を異常者だとラベリングするのは危険だと思っているんです。731部隊が行ったことは、絶対的な悪です。でも、自分はそんなこと絶対にしないという立場で、正義を振りかざして、彼らを弾劾するのは違うと思うんです。いつ自分が加害者の側に立ち回ってしまうかもしれない、そういう危機感を「蚤と爆弾」から感じます。NHK で731部隊の生き残りの裁判記録がロシアで見つかったという番組をしていました。あの番組を見たときに思いました。彼らを批判する番組として見てはいけない。一部の異常な人間が起こした特別なことだと思ってはいけない。再び加害者にならないために、やはり戦争は繰り返してはならないのだと、、、、、。貴重な実験のデーターを、ロシアも欲しくて、日本人をスパイしにてさぐったものの、アメリカが全部持っていったしまったあとでした。残念ながら人は弱い。恐怖や名誉欲やそういったもので、人はあっさりと悪魔に魂を委ねてしまう。人間というのはそういう生き物なんだ、と。状況によっては、私も悪魔に魂を委ねてしまう。そうならないためには、再び戦争を起こさない。そんな環境を作らない。それしか方法はありません。戦争が始まったら個人の意見も願いも決して通る事はありません。戦争が始まってしまったら、手遅れなんです。冒頭に父がこの本を読むように勧めてくれて、そのことに感謝している、と書きましたが高校生だった私がこの本から受けた影響はかなり大きかったと思います。人生の教科書です。吉村昭氏の筆致から伝わってくる真実。「蚤と爆弾」を読む時に、そこから受けるのは、731部隊の人たちも人間の姿の一つであるという事実です。シリアスな内容ですが、私にとって「蚤と爆弾」は、父との思い出のこもった一冊の本でもあるんです。その後、731部隊について関心をもったので、講演会を聞きに行ったり、元731部隊に関わった少年兵の方のお話を伺いました。その方は、ネズミの飼育に携わっておられました。当時の、最高位の方のご親戚も視察にこられていたそうです。日本という国は、中国で何が行われていたか、ちゃんと、知っていたんです。先日片付けをしていたら、その講演と展示会の時のチラシが出てきました。あの時、来てくださった方、ありがとうございました。嬉しかったです。「曾根二郎」としていますが、これは、吉村氏の小説の中の名前です。実在の人物です。彼は罪を問われることなく、自由に過ごし、晩年も穏やかに過ごされました。ガンでなくなられ、葬儀には千人を越える人が参ったそうです。戦友、同僚や部下たちだったようですが、彼らはお互い言葉を交わすことなく、目を合わせることもなく、葬儀が終わるとちりぢりに去っていったそうです。元731部隊の少年兵であった人がこのように話をしていました。いよいよ戦局が危なくなり、自分を置いて上官の姿はなく、手紙が1枚あったそうです。「生きて、生き恥を晒すな」と。講演当時、その方は講演にまわっておられましたが、脅迫まがいの脅しを受けるようなこともあったそうです。でも彼が証言を続けていたのは、実験として死なせてしまった中国人やロシア人へのシャク罪だったのかもしれません。被害者にもなりたくありませんが、加害者にもなりたくありません。私のつたない文章力では伝わらないかもしれませんので、ぜひ吉村昭氏の「蚤と爆弾」を読んでください。お父さんありがとう。スミマセン、編集しようとしたら、投稿できなくなってしまいました。いいね。してくださった方々、スミマセン。