久しぶりの「父の本棚」です。
今回は、吉村昭氏の短編小説「総員越シ」
父は、この小説がお気に入りらしく、熱心にすすめてくれた一冊です。
特殊な状況で亡くなった兵士が戦後、発見される。もちろん、遺体で。その写真を見た吉村氏が関心を持ち、取材するといった小説だ。
そんなことが、あるのか?と思うような遺体で、「総員越シ」という題名は、不思議と何度も脳内でリフレインされる。
以下、ネタバレです。
第2次世界大戦開戦前に、日本の潜水艦が潜水訓練の事故で沈没してしまう。「伊号第三三潜水艦」
より速く潜水できるように、日々訓練を重ね、総仕上げの最終訓練時にその事故が起きる。
全てのハッチがしまった事を知らせる電球が点灯した事を確認し、潜水したはずなのに、浸水。
たちまち海に沈下してしまう。なんとか浮上しようとするが、叶わず、絶望的な状況となる。
海軍では、船が没する時、乗組員全員が艦と死を共にするのが慣習であったが、艦長は、艦に起きたこの大事を報告させるために、乗組員16名をを脱出させる。
それでも、生存者は2名、脱出の際、天板に頭部を強打し、意識を失いそのまま溺れてしまったり、力尽きるなどしてしまった。
軍は報告を受けるも、引き上げる事は叶わず、終戦を迎える。
このようにして「伊号第三三潜水艦」は、沈没した事もおおよその場所も明らかとなっていた。
そして、敗戦の9年後、サルベージ船の会社が「伊号第三三潜水艦」を引き上げることになる。引き上げた艦を解体、販売することを生業とする会社だが、当時は社長をはじめ社員も戦争、徴兵経験者。ビジネスとしてだけではなく、そこには、無念の死を迎えたであろう兵士に、海から引き上げ、故郷や遺族のもとに返してやろうという想いもある。
苦労や工夫の末に「伊号第三三潜水艦」は、無事ひきあげられる。
報道の関心も強く、新聞記者が、勢い込んではいると、艦内は、有毒なガスが充満していた。その中を、息をつめながらはいると、兵士が人間が、ベッドで眠っていた。
いや、死んでいる。遺体であるが、やはり眠っているようにしか見えない。
沈没した艦内で密閉された部屋に取り残された兵士たちで、酸素の供給がなく、酸欠で窒息死したのだ。そして、兵士たちに酸素が吸い尽くされたため、微生物すら死滅し、遺体は腐る事無く9年間、静かに死んでいた。
奥には、直立不動の兵士が立っていた。
死んでいるのに、なぜ、立っているのか。もしかして、生きていたのか?と錯覚させた兵士の首には鎖が巻かれていた。
体格の良い兵士で、おそらく仲間が全て死に絶え、一人取り残された、、、、。生命力の強さが、取り残される仇となってしまったのかもしれない。
「孤」の恐怖。
自らの首に鎖を巻くしか、その孤独から解放される術はなかった、、、、。自死を選ばなくても、その兵士にも時間をおかず「死」は、訪れただろう。恐怖でわからなくなったのだろうか?それとも、わかってはいたが、一瞬たりとも耐えられないほどの孤独に襲われたのだろうか?
私なら、、、、。自分を見失う前に、狂う前に、首に鎖を巻いていたかな?私には希死念慮は、全くない。でも、そんな事を考えてしまうくらい、戦友たちの死体に囲まれた兵士の孤独の恐怖に共感できる。
やっぱり、戦争は異常だ。
艦内に空気が流れ込むと9年間の時を取り戻すかのように、兵士たちは腐り始める、、、、。
「総員越シ」とは、「ソウイン、オコシ!!!」と号令をかければ、飛び起きそうな遺体たちの事をあらわしているんだと思った。
第二次世界大戦の時、私の父は小学生だった。
吉村昭氏の戦争の小説を話してくれる父から感じたのは「哀しみ」
生きたくても叶わなかった者たちの「哀しみ」
生きたくても叶わなかった者たちへの「哀しみ」
この小説を読んだ時、私は高校生だった。この小説を、父は特に熱心に勧めてくれて、私自身も読後は印象深く、ずっと覚えていた。
でも、この小説を通じて父が私に感じて欲しかったのは、この「哀しみ」だったのかもしれないと、このブログを書きながら気がついたような気がする。
ところで、「伊号第三三潜水艦」の沈没原因は?
小説に記されています。ここにも、人間の悲しい性が潜んでいます。
私と父のオススメの一冊です。