さて、関東大震災の続きです
地震で竜巻!? そんなことがあるの?と思いながら、高校生の時に読みました。
(正確には火災旋風と呼ばれる現象で、竜巻に似ていますが、竜巻とは別の現象だそうです。)
もうひとつ、印象深かったのはデマ・噂の恐ろしさです。
大地震で正常な判断ができなくなった人々がそのデマを信じてしまったのです。
デマの内容は、この惨状は朝鮮人の暴動によるものだというのです。
焼け出され住む家をなくし、家族と離れ離れになり、あるいは家族を亡くしてしまった。食料や水もなく途方にくれ、遅い支援に対する不満、、、。
自分や自分の家族を守らないと、という自衛本能が混乱や不安・恐慌と合わさった時に人々は暴徒と化したのです。
朝鮮人とみれば、報復として虐殺したのです。全くの嘘だったのに。
その中には聴覚障害者や発音がたどたどしいため朝鮮人だと誤解されて、殺された日本人もいました。
2年前、NHKで「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」が放映されました。映像の中では、とある村が取材を受けていてデマを信じた村人が朝鮮人を虐殺したというのです。全くのデマとわかり、朝鮮人を弔う石碑を建てられていることが紹介されていました。
異常な状況だったとはいえ、人を殺めてしまった後悔を強く感じ、更に子孫がそれを教訓としてデマに惑わされないようにしなければならない、という想いの伝わる番組でした。
阪神淡路大震災の時に、ある一団が公園に避難していたそうです。不便だろうと「避難所に行かれたら、どうですか?食料や支援物資がもらえますよ」と声をかけたそうです。
その返事は「ありがとうございます。でも、関東大震災の時の事をご存じないのですか?」だったそうです。
いじめた側は忘れてもいじめられた方は忘れない、、、。ということですね
そして、ネット社会になった今、昔と比べれば災害時の安否などの連絡は取りやすくなりました。でもそれは、デマも流されやすくなったということです。
最近の地震の際、「動物園から猛獣が逃げ出した!」なんていうデマが動物の写真つきで流されていました。
どういうつもりかわかりませんが、こんなデマ流さないで欲しいですよね
吉村 昭 氏は、9月1日には家族と水団を食べ、自然災害の恐ろしさと関東大震災の教訓を意識されておられるとエッセイで書かれておられます。
また、氏は「三陸海岸大津波」という著書を記されておられ、東北大震災の際には、再度、注目されたそうです。
東北大震災の頃には氏はご存命ではなかったのですが、被害の状況を知ったら、その土地の先祖の教訓(例えば、これより下に家を建てるな等)が生かされなかった事を残念に思われたでしょう。
最近では古来の地名を今風に変えるようなことが自由になりましたが、地名に「水」や「さんずい偏」がついているところは、昔、川や池・沼だったり、水が出やすいなどの土地柄だったので、家を建てる時の参考にできたのが、今はわからなくなってしまっているというようなことがありました。
災害が起きてから、「実は、災害の起きやすい土地でした。」というのは、あんまりだと思います。
南海トラフ地震のニュースが流れている時に、家族が「こんなこと言ったらダメかもしれないけど、南海トラフ地震は、おじいちゃんやおばあちゃんが死んでから起きて欲しいな」といいました。私も長生きして欲しいと願いながらも自分の親には災害を経験して欲しくない、生き残ってもそのあとの辛く不便な生活や心労は経験してほしくない。させたくない。
私が、守ってあげられるかどうかも不安だから、、、。
両親には暖かいお布団の上で穏やかな最期を迎えてほしいです。
関東大震災を「読め、読め」と勧めてくれた父の心は、すでに将来の災害を心配できないところに行ってしまいました。
しかし、地震の恐ろしさをリアルに描き出し、災害時に大切な事は何か?と考えるきっかけになった吉村 昭 氏の「関東大震災」を勧めてくれた父に感謝です。
自分の想いをようやく文章にすることができました。これも、誰かが読んでくださるかもしれない、という「はりあい」を感じているからだと思います。
長文、お付き合いいただきまして、ありがとうございました