ご無沙汰しております
忙しすぎた反動でしょうか?
グズグズダラダラしたい自分がいます。
さて、久しぶりのブログは、父の本棚です
吉村 昭氏は、エッセイストとしても素晴らしく、たくさんのエッセイを書いておられます。
父は、吉村氏のエッセイもお気に入りで、よく薦めてくれました。吉村氏が日々、体験したことや感じたこと小説の取材の事を書いておられます
文章は小説と同様に淡々としていますが、2~3ページにまとめられたエピソードの中身が濃いんです。
以前に父から教えてもらったエピソードの一つがとても印象深く、もう一度読みたいと思っていたものがありました
吉村氏のエッセイ本がたくさんでどの本に納められているか全く忘れてしまっていましたが、この「蟹の横ばい」旺文社文庫に収録されていました
「初吹き込み」
ここからは、ネタバレです
氏は、小説を書くにあたって徹底して文献を読み込み、当時の事を知る関係者(生存者)に話を聴きに取材旅行にもよく出掛けておられました。
関係者の肉声は貴重で氏が取材する様を録音しレコードにする企画が持ち上がりました。関係者の肉声がその死と共に失われることは小説家の氏にとっては打撃であり、その企画に賛同した氏は若いディレクターと録音技師と共に録音のために関係者の元に対談に行きます。
壮絶な戦争体験者の話に同席したスタッフは目に涙が浮べていました。一人の録音技師は、いわゆる業界の若者ですので、それ風のスタイルというかファッションでした(長髪でジーパン)。取材を受けた方と言葉を交わしたわけではないですし、吉村氏もそのスタッフに何を言った訳でもないのですが、その後の取材の時にそのスタッフは髪を整え、背広にネクタイ姿で現れたそうです。
どうして服装をあらためたのか真意を聞いておられないのですが、壮絶な戦禍をくぐり抜けてきた人生の迫力と戦争体験を引きずりながらも今の平和の時代を堅実に生きる人への敬意が若者の心に話を聞く姿勢を正させ、現れたように感じます。
父が「吉村昭は、エッセイも面白いんだ」と言いながら、この本を紹介してくれた時に教えてくれたのがこの「初吹き込み」でした
久しぶりに、この話を読むことができて良かったです。
知らずにいることって、この年齢になってもたくさんありますよね
父の持っていた本は、まだまだたくさんあります古い本ですが、歴史も戦争も変わらない現実です
父所蔵の「蟹の横ばい」です向かって右側は、当時の本の栞。左側は、本屋でつけてくれたブックカバーです。背表紙の題字は父が書いたものです
今日は、74回の広島原爆投下、原爆の日です。変わらない現実です。